雷鳴
人ってどうしたって、自分には甘くなってしまうもので。自分は悪くないと思いたがる気持ちは、誰だって持っていますよね?
それに、今は、『自分が悪い』と思うことが、まるでよくないことのようにとらえられている気がします(いずれ、このことをテーマにお話を書く予定です)。
だけど、自分に非があれば認める、ということは、相手のためではなく、自分自身のために、とても大切なことで――。
自分が悪かったと思うことが自分の心を守ることに繋がることがある。ぜひ、読んでみてください。
人からキツいことを言われたとき、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』って処理をしていたら、本当になんにも悪いことしていないか、不安になった針の番人に指で心臓を突っつかれて、心がぞわぞわ不安になる。ミヤくんはそう言った。だから、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしちゃえば心が傷つかなくていいよね、なんて単純な話じゃない、って――。
それにさ、と、ミヤくんが話を続ける。
「自分に悪いとこあったっていうコトを受け止めるのって、やっぱしんどいやん?」
「え?」
「『自分に問題アリ』にすると、自分に悪いとこがあったって、自分で認めることになって。自分に悪いとこあったんだー、って自覚せざるを得なくなるから、自分が悪いコトしたってことから逃げらんなくなる。それはしんどいからさ、『自分に問題ナシ』にしちゃいたくなるっていうかさ?」
「しんどい……?」
「んーと、なんていうか、『自分に問題アリ』にしちゃうと針の番人に針で突っつかれるから、『自分に問題アリ』にしちゃいたくなくて、『自分に問題ナシ』にしちゃおうとする、っていう説明じゃ、わかりにくい人でもさ?」
「うん?」
「『針の番人に針で心臓を突っつかれて胸が痛くなる』っていうのはもののたとえで、針の番人の話抜きにして、自分の経験っつーの? これまでの自分を思い出して考えてみたらわかると思うんやけど」
ミヤくんに言われ、自分が悪かったと思ったときにどういう感覚になるかを、自分の中から探り当てる。
「うん。なんていうか、胸が塞がるカンジ、って言うのかな? こう、ぎゅーって胸のあたりが重くなったようなカンジになったりするよね?」
僕が正直に言うと、ミヤくんが小さくうなずく。
「そうそう、そうなんだよー。そんなカンジになるよなー。……ってことでさ、『自分が悪いコトしたんだ』って思うのって、きっと誰にとってもしんどいことなんだろうな、って思うワケで」
まあ、その辺のとこタカ兄に聞くと、これでもか! ってくらい語られまくられちゃうんだけど、とボソボソ。ミヤくんのちょっと疲れたような声音と、「語られまくられ」たという言い回しから、天平くんの話がすごかったんだろうな、とうかがい知れる。
ミヤくんは軽く頭を振って、気を取り直すように、短く息を吐く。それから、
「えっとまあ、そういうワケで。さっきの針の番人の説明じゃ、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしちゃいたくなるの、よくわからない人でもさ? 自分が悪いコトしたって思ってしんどくなるのがイヤで、自分に悪いとこなんてなんにもないぞ、って思おうとしちゃったりする――とかさ? そういう心理だったら、理解できるんやないかな?」
僕に質問するというより、誰にとはなしに問いかけるように言う。
仕分け人や針の番人のたとえ話は、イメージさえつかめれば……小人たちの世界がわかってくると、自分の心の状態を想像するのが楽しくなっていいな、って僕は思うけど。小人の話は抜きにして、ふつうに自分の感覚で考えてみると――。
自分が悪いって思いたくなくて、「悪くないもん!」って突っぱねちゃう。――そういうのは、確かに、割とあったりするものかも……? やっぱり、誰だって、自分が悪いって思うより自分は悪くないって思いたいよね?
「けどさ、自分は悪くないって思おうとしてもさ?」
と、ミヤくんは話を続ける。
「例えば、友達から意地悪されたけど、それが、八つ当たりやおもしろ半分で友達を怒鳴りつけたり殴ったりしたせいだった場合とか。自分が先に友達にひどいことしてるのに、そのことを棚に上げて、自分には問題ないってことにしちゃおうとしてもさ? それは――さすがに無理があるやん」
苦いものでも食べたときのように、顔をしかめるミヤくん。
「……それはそう、だよね」
八つ当たりやおもしろ半分で、友達を怒鳴ったり、殴ったりしたら、それは自分に問題がある、って思う。怒鳴るとか殴るとか、そんなのいくらなんでもひどいことしてる、って思う。それなのに、自分に問題がないことにしようとしちゃうなんて――さすがに無理があるよ。
「ま、怒鳴るとか殴るとか、そこまで露骨に悪いってわかるようなことじゃなくても、相手の気に障るようなことをしたせいで、相手からキツく当たられてることってあると思うんだけど。そういうときって、やっぱり心ん中で、なんか引っかかるもんやない?」
「引っかかる?」
「自分が相手の気に障るようなことしたせいで相手からイヤなこと言われた場合はさ、イヤなこと言われたのは自分が相手の気に障るようなことしたせいだってことが、なんかわかってる、っていうかさ? 自分が悪いって自分の中でハッキリ認識しているわけじゃなかったとしても。ハッキリしていない、モヤモヤッとした、感覚的なとこではわかってるカンジ?」
ミヤくんは、自分で言いながら首をかしげ、もどかしそうに眉を寄せる。
言葉にしてどう言えばいいかはわからないけど、ミヤくんが何を言いたいかは、僕にもわかる気がした。自分が先に、八つ当たりやおもしろ半分で友達を怒鳴ったり殴ったりしておいて、自分は悪くないって思おうとしても無理がある、っていうことだよね? なんていうか、要するに、自分が悪いってことを棚に上げようとしても、自分に悪いとこがあったら、棚に上げることに抵抗を感じる、っていうか――。
「結局、人ってさ、自分に悪いとこがあった場合は、頭の中や心の中のどっかで、自分に問題あったってこと、うっすらわかっていたりする、ってことなんだと思う」
「うん」
「けど、そしたらさ? 自分に悪いとこあったら、心の中や頭の中のどこかで、自分に悪いとこあったっていうのが残るから、そういうのが自分の中に残っていくと、『疑心暗鬼』っつーの? 自分は悪くないって思いつつも、その傍らで、ホントは自分が悪いのに、って思いがむくむく沸き上がって、『自分は悪くない』と『自分が悪い』がせめぎ合って、心が落ち着かなくなってしまったりすると思う」
「……うん」
ミヤくんの言うことに、僕はうなずきを返す。
自分に問題があることまで『自分に問題ナシ』なことにしてしまおうとしたって、そんなのうまくいくはずない。だって、自分に問題のある場合に、自分に問題ないってことにしてしまったとして、それで本当に自分に悪いとこがなかった、ってことになるわけじゃないんだから。
それどころか、自分に問題のあるときでも自分に問題がないってことにしてしまうことで、人の心は落ち着かなくなる。
「疑心暗鬼って、疑う気持ちがなくならない限りつきまとうもんだからさ? 自分が悪いのか悪くないのか、せめぎ合いがずっと続いたら、自分が悪いことしていないときだって、自分が悪いことしてるかもしれないって疑うことになっちゃうだろうし。心の中をずっとずっと疑心暗鬼な不安に支配され続けることになるかもしんない」
渋い顔でミヤくんが言う。
自分が悪いことしたときに自分が悪かったって思うだけでもしんどいのに、自分が悪くないときまで、自分が悪いかも悪いかもって不安が続く――。
「けどそれじゃあ、心が楽になったりしないやん? 自分が悪いんかもって気持ちが抜けきれなくて、心が休まらないだろうからさ?」
「うん」
ミヤくんの言うのにまたうなずいて、僕は考える。
針の番人の話であっても、ふつうの感覚の話であっても、要は、自分に悪いとこあるのに、自分は悪くないって思おうとしても、自分は悪くないって心の底から思えるものじゃない、ってことで。自分に悪いところがあるのに自分は悪くないって思おうとすると、自分が思おうとしている『自分は悪くない』を信じ切ることができなくて、本当に自分が悪くないかどうかわからなくなってしまう。そんなことしていたら、胸が痛くなったり、『自分が悪いんだ』っていう苦しみに直撃を食らったりしなくてすむかもしれないけど、心が休まらないまま、暮らすことになる。――ってことだよね?
針の番人に心臓を突っつかれたら痛いけど。自分が悪いって思うときの胸のふさがる感覚も苦しいけど――。
針の番人に与えられる痛みは、受け止めなくちゃいけない痛みだし。自分が悪いことしてたときに自分が悪かったんだって思ったときの苦しさだって、自分が悪いことしてたときに自分が悪かったことを受け止めるのは当然で、逃げようのないことで――。
なのに、その痛みや苦しさを放棄しようとしてちゃ、ダメだよね? しかも、それで心が楽になるどころか、引き換えに、疑心暗鬼な不安を抱えなくちゃいけなくなるだけなんだとしたら、痛みや苦しさから逃げ出す意味があるのかな?
疑心暗鬼な不安って、しんどいよね?
自分は悪くないって思おうとしても、悪いかもしれないっていう疑いがぬぐいきれなくて、悪いかも? 悪いかも? って声が心の中で鳴り響き続けるってカンジ――?
あれ? 何か引っかかる。
ついさっきも、同じようなことについて考えたような――?
と、ミヤくんが口を開いた。
「ほら、『母さんがオレにキツく当たるのって怜音が病気がちなせいで不安になってるんだろう、って。それって、いつ落ちるかわからない雷におびえてるのかも?』って話をしたけどさ? 雷が落ちるかもしれない、落ちるかもしれない、っておびえてるのと、自分に悪いとこあるかもしれないって疑心暗鬼になってるときって、似てるような気がする」
自分で言って、そうだそうだ、とご納得のミヤくん。
落雷の話――。
そうだ、落雷の話だ。
自分が悪いかもしれないって不安になるのは、落雷におびえるのに似てる気がする。僕もそこが気になったんだ。
「雷鳴ってるときの、落ちるかもしれないし落ちないかもしれない、っていうのとかそうだけど。なんていうか、こうかもしれないけどこうじゃないかもしれない、みたいな? 二つのうちどっちに転ぶかわからない、みたいな状態って、すんごく不安で危なっかしいっていうかさ? どっちかに定まらないと、心って落ち着かない……みたいな?」
ミヤくんが言う。どっちに転ぶかわからないと話しているからか、右に左に首を揺らしながら。
「実は、そっちの方がツラい、って思う。――自分が悪いって思い知るのはしんどいけど、それ以上に、自分は悪くないって思いながら、でも、そう思いながらも、心のどこかで自分が悪くないって信じ切れないでいる方が、しんどいって思う」
言ってるうちに、胸の中がもやもやしてきたのか、苦い薬でも飲んだように顔をしかめ、ふーっと息を吐く。
「っつーワケで、自分に悪いとこがあるならあるで、自分に悪いとこあったんだ、自分に問題あったんだ、ってハッキリさせた方が、グラグラ不安になんなくてすむからさ? なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしちゃうのは、得策じゃないってコト!」
ビシッと結論付けた。
つづく
お読みいただき、ありがとうございます。
自分が悪いことしていても自分は悪くないと思おうとする人、いると思います。
(そうではなくて、この人が悪いと思っても、その人本人は自分の非に心の底から全く気づいていない――ということもありますが。そのケースに関しては、いずれ『人類最強説』で語れれば……)
だけど、そういうのってやっぱりどこかでわかっていて、心がすっきりしないものだと思います。
逆に、そこを押さえておけば、自分に非がないときに、そのことを悪くないと心の底から思える――心を守ることに繋がるのでは?
ということで、次回は、どうやって、自分に非があるか、非がないかを判断していけばいいのかについての話になります。ぜひ、お読みください!