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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
4章 彩の導

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5 鐘楼の下で出会った人ですが


 良いこと、と私は大蛇の言葉を繰り返す。そうだ、と大蛇は頷いた。


「どうして、私に?」


 気に入ってもらえる理由が分からなくて私は首を傾げた。大蛇が微かに笑ったように私には見えた。


「前を向くように言いながら自分は足踏みをしているからさ。それはとても人間らしくて私はそれを愛おしく思うのだよ」


 私は言葉を飲み込んだ。決して褒められていないことだと思うけれど、大蛇の感覚は人とは違うのかもしれない。私はなんと答えて良いか分からず口を噤んだままだった。


「お前は解っているのに気づかないフリをしているのさ。どちらを選んだかで私が教える内容は変わる。まずはどちらかをお選び。そのままでいるなら、お前は永遠に誰かの夢の中から出られないよ」


 誰かの夢。その言葉に引っ掛かりを覚えながらも吟味する暇はなく、私は肯く以外になかった。周囲に小さな泡が立った。下から上へと登るそれを目で追えば、白い光が水面の向こう側に見える。眩しさを覚えて目を細めれば、大蛇がもぞりと動いた。


「私はそろそろ目覚める。お前たちも私の夢からは出て行きなさい。次の眠りの時、お前の答えを聞かせてもらおう」


 大蛇の目が私を向いて私はまた無言で頷いた。セシルが私の手を握る。その温かさにセシルを見れば、灰色の嵐のような目が私を見上げていた。行こう、とセシルが促して、私は頷くと足を出した。


「そうそう、夢を渡るのも結構だが、あまり遠くへ連れて行ってはくれるなよ」


 大蛇の声が追いかけて来て私は振り向いたけれど、もう沢山の泡に阻まれて大蛇の姿はぼんやりとしか見えなかった。こちらを向いているのかどうかも判らない。誰に言ったことかも判らないけど、私はセシルの手を少し強く握り直したのだった。


「お姉さん、夢の主が目覚める時にその夢に僕らが居続けたら、どうなると思う?」


 セシルが真剣な顔で私に問う。私が答えるより前に、セシルは自分の至った答えを口にした。


「夢が眠っている時にしか存在しない場所なら、僕らも一緒に夢を構成してるものの一部として解体されるんじゃない?」


「……走って、セシル!」


 私たちは手を繋いだまま走り出した。コトが私の肩で爪を立ててしがみついたのか感覚で分かる。耳元でめぇーと小さな抗議が聞こえたけれど、今は我慢してもらうしかない。細かな泡が立つこの光景が夢の分解ならば、この泡に巻き込まれて私たちも泡になってしまうかもしれない。だから大蛇はこの夢からは出るように言ったのではないか。


「早く、此処から出して……!」


 口の中に泡が入りながらも思わず溢れ出た私の言葉が言い終わるか終わらないかのうち、足は急激に乾いた硬い地面を踏んだ。もんどりうって転ぶ私はセシルの手を離すことを忘れてしまったので隣でセシルの悲鳴が聞こえた。咄嗟にセシルを抱きかかえて私は体を地面にしたたかに打ったけれど、夢の中のせいか思ったよりも痛くはない。


「わっ」


 私が転ぶ時に危険を察知したのか離れたコトが、セシルの背中に宙を待って着地する。その感触に腕の中でセシルが再び声をあげた。私はセシルが腕の中にいることと自分が下になっていることを確認すると、安堵の息をついて空を見上げた。青い空はまるで秋のように高かった。


「お姉さん、大丈夫?」


 セシルが慌てて起き上がる。心配してくれる顔に、私は微笑みを返した。あんなに人に対して憎悪を向けていたのに、私には心を許してくれたのだろうかと思えば嬉しくもなる。


「僕、お姉さんを守るって言ってたのに」


「転んだのは私よ。巻き込んでごめんね、セシル」


 手を貸してくれるセシルに助けられながら私も起き上がる。コトが走って私の肩に再び収まった。先ほどまで水の中にいた私たちは何所も濡れてはおらず、立ち上がって服をパンパンと払えば土埃は簡単に落ちた。


「今度は何処に来たのかしら」


 あたりを見回しても森の沿道であることしか分からない。近くに何があるかさえ判らないし、特に背の高い建物も見当たらなかった。でもきっと此処も誰かの夢なのだろう。私たちは右か左か、進む方を相談した。


「夢の端っこかもしれないから此処にいてもまた目覚めの崩壊に()(くわ)すだけかもしれない。進むのには賛成だよ。方向はどっちでも良いけど、お姉さんは行きたい方ある?」


 セシルに委ねられ、私も特にどちらが良いという希望はないけれど、何となく左を選んだ。少し行って何もなければ戻ってみても良い。此処が私たちの出発点だと分かるように、目印に大きな石を道の端に置いておいた。


 長閑(のどか)な沿道は魔物の気配など露ほどもしない。平和そのもので、もしかすると村や街が近い可能性もあった。ビレ村を司祭様が守ってくださっていたように、ヤギニカの街門に警備兵がいたように、魔物から人の住む場所を守る人がいるのかもしれない。でも大蛇の夢に紛れ込んだように、人の夢とは限らないことも考えられる。夢を見る生き物なら。そんなことを考えていたその時。


 ゴーン、ゴーン。


 重たい鐘の音が響いた。私もセシルも驚いて立ち止まる。お互いに顔を見合わせてお互いに聞こえていることを確かめると、鐘の音がする方へ顔を向けた。鐘楼があるのは大抵、教会だ。森の沿道に教会があってもおかしくはない。


 私たちは鐘の音に向けて歩き出す。そうしばらくしないうちに、子どもたちの声が聞こえて来て私たちはまた足を止めた。沿道を数人の子どもたちが駆けてくる。彼らはまるで私たちが見えていないかのように楽しそうに笑いながら横を通り過ぎて行った。その中に見慣れた赤毛と銀がかかった金の髪を見つけて私は彼らを振り返る。


「ラス、ロディ……?」


 けれど二人は私を見なかった。そうかもしれないと思って見れば二人の面影があるような気がしたけれど、子どもたちは走っているからすぐに遠くなってしまった。


「ライラ?」


 呼び掛けられて私はまた振り返る。茶色の私の髪が遅れて視界を奪うから、その隙間に見た過ぎ去った夏空のような爽やかな青年が立っていることに気づくのが遅れた。握るセシルの手に力が入るのが伝わった。


「モーブ」


 魔王討伐を断念した勇者が、其処には立っていた。



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