8 夢の花畑ですが
モーブも目覚める方法を知らないとなると、私にはもうお手上げだった。どうしたものか、と眉根を寄せて考えていた私に、モーブは静かに手を伸ばす。剣を握ってきた剣士でもある指先が私の眉間を擦って、私は驚きから弾かれたように顔を上げてモーブを見た。夏空のような笑顔が微苦笑している。
「難しい顔をしなくてもきっと大丈夫だよ。君なら出られるさ、ライラ」
「……っ」
思わず息を呑む私を見て、ちょっと、とセシルが不機嫌そうな声で割って入った。
「無責任なこと言わないでよ。現に僕ら、夢を渡り歩いてて覚めてないんだから」
あぁそうか、うん、とモーブは口の中でもごもご言うと手を逸らして私の肩に乗るコトの額を指先で撫でた。コトは嬉しそうに喉の奥をぐっぐっと鳴らす。
「でも夢から覚めなかったという人には僕も会ったことがないんだ。だから出られると思う。まだ寝ていたいって、体が言ってるんじゃないのかな」
疲れてるんじゃないか、と尋ねたモーブの言葉を思い出した。確かに体が疲れていればぐっすり眠りたいと私も思う。特に冷たい湖に飛び込んで体力もひどく消耗しただろうから、体が疲れきってしまっても不思議ではない。でも、夢を見ないほど昏々と眠るなら解るのだけど今の私はかなり頭も使っているから、夢の中と言えども限界があるような気がした。
「気づけばベッドの上、だと思うよ」
モーブの言葉に私は頷いた。モーブなりに気を遣ってくれているのだとも思う。根を詰めて考えても仕方がない。気楽にいこうと私も気持ちを切り替えた。
「ところでさっきの、翅の生えた女の子について教えてもらえないかな」
私の気持ちが切り替わったのを感じたからなのか、モーブが話題を切り替えた。セシルはモーブをチラリと見てから私を見る。私は頷いた。
「このくらいの小さな女の子。頭に虫の触覚が生えてるし、背中には虫の翅が生えてる」
セシルが両手で大きさを示しながらモーブに説明する。モーブは少し首を傾げて考え込むように目を細めた。
「僕が見たのは蜂の翅だ。お姉さんが見たのは?」
「蝶よ。それぞれ名前もあるみたい。私と会ったのがポンセ。セシルのところで会った子が言っていたのは、ミモザに取られちゃうって。こういうカケラを集めてるみたいなの」
私は蝶の翅をした女の子が落としていった虹色のカケラをモーブに見せる。モーブはそれを光に透かして眺めた。陽の光を受けてモーブの頬に虹の光が反射する。
「私のは甘じょっぱくて、セシルのは苦いみたい……って、モーブ!」
モーブは躊躇わずにカケラを口に放り込んだ。私の悲鳴みたいな声はもう意味をなさない。カラコロとモーブの歯にカケラが当たる音がする。口の中でカケラを転がしながらモーブは思案するように視線を上へ向けた。私はおろおろと毒でないことを願うしか出来ない。
「うん、砂糖みたいに割とすぐに溶けるな。確かに甘じょっぱいし、苦い。こういうのを集めてるというなら、うん、これは調味料なんだろうと思う」
調味料、と聞いて私は自分の中にストンと納得が落ちたことに気づいた。彼女らが虫の翅を持っているのも想像の手助けをしてくれた。蝶も蜂も、彼らは蜜を集める。
「その翅の生えた女の子たちの食事に必要なものなんだろう。味のない料理は物足りないって僕も知ってるからね。彼女らにとっては畑であり、餌場と言えるかな」
モーブは私とセシルと真っ直ぐに見た。
「この、夢がね」
夢が、蜜を集めるための花畑。モーブの言葉に私は得心して頷いた。セシルが息をつく。そんなことにも気づかなかったとばかりに頭を振るから、金の髪が揺れた。
「夢を管理してるのは女の子たちだ。彼女らが必要なものを集めれば自然と夢から覚める。そういうことだと思う」
うん、とモーブも頷いた。君がそう言うならそうなんだろうと。セシルが不機嫌そうに眉根を寄せたけれど、何か言うことはなくふんっとそっぽを向いた。
「お姉さんの夢でも、僕の夢でも、彼女たちは必要なものを集められなかった。だからその夢を見ている僕ら自身は目覚めることができない。いつもと違う夢だったからだ。いつも通り終えられなくて、彼女たちの手にも余った。お姉さんはどうして女の子に会ったんだっけ」
セシルに灰色の視線を向けられて私は答える。
「両親はもういない筈なのに、と現実との差異に気づいたからかしら」
セシルが何かを思うように少し目を細めたように見えたけれど、すぐに、うんと視線を逸らされてしまって確認することはできなかった。そのまま人差し指の第二関節で自分の唇を押すように触る。天使のような赤い唇はふに、と柔らかそうに形を変えた。
「僕の夢にはお姉さんが現れた。夢は終わらなかった。この調子だと此処の夢でも終わらなかったことになるかもしれないけど」
セシルがモーブを見上げる。いや、とモーブはすぐに首を振って否定した。
「夢は進んでいく。変わらないさ。変わるような夢じゃない、と言うのが正しいかな」
少し寂しそうにモーブは笑う。だからいずれ僕は目覚めると。
「あぁでも、その翅の生えた女の子にはちょっと会ってみたかったかなぁ」
モーブは辺りをキョロキョロと見回したけれど、翅の生えた女の子が現れる気配はなかった。
「僕の夢はどんな味がするのか訊いてみたかったのに。残念だな」
そうか、と私は思う。虹色のカケラが夢の味なら、私の夢は甘じょっぱいということになる。両親に甘やかされた幸せな時間と、もういないことを思い知る涙の味。それらが混ざった味なのかもしれない。
それならセシルは苦い思い出で。あんなことを言われたら、心に深く棘が刺さってしまっても仕方がないと私は思う。人は誰も助けてくれなくて、契約したいと言う魔物が助けてくれて。そんな夢をもし繰り返し見るようなら、人なんて憎くなってしまうだろう。
でもそうやって、夢はきっと人の在り方に深く関わってくるものだ。モーブが見られたがらないならきっと甘い味はしないし、理由もきっと其処にある。そして私はセシルのそういう根幹の部分を偶然とは言え覗いてしまったことになるのだろう。
「僕が目を覚ますまで、その翅の生えた女の子を探してみるというのはどう?」
突如モーブから提案された内容に、私は物思いから引き戻され、驚きからセシルと顔を見合わせたのだった。




