白鶴の機
気付くと、辺りは暗闇に染まっていた。クラスは不穏な足音が響き、音が胸を伝って惑わせる。
(誰も居ない学校……)
その足音はあろうことか、私の居るクラスの前で止まった。
……!
み、見られたらどうしよう。絶対、気まずくなる。
不慣れな無言のプレッシャーを耐え忍ぶことを、無言で押さえつける。物音一つ立てないよう、潰れるような気持ちになる。
一分は経った。そのかすかに残る人影は、幽霊にも見えるかのようだった。そして、それは人間であることを知らされる。
「なか、た……」
……? 「無かった」? ということは!?
「……」
ど、泥棒だ。間接的に、私は人の物を奪ってしまった。越えてはいけない一線を、越えてしまった。
男の人だったことで余計、名乗れなかった。
迷っているうち、向こう側から諦めの根があがった。
「……帰るか……」
!
カタッカタッ。
行っちゃった。
(そんな)
すごく未練がましそうだった。それはそうだ。自分の物を取られたら、誰しもそうなるに決まっている。
(罪を、犯してしまった)
私もすごく後悔した。やめておけば、よかったのだろうか。
手元に残ったゲーム機を見つめ、閑散とした教室にただ一人居残った。
家に帰ると、いつも通りの暗い戸に砂だらけの玄関。安堵から、疲れがどっと押し寄せているのが分かる。でも、どんな家だろうと我が家が一番だ。
目が虚ろになるほど疲労している。そうして沈黙の状態でいると、お母さんが来ることに気付く。
「どうしたの、埜結。遅くて心配したのよ? また家出かと思ったわよ。父さん心配させちゃダメでしょう」
「う、うん、ごめんなさい」
父さんも心配したんだ……。あの引っ越し後の、学校から道を外した迷子の時は家出じゃないのに。―――ゲームをして遅くなっただなんて、言えない。それも、玄関近くにある時計を見ると7時半を超えている。
「あ、お母さん、あの―――」
「あら、埜結、お風呂入りなさい。最近冷えるわよねぇ。大丈夫よ、お父さんもそんなに気にしてないわ」
(さ、遮られた……)
返答を考えて間が開いたとはいえ、いつにも増して急にお母さんの癖が出た。でも、結局何かを言うのは7割方迷っていたため、逆に良かったかもしれない。すぐ、返事をする。
「あ、分かったよ。すぐ行く」
ここはとりあえず体も冷えてきてたし、これでいいはず。風もあったし、寒かったことは事実だ。これでゆっくりできる。
そうして一息付くと、胸に濁る感じが何故かあった。
「あら?」
(ん?)
お母さんの顔付きが、一変したことに気付く。あれ、何かおかしいところあったかな。心当たりが無い上、強ばってしまう。
「埜結、その手に持ってるのは……」
(あ!?)
しまった! 帰る途中、油断して手の中にαCSを出してしまっていた! ここで見つかると大変だ!
目まぐるしくお母さんを避け自分の部屋へ行き、その日を免れようとした。
明日は朝風呂でいい。そう心の中に言い聞かせ、布団の中に潜り込んだ。ご飯も、抜きでいい。
「あの子?」
気が混沌とする10月の夜、私はパッケージフィールドで作り上げた自分の箱物の様子を確認した。ゲーム機を開けた途端、光に包まれている箱の中の物が現れ、「パニッス」という名前が付けられていた。箱は独特な立体感をドット絵で帯び、「原草隠れの水晶」だったであろう緑と銀色の土台は透明になり、パニッスの頭の上へ浮いた。
(素敵……)
今のゲーム機って凄い。こんなことも出来ちゃうんだ。……でも、眠くなってきちゃった。そろそろαCSを閉じて寝ようかな。
次の日からは10月初め。席替えがやってくる。―――ゲーム機を、そっと返そう、屋上に。争いだけは、起きてほしくないから。盗みは、いけないから。
その時、私は知らなかった。昔に起きたゲームの壮絶な歴史と、絶大な世界観が詰まった様々な想いを。
朝。お風呂に入りシャワーを浴びながら、ゲーム機を取られたあの人のことを考えていた。複雑だけど、やっぱり返したほうがいい。一瞬でも楽しい思いをくれたあの人には、感謝しなきゃ。よし、放課後また行こう。
お風呂から出、朝ご飯の準備をする。
まず台所で米を洗う。炊いている間に野菜と鶏肉を切り、塩コショウをかけて野菜炒めにする。朝食づくりはいつも私がしている。今日はこれにより、まかなわれた。
鏡が目に留まった。……私の顔は地味だ。悲壮感も漂ってるし、独特なイケメンだ。
朝食をすまし、リュックを担いで鍵をかけて出かけた。
クラス1-È。ホームルーム時間二分前。クラスメンバーは賑わい、ワイワイ喋り声が響く。
「俺のパンむしり取るな!」
「私のバスケ部の先輩が」
「昨日のジャンプがさー」
「今日席替えじゃん!」
「シャー芯くれー」
バンッ。
「っさー始めっぞみんな。今日は席決めだ。まず出席、川田、有村、喜多島、水井―――」
(私の席は前ではダメだ。すごく窮屈な真ん中になったらどうしよう)
「先生! 二人ぐらい居ない気がします!」
「真面か。遅刻は処罰あるから気をつけろよ」
「あ! 佐野さんが登校してる!」
「佐野、遅刻……と。これで三回目だから鬼のプリント三枚だな」
先生が出席欄に丸付けをする中、後ろになるよう強く祈った。何となく、リュックのゲーム機が脳裏に浮かぶ。
「んじゃ、席決めするぞ。クジを引きに、出席番号順に来てくれ」
次々と生徒がクジを引き、私の番が来た。箱をガサゴソと奥の紙切れを手に取る。
「佳鳥、2番。野崎、30番」
2番……? 前かな……?
クジ引きが終わりクラスのみんなが先生に注目する中、後ろになるか不安になった。
そして、この後予想だにしないことが起きる。
「えー、では今から先生が前もって用意して書いた紙の番号の所に行ってもらう」
「「ええー!?」」
ん? あれ、そういうことか。みんなが驚くのも分かる。ちょっと、予想からズレた。
「さーわーぐーな。先生、これでも考えてきたんだぞ。文句がある生徒は今言いなさい」
―――まあ、本当に運っぽいしいいんじゃないかと、思った。引き次第で自分が運に選ばれるなら。
「えー、先生、それ前もって言ってくださいよ!」
! 一理ある。
「水谷。……あー、そうか。すまなかったな。みんな、すまない。先生、ちょっと不手際だったな」
「えー、そんなぁ。先生がこんな初歩的なミスするなんて」
ガヤガヤと、周りも騒ぎこんでいた。そこまで、気にしなくていいのに……。
「すまんすまん。そう荒立てないでくれ。……あ、ちょっとお知らせだ。みんな、先生の話を聞いてくれ」
(? ……先生の様子が、急変した……?)
辺りはまだ喋り声を出す生徒が居る反面、静まり返る生徒も居るようだ。
「どうやら、この中にゲームの持ち込みをしている者が居る」
え―――?
それって。
「その生徒は先生に押しかけてくるなり、こんなことを言い出した」
周りも一転、話に集中して聞き入れていた。私だけが、胸を締め付けられる。
「名前は伏せておくが、その生徒は秘密でゲームを楽しんでいたところ何者かによって盗まれてしまったようだ。先生、こんなことは一度しか言わないからな」
!
「返してほしいとのことだ。……ここへのゲームの持ち込みは、禁止だ」
あ……。
そんな……。私のせいだ。クラスのみんなは、不可思議そうな顔をしている。
「え、先生、それってどんな機械ですか?」
「そこで関係ない話を聞くんじゃない。ほら、席替えするぞ」
こぞって全員、去っていくように席を移動させた。私は切なさと敗北感から、すぐに移動できなかった。移動先は幸い後ろで近かったことで、放心状態からはすぐ逃れた。
「はあ……」
ちょっと机を動かすだけでどっと疲れが溜まった。どうして、こうなってしまったのかな。
少し泣きたい。涙は出ない泣きたさだった。こんなことが、永遠と続くの……?
焦燥感だった。どうしても溢れ出る劣等感が、自分を支配しようとしていた。盗みをした自分が嫌になった。
(…………)
………………?
え……?
と、となりにまさかとは思うけど、まさか。
憧れの、葉束くん……?
ぶっきらぼうにそっぽを向く彼が、何も信じないような眼差し。私とは反対の方向に眉をかしげ、目をひそめていた。
私が隣で、迷惑にならないかな。傍にいるだけで、特別―――
「おい、今時ゲームとか誰だろうな」
「ああ、マジでウケるんだけど」
(罵倒? 許せない)
「こんな時代遅れなことするなんて、やっぱゲームする奴なんて高が知れてるよな」
……ひどい。
「ま、俺たちもガキの頃はよくやったけど、許されるのは中学生までだよな」
! ……社会科の勉強で、私達が先生に言いつけられていること。一昔前に起きた、事故の数々。事件も多すぎた。就職難で世の中がニートだらけになり少子高齢化により日本の人口が極限に減り、原子力発電開発所に行ける人が少なくなりすぎたことで発電所はほぼ無人となり、軍隊の増援にも限界が来て原子力爆発が起きた過去が。風の力で北陸地方が大量汚染された50年前。―――インターネットが完全にコミュニケーションの場に向いてないということが認識されてからというもの、今の政治がネットに制限をかけたり、非公式のネット、小さなコミュニケーションの場はネットで政府に気付かれたら必ず駆除されるほどだ。それも、ゲームをする人の意地が汚いという魂胆が分かった途端、ゲームも日本の法律により中学生までの年齢制限を受けた。
仕方、ないんだ……。
「おい」
……? 葉束くんが、今の二人に怒ってる……?
「あ、葉束、昨日借りたノート返すよ」
「……ああ」
「んだよ……いくらクラスで成績標準、俺らより上だからっていきなりおいはねえだろ」
「……ああ、すまん」
? なぜだろう。葉束くんが自分から話を降りた理由が、不明だ。
「……ノート、どうせ役に立たなかったとか言うんだろ。お前らと関わるの、やめたいんだよ」
葉束くんが……壊れてる……?
「ああ!? んなこと言ってねえだろまだ! お前、あんま調子乗ってるともっかいばらすぞ」
ば、ばらす……? 何をだろう……。すごく、まずい感じがする。
「……やれよ。やってみろよ!」
!
孤立する気持ち
「よっしゃあああ葉束が遂に言ったああああ!」
「おーい、みんな、特大ニュースだぞ」
締め付けるように、悪寒が走った。
「んー?」
「なんだ?」
「なになに?」
「うるせえぞ」
自分にも問われてる気がして、ならなかった。
場が無機質に静まり返り、凍てつく目がしらを切った。
「なんと、この一ノ宮はゲームをしている」
「「「ええー!?」」」
……!
「尚且つ、先生にあんな杜撰なことを言ったのも、この一ノ宮による犯行とみた」
……そんな……私のせいだ……。
「え、マジで?」
「そうなの? 一ノ宮って真面目系のイメージあったのに」
「なんかショックだね」
「ああ、こいつ、いつも無口で成績も標準並以下だし、不機嫌そうな顔で感じ悪いよな」
ひどい……。
「やって無意味なゲームなんかして、ムキになって先生にまで言って。快楽にしか目が行ってないんだろ」
葉束くんは、黙ったまま聞いている。
「ゲームなんかに人生は無いからな! ははは! 所詮、ガキだったってことだ!」
周りの一部は、少し嘲笑うかのように葉束くんを見ている。
二人が、退屈そうに言った。
「えー、そんだけ? つまらなかった」
「あーうん、俺のテストの点数の話に戻るか」
(っ……)
手が、震えていた。私の手が。ゲームをしているだけで、恐ろしい見解を受けるんだ……。
―――と、思った瞬間。
「ゲームには意味はある」
え……?
言ったのは、葉束くんだった。
「なんだと?」
「おい、どこにそんな証明がある。狂ってんだろ」
辺りは、ざわついている。
「お前ら二人には分からなくていい。一生狭苦しい学校や勉強の折の中に居ろ」
二人は怒った。
「チッ……なにか引っ掛かりやがる。何でこいつがいつも正しいんだよ」
「ふん……お前を学力で負かせば良いんだな……? その言葉、覚えてろ!」
「……」
終わった。お互い啖呵を切って因縁は出来てしまった。”ゲームに意味はある”。すごく気になる言葉だったけど、私に分かる時は来るのかな……? ともかく、今は済んだ。
「はー、……」
……葉束くんが溜め息を付いた理由が、分かる。学校のこれからのことと、今のことだ。
そして私が、ゲームを返さなきゃ……!
キーンコーンカーンコーン。
ガラッ。
「はーい、国語の授業始めるわよー。今日の国語は忘れ物ないですね?」
気付いた私は顔面蒼白になった。
(あっ!? 筆箱を、忘れている……!?)
「忘れ物をした生徒は、すみやかに隣の生徒と見せ合うように!」
泣きっ面に蜂だ……。左は、窓。右は、少し俯いている葉束くん。ダメだ、今日一日何もできずにテストも赤点必至だ……!
「えー、では今からノートに沢山の古文を書くので、集中するように」
あわわ……何もできない。
―――その時。
書いてある言葉で、机の端に紙と鉛筆が置かれていた。
!
【使え】
置いたのは、葉束くんだった。
……優しい……。こんなことが、本当にあるなんて……。
追加で消しゴムを渡され、ただひたすら感嘆する。急いで、ノートに文字をギリギリ書き終えた。
「それでは、秋休み近いのでプリントを多めに出しておきますね」
「「ええー!?」」
プリントなら、なんとかなる!
反射的に気になり、下を見る。
!
葉束、くん……?
下を、向いて、いる……。
落ち込んでいる……。
黒澄んだ瞳が、脳裏に焼き付き印象的だった……。
続く