新たなる決意
ザネマの発した実験体という単語に、これ以上ない不穏な響きを感じとったラナクは、「いやいやいやいやいやッ! そんなの無理無理無理ッ!」と頭を左右に激しく振りながら拒否の意思を必死で示した。
「だーからからから真似真似真似真似真似するなッ!」
「いや、だから、これは真似じゃなくて」
「うーるうるうる、うるうるせぇ! おーまえまえが俺で試せってって言ーったったんだろうろうがががががッ!」
「あれは、その、言ってみただけっていうか……」
「あぁんッ⁉︎」
ザネマの気迫に押され、言葉を濁しながらじりじりと後退っていたラナクは、煌空石が剥き出しとなっている壁際まで追い詰められ「他の、他の方法で代価を払うっていうのは……」と弱気な提案を口にした。
「他他他ほっか他の方法だーとだと?」
「そう! 例えば……あんたの知らない技術や知識を教え」
「ふーざふざふざふざけるなッ! おーまえまえごーときガーキの知識識なんなんていーるいるいるかッ! 大人しくしく俺の研究究の実験体体になーれなれッ!」
翅を激しく動かしながら迫り来るザネマに対し、眼前で両の掌を正面に向けて距離を保とうとするラナクが「俺は健康なんだ! どこも悪くない!」と声を上げ、魔導士から顔を背けつつ「なのに、それなのに……解剖されたり改造されたりして堪るかッ!」と叫んだ。
「解剖剖?」
「どうせ俺の身体を切り刻んで弄ぶんだろッ!」
「おーいおいおいおいおい! おーまえまえまえ、なーにかにかにか勘違いがいしーてるてるてるてるってる、みーたいたいたいだなななな?」
「違うのか?」とラナクが横目でザネマを見やる。
「俺俺は医者っしゃーじゃねぇねぇねぇ! そーんなんなんな血腥ぇ改良良良は滅多ったーにしーねぇねぇ!」
その言葉に安堵したのか、ゆっくりとザネマに視線を戻したラナクが「じゃあ、具体的にはなにをするつもりなんだ?」と問うと、異形の魔導士は「別別別べっつ別にたーいしたたたたこーとことことじゃねぇねぇねぇ! おーまえまえにゃ苗床床になーってもーらうらうだーけだけだけだ!」と説明した。
「苗床? 俺に植物の種でも植えつけようってのか?」
「そーうそうそうそう! そーのそのそのそのそーの通りッ!」
「な……冗談だろ⁉︎ そんなことしたって、なにも育つわけないだろ!」
「そーりゃそりゃそりゃりゃりゃりゃ、たーだの植物物の種種種だったったらたらななななな」
そう言うなり部屋の奥のほうへと飛び去ったザネマは、ラナクが一息つく暇もないほどの速さで再び彼の眼前に戻ってくると、「こーいついついついついつを、おーまえまえの脳内内に埋ーめ埋め埋め埋め込ませてもーらうらう」と言いながら、小指の爪ほどの球状に近い透明な多面体を両手で掲げてみせた。
透けた多面体には中身が見当たらず、種というよりかは昆虫の抜け殻や小動物の骨格のようなものを思わせる。
「この、透き通ったカクカクしてるのが種? って、これを脳に埋めるだってッ⁉︎」
「なーになになになに、すーぐすぐすぐすぐすーぐに終ーわるわるから心配配すーるするするするするな!」
「そういう問題じゃなくてッ! もっと、こう、手の甲とか腕とか、芽が出やすい場所に植えるもんかと……ってそれも嫌なんだけど、よりにもよって脳はないだろッ! 脳に植えて育ったら俺が死ぬだろッ! 絶対に死ぬやつだろッ! だいたい、それってなんの種なんだよッ!」
「いーいいいいいいいいいいーいか、よーくよくよくよっくよくよく聞ーけ聞け聞け聞っけ聞けッ! こーいついついつこーいつは『目覚めの種』種ってってって、あーりありありあーりがたいたい種種なんなんだぜぜぜぜぜッ!」
「説明になってねぇよ! それにありがたかろうがなんだろうが、とにかくそんなもん脳に埋めたら死ぬだろって!」
「だーからからから心配配いーらいらいらいーらねぇねぇねぇってののののの! そーれそれそれそれそれじゃあ、おーまえまえの脳内内に埋ーめ埋め埋め込む込むぜッ!」
「え、は? いやちょっと待」
ラナクがしどろもどろに拒絶するのを無視し、ザネマが魔法の詠唱を始めるや否や、種が青白い光を放ちながら魔導士の手から離れて宙に浮かび上がった。
「ちょッ、まッ、待て待て待て待て待てッ! 目覚めって、なにに目ざ、あああああッ!」
浮遊した種はゆるゆるとラナクの額へ近づいていくと、頭を激しく左右に振る彼の必死な抵抗も虚しく、まるで溶け込んでいくかのような滑らかな動きで皮膚の中へと沈んでいった。
「今なにか聴こえなかった?」
またもや誰に言うともなく訝しげな声を上げたシャンティに、部屋の隅に立つイブツが「ラナクとザネマが戻ってきたようです」と答え、「ほら、これでなんとかなりますよ。たぶん」と投げやりな調子で言った。
「戻ってきたからって、私たちの安全が保証されたわけじゃないでしょ! むしろ差し迫った状況になってるじゃない! ラナクにも早く知らせないと」
「そのラナクですが、今は少々込み入った状況にあるようですので、もうちょっとだけ様子を見てみましょう」
「込み入った状況ってなによ?」
「端的に言うと、とある種を脳に埋め込まれているところです」
「とある種を脳にって……なによそれ、気持ち悪ッ! 一体どういうことなの?」
逆立った淡青色の髪を右手で搔き上げたイブツは、「シャンティ。わたくしが盗み聞きした会話の内容を、あなたに話せとでも言うんですか?」とどこか冷笑的ともいえる態度で言った。
「は? あんた、なにまた急におかしなこと言いだしてんの? さっきまで話してたじゃない」
「やれやれ。さっきまでと今現在が同じだなんて、こいつぁとんでもない暴論だぜ。まったく今日日のお嬢さんときたら、イリモゲンガイとイリモビゲンカイに違いはねぇなんて言いやがるし。細やかさが美徳だったあの時代が懐かしくもなるってもんよ」
普段と違った口調で唐突に長口上を打ちはじめたイブツに、シャンティが「それも魔光石に含まれてた不純物の影響?」と怪訝そうな表情を浮かべて訊いた。
「いえ、ただの悪ふざけです」
「そういうのいらないから。ラナクたちの状況を教えて」
シャンティが冷めた声で話を促すと、イブツは「この気怠い空気に少しでも彩りを添えようと、わたくしなりに良かれと思って言ってみたのですが、どうやら逆効果だったようですね」と無感情に言い、「人間関係って本当に難しいですね」と人間のような感慨を漏らした。
「それで、それはなんの種で、どうしてラナクがそんな目に遭ってるわけ?」
「ラナクが脳内に埋められた種は、時の塔だけに自生するダガという食人植物の種子で、通称『目覚めの種』と呼ばれている珍しい物です。会話を聴いた限りですと、ラナクが種を埋められているのは、マージュの治療を頼んだ代価として、ザネマの実験体になることを彼が了承したからのようです」
シャンティは「それなら、仕方ないわね」と合点がいったように何度も頷き、「でも、初対面のラナクに珍しい種を使うだなんて、あのザネマって魔導士、意外と気前が良いのね」と奥にある横穴のほうへ顔を向け、「まぁ、いくら珍しくても頭ん中に埋め込まれるのはお断りだけど……」と呟いた。
「珍しいとはいえ、目覚めの種自体に物質としての価値は然程ありません。価値が出るのはその後、種が発芽して根や枝葉を伸ばし、苗床となった人間に特殊な能力が開花してから。ですので、たとえ誰に種を使おうと惜しくはないのでしょう」
「えっと、脳内で芽が出たら大変なことになるんじゃ……」
「この場合の発芽というのは物理的な現象ではなく、精神的な作用として新たな能力が発現することを指しています」
「待って。それって良いことじゃない? 代価で受ける実験にしてはずいぶんとお得ね」
何を思ってかイブツは即答せず、その髪と同じ水色の瞳でシャンティを見つめ返し、しばらく間を置いてから「そうですね」とだけボソリと言った。
ザネマの後に従い、家具の散らばった奥の部屋へと辿り着いたラナクは、座り心地の良さそうな椅子に身を沈めている二人を目にするや、「シャンティ! ミトシボさん!」とそれぞれに声を掛けた。
「遅かったわね」
「おぉう。用事は済ぅんだのっかぁ?」
ラナクは左手で額をさすりながら「ええ。代価も埋め……じゃなくて払ったので、後は帰るだけです」と言い、「連れてきてくれて、ありが」とまで言って言葉を止めると、急に申し訳なさそうな表情を浮かべて「あの、飛空船のこと、すいません……」とミトシボに謝った。
「んあぁ? あぁあ、気ぃにしっなくてもえぇわい。おっまえのせぇいでもねっしよ。そぉれに俺のシッマに行ぃっきゃあ予備の飛空船があぁっからよ。なぁんの問題もねぇわい。ゴハハハ!」
巨大な腹を抱えて豪快な笑い声を上げるミトシボから視線を外し、シャンティへと顔を向けたラナクが「なにか変なことされてないか?」と訊ねると、近くに浮かんでいたザネマが「そーりゃそりゃそりゃ、どーういういう意味意味意味だだだだだッ⁉︎」と激しい口調に合わせて翅をバタつかせた。
「いや、あんたが実験材料なんて言うから、なにか非人道的な扱いでもされやしなかったかと心配になって」
「しーつしつしつ失敬なななななッ! 貴重重な実験材料料だと言ーっただろろろろッ! 何度んどんど言ーわせわせわせわせやがるるるるるッ!」
ラナクが「わぁかったって。悪かったよ。だから落ち着けって」とザネマを宥めているところに、部屋の片隅からイブツが「あの、ラナク。ラナク?」と声を上げ、「わたくしのことは心配してくれなかったんですか?」と彼の背中に問い掛けた。
振り返ってイブツを見たラナクは「え、なんで?」と不思議そうな表情を浮かべ、「おまえってなんとかって金属で頑丈だし、魔法だって効かないんだろ? 心配する必要あんの?」とわずかに首を傾けた。
「そんな、酷い! どうしてわたくしのことだけ他の人と同じように扱ってくれないんですか?」
「いやだって、おまえ人じゃないじゃん」
「まぁ、それはそうなんですけど。ところで、ラナク。頭は大丈夫ですか?」
「はぁ⁉︎ なにおまえ唐突に喧嘩売ってくれてんの?」
「違います。誤解です。わたくしはあなたの身を案じて言ったまでで、あなたの教養のなさを侮辱しようなどという意図では決して」
「おーまえまえまえおーまえらッ!」とイブツの弁明を遮って声を上げたザネマは、「いーついついついついつ、いーつまでまで喋ってってやがやがるるるるるッ! 俺俺俺俺俺俺は、忙そがそが忙しいしいって言ーっただろろろろろ! 用が済ーんだんだんならならなら、とーっととっととっととっとと出ーていきいきいきいきやがやがれッ!」と喚き散らしながら、皆を追い立てるかのように部屋中をデタラメに飛び回った。
ザネマに血液の入った肉袋を渡し、ミトシボにも別れを告げ、アービチの空間転移魔法でスピリテアの地下室へと戻ってきたラナクたち三人は、部屋を去る前と同じ場所に横たわっているガルとマージュを目にするや、二人のそばへと近づいて微かな寝息を立てている彼らを見下ろした。
「ねぇ、ガルはなんでここで寝てるの?」
疑念の声を上げたシャンティに、ラナクは俯き加減のまま「それが、塔の怪物に近づき過ぎたせいで……ガルは」と言って言葉を切り、横たわるガルへと視線を彷徨わせ「ガルは記憶の大半を失ってて」と続けた。
「ちょ、冗談でしょ? 塔の怪物って、あの遺跡で見たっていう? そいつのせいで記憶が失くなったの?」
無言で頷いたラナクが「おそらく、もう俺たちのことも覚えていない」と落ち着いた声で言うと、シャンティは「そんな……」と声を詰まらせてガルを見下ろし、すぐに顔を上げ「ザネマは? またあいつに頼めば、きっと」と提案した。
「ザネマが魔法を使おうとしたら、ガルが叫び出したんだ」
「え?」
「ほとんどの記憶が失われても、魔法で殺された父親のことは覚えていたんだと思う。あの様子だと、魔法を使った記憶の回復は望めない。逆効果の可能性だってある」
するとイブツが「補足しますと、ザネマの魔法は改良に特化したものだと本人が言ってますので、ガルの記憶を回復させる助けにはならないと思われます」と口を挟んだ。
「じゃあ、どうすれば」
首を左右に振ったラナクが「それに、記憶は今も消えていってるらしくて」と言うと、シャンティが「どういうこと? 塔にいた怪物はやっつけたんでしょ? それなら、なんで?」と疑問を口にした。
ラナクが「わからない」と再び首を振る傍らで、イブツが「塔の怪物が粉々に飛散したのを確認してます」と答えた。
「とにかく、記憶が全部失われる前にどうにかしないと、ガルは……」
「なに? 記憶が全部失くなったらどうなるの?」
俯いたまま何も答えないラナクの顔を「ねぇ、どうして黙ってるのよ……ねぇ、ラナク?」と下から覗き込もうと首を傾けたシャンティは、押し黙っている彼に「ねぇってば。ちょっとやめてよ」と重ねて声を掛けた。
それでもラナクからの返事はなく、その態度から彼が言わんとしていることを察したのか、シャンティは急に顔を上げると「嘘でしょ……」と声を震わせながら両手で口元を覆い隠した。
ラナクは「この、ガルの剣が記憶を繋ぐ最後の糸だって、メイナさんが」と床上に転がる折れた刀剣へと視線を移し、徐に顔を上げると「シャンティ」と少女の瑠璃色の瞳をまっすぐに見つめた。
「俺、タンキュウシになることに決めたよ」
シャンティが小首を傾げ、「タンキュウシ?」と訝しげな調子でラナクの口にした単語を繰り返すと、イブツが「ラトカルトで旅商人と呼ばれている人たちのことです」と簡潔に説明した。
「ガルは秘薬の材料探しを手伝ってこうなった。責任は頼んだ俺にある。だから、俺はタンキュウシになってガルの記憶を取り戻す方法を探そうと思う。それにそうすれば、ひょっとしたらどこかでスノ」
「なんだい? アンタたち、帰ってたのかい?」
突然、部屋に響いた女性の低い声に言葉を止めたラナクは、背後を振り返って戸口に立つ女主人の姿を目にするや、「メイナさん!」と彼女の名を大声で呼んだ。
「うるさいねぇ。そんなに怒鳴らなくとも聴こえてるさね。どうしたんだい?」
「あの、タンキュウシになる方法を、もう一度詳しく教えてください!」
「探求士?」と片眉を上げて繰り返したメイナは、「興味があるのかい?」と戸口に寄り掛かって腕を組み、「だったら、登録ついでに探求士協会へ行きゃあ済む話さね」と続けた。
ラナクが「登録ってなにを」と言い掛けたところへ被せるように、シャンティが「メイナさん」と声を上げ「これをパト先生から預かってきました」と言いつつ戸口へと向かい、腰の革袋から小さな黒い立方体を取り出してメイナに手渡した。
「材料の代価だって」
「ああ」と物体を摘んで天井の照明に向かって翳したメイナは、何度か角度を変えて立方体の中を透かし見るようにしていたが、やがて正面にいるシャンティを見下ろすと「これがなんなのか、ヤツから聞いているかい?」と訊ねた。
「いえ、なにも。なんなんですか、それ?」
「なんだろねぇ? 魔光石かと思ったけど、こいつからも魔力は感じないんだ」
「えっと、こいつからもというのは、どういう」
メイナは奥にいるラナクへと視線を移し「ラナク。あれを見せてやりな」と言って顎をしゃくった。命じられた彼は腰につけた革袋へと手を入れ、小さな深紅の玉を取り出すと、躊躇いもせずシャンティへ向かってそれを放り投げた。
「ちょ、投げッ⁉︎」と目を見開いたシャンティは、飛んできた赤玉を取り落とすや「きゃあ!」と短い悲鳴を上げて身を竦め、起こる悲劇に先んじて「ごめんなさいッ!」と目を瞑って耳を手で覆った。
「メイナさん。もう一つ訊いてもいいですか?」
幼馴染みの少女を無視して声を上げたラナクに、赤玉を拾い上げたメイナが「質問が多い連中だねぇ。もう最後にしとくれよ」と言いつつシャンティの肩を叩き、「ほら」と振り返った彼女に硝子玉を手渡した。
「え? 割れてな、瑕もついてない!」
「さっき、ガルが英雄の末裔だって話をした時、巡り合わせがどうとかって……あれはどういう意味ですか?」
「あぁん? そんなこと聞いてどうするんだい?」
「いや、その、なんだか懐かしいものを思い出してるふうだったんで、それでただちょっと気になって……だって、あの英雄の話って、確か百年ぐらい前のことだってガルが」
「なぁに、大したことじゃあないよ。あたしの祖母さんが寝物語によく聞かせてくれた、ユーハリヌス・レイネルと魔導大戦で共闘したって武勇伝を思い出しただけさ」
話が一区切りつくのを待っていたらしく、メイナが話し終えるなりシャンティが「これ、中で雷が光ってる!」と興奮した声を上げ、「どうなってるんですかッ!」と好奇心を湛えた顔を輝かせた。
「まぁた質問かい……さぁてね、それは調べてみないとわからないねぇ。でも、そいつは床で寝てる坊やのものなんだ。だから」
「ガルの? なんでこんなものをガルが」
「詳しくは後でラナクから聞きな。それから、この四角いヤツ」とメイナは手に持った黒い立方体をもう一度明かりに翳し、「コイツも調べてみる必要がありそうだねぇ」と独り言ちた。
「あの、そんなもので材料の代価になりますか?」とシャンティが遠慮がちに訊ねると、メイナは「アイツが代価に寄越したんだ。少なくとも、ただのゴミってことはないだろうさ。必要な材料を好きなだけ持っていきな」と気前よく言い放った。





