成人の儀
現在は立ち入り禁止となっているラトカルト最大の窪地ゲヘンと、その北西に位置する第二の大きさを誇る窪地ラテムによって挟まれた、南西へと向かって伸びる交易路に面した早朝の広場に、今年十六歳を迎える数十名もの男女が成人の儀を受けるべく集まっていた。
「この儀式を終えた時点でおまえたちは成人と見做され、他の大人たちと同様の扱いとなる。町からの外出も正式に許可されるようになり、後日、司教様から高度な知識を下賜される」
町の警備団に所属する、厳めしい長い髭を顎に蓄えた弁髪の青年、タナンが群衆に向かって声を張り上げる。
「ではこれより、成人の儀における試練の説明をする!」
白いゆったりとした衣服の半袖から突き出たタナンの腕は太く、胸板にも厚みがあって鍛えられた身体をしているのが一見してわかる。栄養価の低い食物しか獲れないラトカルトでは恵まれた体型の部類に入るが、それでも他の同年代の男性よりも若干肉付きがいいというだけでしかない。
「行動は二人一組。皆には説明の後、各自で組む相手を見つけてもらう」
広場の右側後方、群衆から少し離れた場所に、タナンの話に耳を傾けるラナクの姿がある。
「まずはじめに、成人を迎えるおまえたちに、知らせなければならない隠された事実がある。それは」とタナンは十分に勿体をつけてから、「魔物の存在だ」と真剣味を帯びた声で続けると、どこからか「みんなとっくに知ってまーす」と声が上がってあちこちで微かな笑いが起きた。
「おまえら、少しは俺の顔も立ててくれよな」
タナンがそう言って戯けてみせると、彼のそばに控える他の四人の団員と群衆から追加の笑い声が上がった。
「ともかく」とタナンは群衆のざわめきを打ち消すように言い、「試練を行う場所は三つ。そのいずれにも魔物が出る。とはいえ、皆もすでに年長者から聞き知っているように、現れる魔物は凶暴な連中ではない。言ってしまえば見慣れない小動物のようなものだ」
言葉を切って群衆を見回したタナンは、全員が話を傾聴していることを確認すると、顔を正面に戻して再び声を張って話しはじめた。
「毎年安全の確認はしているので問題はないと思われるが、万が一に備えて試練が行われる各場所にナムサ、イデル、リリドリーの三人が監視員として刀剣を持って隠れている。魔物だって命は惜しい。おまえたちが手を出さない限り襲ってくることはないはずだ。それよりもむしろ、発情期を迎えて気が立っているメスのテクネカドロンに注意しろ。凶暴化したヤツは魔物よりも質が悪い」
「テクネ……なんとかってどんな生き物ですか?」
群衆から飛んできた質問にタナンが、「地面をズルズル這い回ってる平べったいヤツだ」と応じ、「次に三つの試練の内容を説明する」と一段と声を大きくした。
「場所はすべて我々の資源の採掘場となっている、『煉瓦の岩場』『慈しみの泉』それから『息吹の外穴』の三ヶ所だ。煉瓦の岩場では耐火粘土と鉱物が採れるんだが、ここにはその鉱物をダメにする魔物が」
正面を向いてタナンの話を聴いていたラナクが、視界の端でチラチラと揺れる何かに気づいて左のほうへと視線を投げると、背のなかほどまで伸びた桃色の髪を頭を振って揺らすシャンティの姿と、黄金色の長髪を後ろで束ねた男子が彼女に話し掛けている様子が目に入った。
「我々の水源である泉に微量の毒素を流す。だが、毒自体が弱く、そこに自生するタンタニカの花粉で容易に浄化が可能だ。岩場の魔物と同様、この泉の魔物にも注意点がある。連中は耳が異常に」
ラナクは正面へ視線を戻しながらも、視界の端で行われている二人のやり取りが気になってしまい、すでにタナンの説明は耳の穴を通り抜けていくだけでまるで意味をなしてはいなかった。
「は他の二ヶ所と違って細心の注意を払う必要がある。名前が示すように、こいつには『吹き』と『吸い』といって穴から吹き出すものと、逆に穴へと吹き込む二つの風の流れが発生する。『吹き』の」
「やめてッ!」
唐突に上がったシャンティの大声に、タナンが話を止めて「どうした?」と声を掛け、ラナクも周りの群衆もほぼ反射的に彼女のほうへと顔を向けた。
「なんでもありません、タナンさん」
シャンティではなく、その隣に立つ金髪男子が太々しく答えた。
「おまえは?」
「ガルバリオ。ガルバリオ・レイネルです」
「レイネル……おまえ、英雄の末裔の」
「お騒がせして申し訳ありません。すでに問題は解決しました。どうぞ、お話を続けてください」
ガルを知るラナクの耳には、彼の口調はまるで感情を隠すために敢えて慇懃に努めているかのような、繕った不自然さを伴って届いていた。
「いや、説明は以上だ」とタナンは言葉を切り、「では、自分が信頼できると思う者と二人一組となり、名前が呼ばれるまでその場で待機しろ。呼ばれた者は俺から刀剣を受け取り、速やかに指示された試練へと向かえ。繰り返すが、魔物や動物との戦闘は可能な限り避けるように」
人々が動き出したのに合わせてラナクが歩き出そうとすると、そばにいた人の陰から「よぉ! ラナク」と先ほどシャンティと揉めていた金髪の男子が姿を現した。ラナクと同じような生成りの半袖シャツに、裾の広がった茶色いズボンといった、周囲の人々と変わらぬ質素な装いをしている。
「ガル」
体格こそ他の同年代の男子と変わらないものの、ここ数年で急激に背が伸びたガルは、頭一つぶん高い位置から冷たい銀灰色の瞳でラナクを見下ろしつつ、「俺と組もうぜ」とさらりと誘いの文句を口にした。
ラナクは特に親しくもない同輩の予期せぬ台詞に眉根を寄せ、その真意が何なのかを探るように、しばらく無言のままその鈍色の虹彩を見返していた。
「それから、鋼の刀剣は町にたった十一本しかない貴重なものだ。くれぐれも失くすなよ。いいか、おまえら!」
急に上がったタナンの叫び声をやり過ごしたラナクは、「なんで俺と?」と頭に浮かんだ疑問を口にした。
「おいおい、昨日キチッと言ったぜ? 『明日の試練でな』って」
「はぁ? あれは組むって意味じゃ」
「そんなこと言ってもよぉ。なぁ、ラナク」とガルは翡翠色の瞳を上から覗き込みながら、「どうせスノーはもう死んじまっていねぇんだし、おまえだって他に」とまで言ってラナクの囁くような声に言葉を切り、「あ? なんか言ったか?」と訊ねた。
「スノーは死んじゃいねぇって言ったんだ」
ガルはラナクの静かな気迫を満足そうに眺めると、「ああ、そうか」とわざとらしく明るい声で言い、「死体は見つかっちゃあいねぇから、行方不明ってことになってんだよな。便宜上」と言って口の片端を持ち上げた。
「俺はおまえとは組まない」
そう言って歩き去ろうとするラナクの背中に、「本当にそれでいいのかよ?」とガルの粘つく声が絡みつく。
「組みになっていない奴はまだ沢山いる」
「そうだな。だが、俺と組んだ奴だけだぜ?」とガルはラナクの反応を楽しむかのように十分に間を置いてから、「シャンティからの祝福を受けられるのは」と言った。
その言葉に振り返ったラナクが、「嘘を吐け」と言い返し「さっき彼女が嫌がっているのを見た」と続ける。
「おまえが見たのは結果じゃない。話はつけた」
「なんとでも言える」
「そんなことを言い出したらキリがないぜ、ラナク。それにうまくいけば、手に入るのは祝福だけじゃあない」
「どういうことだよ」
「俺たちはもう成人なんだ。妻を娶れる年齢ってことなんだぜ?」
まるで舌舐めずりをするかのようなガルの含みのある言い方を無視し、ラナクが「なぜ俺なんだ?」と少し前と同じ質問を繰り返す。
ガルは溜め息を吐き出して「なぁ、ラナク」と言い、「おまえが俺をよく思っちゃいねぇことは知ってるし、正直なところ俺もおまえと仲良くしようって気はねぇ」と躊躇いもせずに言ってのけると、「だが、信頼となると話は別だ」と真剣な眼差しで続けた。
ラナクはガルから視線を外して、「なんだよ、そりゃ」ときまり悪そうに呟き、「別に、俺だって嫌ってるわけじゃ」と言って言葉尻を濁した。
「ところでよぉ」と首を回して左右を確認したガルは、「早くしねぇと、俺もおまえも、あぶれた適当な連中と組むハメになっちまうぜ?」と曖昧な態度のラナクを急かした。
釣られて周囲を見回したラナクは、一人で残っているのがほとんど女子であるのを確認すると、軽く息を吐き出してから「わかったよ」と観念したように呟いた。
「木剣とはまるで重さが違うな。なぁ、ラナク?」
南西の門から町を出て、タナンたちのいる広場が見えなくなった頃、往来のまったくない土が剥き出しの交易路を歩きながら、受け取った諸刃の刀剣を振り回していたガルが隣のラナクに訊ねた。
「こいつは」
「あぁ?」
「この刀剣は、もともとなんのために作られた道具か知ってるか?」
「冗談だろ? おまえ、俺の先祖を知っているよな」
「なんでこんなものを作らなきゃならなかったんだ」
大袈裟に一つ大きな溜め息を吐いたガルが、「決まっている。襲い来る輩を打ち倒すためだ」と呆れたように言うと、ラナクは「どうして人と人が争わなきゃならない」と誰に向けたとも知れない疑問を口にした。
ガルは「そんなこともわからないのか?」と驚いたように言い、「毎日図書館へ通っているわりに、おまえは世界を知らないな」と見下したように続けた。
「知ってるさ。俺は世界について調べているんだ」と感情を押し殺した声でラナクが呟き、「資源や物資が乏しい悪環境の国々と、それらを持つ豊かで富める少数の大国とで争っていることぐらいは知っている」と忌々しげに言った。
「なら、なにがおかしいってんだ。持たざる者が奪わんと襲い掛かり、持てる者は奪われんとして襲い来る輩を迎え討つ。そう言っただろ」
「そうじゃない。豊かなら分け与えればいいじゃないか」
「なぜ分け与えてやる必要がある?」
「なぜって」
「資源がなけりゃ国民を養ったり教育したりできねぇ。つまり、対価として支払うための知識や技術が育たねぇことになる。それどころか、まともな道徳観が身につくかだって怪しいもんだ。飢えたガドナグンを見たことあるか? 貧しい連中はああいった獣と同じだ。持ってる奴から奪っちまおうって考えさ。そんな浅ましい連中に、なぜ貴重な資源を分け与えてやる必要がある?」
「それは……」
「人の命は尊いからとか言いだすんじゃねぇよなぁ? ふざけろ。連中を救えばそれだけ限りある資源の減りも速くなるし、自分の取りぶんだって減っちまう。それに貧しい奴らは限度を知らねぇ。一度与えたらもっと寄越せと要求してくる。終わらねぇ負の連鎖の始まりだ。それがわかっていてそんな馬鹿なことをする奴ぁいねぇ」
「そうだとしても」
「うるせぇ! お喋りは終わりだ。泉に着いたぞ」
足を止めたガルはそう言って顎をしゃくり、右手にある高台のほうへと顔を向けると、口の片端を持ち上げて「三本勝負といこうぜ、ラナク」と隣に立つラナクを振り返って言った。
「勝負?」
「あぁ。先に二つの試練を達成したほうが勝ちだ」
「そんなことをしてなんになる」
ガルは嘲るように鼻を鳴らすと、「忘れたのか?」と鈍い光を放つ銀灰色の瞳でラナクを上から見下ろし、「シャンティだ」と不穏な笑みを浮かべた。
「話はつけたんだろ?」とラナクは広場でのガルの言葉を思い出し、「なら、勝負なんてしなくても、試練を達成すれば二人で祝福は受けられる」と言った。
「聞いてなかったのか? 祝福だけじゃねぇって言っただろ」
続けてガルが「俺がつけた話はよぉ」と言って間を空け、「勝負に勝ったほうと夫婦の契りを交わすって約束だぜ」と口の片端から歯を覗かせると、ラナクが翡翠色の瞳を大きく見開いた。
口を半開きにして驚きを隠せないでいるラナクを尻目に、「それじゃあ」と徐に呟いたガルは、「勝負開始だッ!」と言うが早いか高台へと向かって駆け出した。
岩場の陰へと走ってゆくガルの背中を眺めていたラナクは、急に弾かれたように身体を起こし、ほとんど引き摺るようにして持っていた刀剣を両腕で抱えると、揺れる一房の黄金色の長い髪を追って足を踏み出した。
岩場の背後の傾斜から高台へと上がってきたラナクは、緑豊かな草木の繁る原野の前で立ち止まり、左手に並ぶ大木の陰に佇むガルを見つけて「おい、ガル」と声を掛けると、その背中へ近づいていきながら「おまえ、前にも来たことあるのか?」と訊ねた。
「静かにしろ」
ガルの刺すような囁きにラナクは息を呑み、耳を澄ませて周囲の様子を窺った。枝葉が揺れる音ではなく、ちょろちょろという水の流れる音が近くでしている。
「ここの魔物は音に敏感だとタナンが言ってただろ。逃げられたらどうする」
その言葉にラナクが眉を顰めて「なにがいけないんだ?」と訊ね、「無駄な戦闘をしなくて済むじゃないか」と正面を向いたままのガルに言った。
「いいか、ラナク」と首を傾けてラナクを見たガルが、「連中を生かしておくせいで繰り返し水が汚染されているんだぜ?」と嚙んで含めるような調子で説明する。
「でも、可能な限り戦闘は避けろって」
「可能な限りだ。絶対じゃねぇ」とガルは銀色の瞳で睨みをきかせ、「邪魔はするなよ」と小声で凄み、「一本目は俺がいただきだ」と言って木陰を伝うようにしてそろそろと静かに移動をはじめた。
ラナクはガルとは反対側にあたる、右手の草叢へ向かってゆっくりと移動しながら、タナンの話の内容を思い出していた。
慈しみの泉に現れる魔物は、成人の儀が行われる時期になると水に毒素を流す。だがそれは、高台に自生するタンタニカの花粉で浄化ができる。たとえ毒を含んだ水を飲んでしまっても、ただ不浄とされるだけで人体への実害はない。
そこで、この魔物はなぜそんなことをするのか、という疑問がふとラナクの頭に浮かんだ。わざわざ実害のない毒を水に混ぜて目立ち、人間に討伐されるような危険を冒す目的は何なのか。そもそも、人には害がないとわかっている物質をなぜ毒と呼ぶのかと。
水の流れる音が大きくなったところで、ラナクは音を立てないように注意を払いつつ、草葉のあいだから首を伸ばして原野の様子を窺ってみた。
平たい濃灰色の岩が堆く積み上がったものが鎮座しており、そのてっぺんの部分からは水が湧き出しているのが見える。
まるで透明な膜のように、岩の表面を覆う絶え間なく流れ落ちる水を目にしたラナクは、試練のことも忘れて初めて見る光景にすっかり心を奪われていた。
刹那、ラナクの手から離れた刀剣が草葉を揺らし、地面に落ちて重量感のある音を響かせた。すぐさま、テレデレ虫を潰した時のような「ギュギュッ」という甲高い声が近くで上がり、ラナクはそちらへ急いで顔を振った。
表面全体から曲がりくねった細い枝が無数に生えているような、人の頭ほどの大きさがある黒い球体が、地面に近いところにいくつか寄り集まって浮かんでいる。顔のようなものは見えない。鳥や動物、もちろん人間とも明らかに造形が違う。
魔物という異形の生物を初めて目の当たりにしたラナクは、恐怖よりも好奇心が大きく上回り、その浮遊している物体の集団に釘づけとなった。
さらによく観察しようとラナクが顔を動かした瞬間、視界の外から何かが物凄い速さで前方を横切ったかと思うや否や、浮いていた黒い球体がいくつも地面に落ちて潰れ、内容物らしき紫色の液状物質をその場へぶちまけた。
「クソッ! 二匹も取り逃がしちまった」
ラナクが魔物の死骸から視線を上げると、刀剣に絡みついた紫色の液体を切っ先から滴らせながら、悔しそうに顔を歪めているガルの姿が目に入った。
眼前の草叢を掻き分けて死骸へと近づきつつ、「ガル……これ、こいつらって」と驚きと怯えが入り混じったような声音でラナクが言うのを、「魔物だ。初めて見たのか?」とガルが先を読んで答えた。
ラナクは「初めて見」と言いかけて言葉を切り、「じゃなくて。いや、そうなんだけど」と言い淀み、「なぁ、こいつら、おまえを襲ってきたりしたのか?」と訊ねた。
「はぁ? そりゃあどういう意味だよ、ラナク」
「どうもこうも、そのままの意味だ。魔物が襲ってきたから攻撃したのかって訊いてるんだ」
ガルは「いいや」と答えてラナクを見下ろし、臆病ではあるもののどこか確固たる信念を宿したような翡翠色の瞳を目にすると、大きな溜め息をわざとらしく吐き出して頭を左右に振り、「おまえ、俺がさっき言ったこと、もう忘れやがったのか?」とうんざりした様子で訊ねた。
「忘れてない」
「だったら、なんだ? あいつらは人間に仇なす魔物だ。襲ってこようがこまいが、そんなことは関係ねぇ」
「でも、こんな」とラナクは地面に視線を落とし、広がりゆく紫色の液体を見つめながら、「こんなことをする必要はなかった」と感情を抑えるように呟いて死骸から目を逸らした。
「いい加減にしろッ!」
叫んだガルがラナクの襟元を左手で捩り上げる。
「よく聴け、ラナク。さっきも争いがどうだの資源がこうだの言ってたが、お次は魔物を殺すなだと? ふざけんじゃねぇ。俺の前でよくそんなことが言えるな」
ハッとした様子でラナクが目を見開く。
「俺の親父は魔物に殺された。因縁があったわけじゃねぇ。食われもしなければ、何かを盗られたのでもねぇ。ただ殺された。わかるか? おまえが想像するような意思や感情は連中にはねぇんだよ!」
ガルはラナクを突き放して「世界について調べているだぁ?」と嘲るように言うと、「おまえは本を読んで知った気になっているだけで、世界のことなんてなにもわかっちゃいねぇッ」と吐き捨てるなり、踵を返して泉のほうへと歩いていった。
歩き去るガルを眺めながら呆然と立ち尽くしていたラナクは、黄金色の髪が泉の陰に隠れた辺りで上がった「ラナクッ!」という鋭い声を耳にし、その声音にただならぬものを感じて身を強張らせた。
「どうし」
「来てみろッ!」
ラナクは魔物の死骸を跨いで岩の積み上がった泉へと近づいていき、辺りを警戒して周囲を見回しつつ、ガルの背中へ「騒ぐと魔物が逃げるんじゃなかったのか」と声を掛けた。
「それどころじゃねぇ」
ガルの右隣から顔を覗かせたラナクは、石と木材で組まれた水路の中に浮かぶ、腰より上の部分が丸ごと失われた人間の身体を見て目を瞠った。遺体を中心に水が紅に染まり、色を薄めながら下流へと向かって帯のように細く伸びている。
ラナクは遺体を目にした衝撃からだけでなく、辺りに漂っている血腥い臭いを嗅いだような気がして、背後を振り返りざまに地面へ手をつき嘔吐した。
「こいつぁマズイぜ」と呟いたガルは、「これをやった奴は、まだ近くにいる」と言って両手で刀剣を構え、まるでそこに見えない相手がいるかのように正面を睨みつけた。