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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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21 取り合った手ですが


「呪いは⁉︎ 呪いは解けたの、エミリー⁉︎」


 まろびそうになりながら辿り着いたオリビアが黒髪を乱しながらエミリーの両頬を包むように触れ、何処かに獣の残滓が残っていないか月明かりで確かめようとするように点検した。隣に立つアルフレッドや私たちのことはまるで見えていないようだ。


「お母さん、お父さん、あのね」


 エミリーが思い切ったように口を開く。追い着いたチャーリーとオリビアはエミリーが何を言うのかと彼女の顔を見つめて待った。チャーリーと同じ緑の目が二人を見つめ、勇気を出すように何度か口を開いては足りずに閉じる。疲弊した二人の様子を見れば、いくら巻き込むものだとロディが言ったって、今言わなくても良いんじゃないかと私でさえ思った。


 自分のために方々を探し回って解呪に必要なものを集めてくれた母親に、四六時中側にいて見守ってくれた父親。二人とも(やつ)れて目の下に真っ黒な隈を作っている。まずは労って心配をかけたと謝って、お礼を言って家族で過ごすべきなのではないか。エミリーがそう思ったとしても私には不思議ではなかった。


 今度のロディは助けるつもりはないのか目を閉じてエミリーが話し出すのを待っている。アルフレッドも黙っている。最初に打ち明けるのはやはり、エミリーでなければならないと思うのかもしれない。


「……呪いをかけたのは、私自身なの」


 エミリーが遂に口にした。オリビアもチャーリーもエミリーが何を言っているのか分からなかったようで、首を傾げて短く、え、と問い返す。エミリーは息を吸うと一瞬止めて、続いて勢い良く吐き出すと同時にごめんなさいと頭を下げた。


「呪いをかけようと思ってかけたわけではないの。ただ、強く強く願っただけ。それだけだけど、呪いになって私の外見を変えてしまった。お父さんにもお母さんにも沢山、迷惑をかけた。ごめんなさい。

 私、話してみたかったの。この村を守ってくれる凄い人に」


 エミリーは顔を上げた。一度止めてしまうともう勇気は出てこないと思っているのか、一気に話してしまうようだ。


「お父さん、話してくれたわね。魔物使いが守ってくれる前は魔物が村を襲うこともあったって。お母さん、教えてくれたわね。心を込めれば贈り物で気持ちは伝わるって。

 でも、私、会ってみたかったの。お話してみたかった。窓の外から見えたこともあったけれど、お礼は言えないまま。此処で見かけた時、話したかったのに私の体は全然動かなかった。悔しくて、同じになれたらって思ったの。彼と同じになれたら私、話せるんじゃないかって」


 エミリーの手が震えてエミリーはそれを自分で抑え込もうともう片方の手を重ねる。手を温めるように口元へ持ってきて吐く息を吹きかけ、苦しそうに笑った。


「こんなに色んな人を巻き込むことになるなんて、考えもしなかった」


 ごめんなさい、とエミリーは繰り返す。オリビアもチャーリーも言葉を失ったようにエミリーを見つめていた。オリビアの目がアルフレッドに移る。彼の目が獣の時のエミリーと同じと気づいたのか、ハッと息を呑んだ。


「ボクは、マモノ使いだ。父はあなたたちの言うところのマモノだし、母はヒトだ。ボク自身はヒトでもマモノでもない。村は両親が取り決めた約束でボクを此処に置いてくれている。共に短命だった両親がボクだけが残った後も生きていけるように取り計らってくれたものだと後から聞いた」


 オリビアと目の合ったアルフレッドが口を開いた。


「この村の外にいるマモノが入ってこないようにする。ボクの仕事はそれだけだ。協力してくれる動物もいるし、マモノでもボクの味方をしてくれることもある。村の皆は安全で、笑っている。時々、食べ物や着るものを分けてくれる。それだけで充分だった」


 何年か前、とアルフレッドは続ける。手編みの贈り物が食べ物と一緒に届けられた。帽子は大きくて目元まですっぽりと覆ってしまったけれど。


「あたたかかった」


 風を通さないように細かく編まれた目は身に付ける相手を想ってのものだ。感謝の気持ちは思いやりに姿を変えて彼の元に届いた。彼はちゃんと、其処に込められた想いを受け取っていた。


「ずっとお礼を言いたかった。でもボクは村に近付くと怖がらせてしまうから」


 やっと言うことができた、とアルフレッドは微笑む。エミリーは震えていた両手を胸に当てて首を振る。泣いてしまって言葉が出ないようだった。


「ありがとうエミリー。ありがとう、エミリーを育ててくれた、ヒトの子たち」


 金の目にオリビアとチャーリーが映り、細められた。間違いなく村を愛おしむ、村に住む人を慈しむ眼差しに、オリビアとチャーリーも首を振る。オリビアが両腕を広げてエミリーとアルフレッドを抱きしめ、オリビアの後ろからチャーリーも同じように両腕を広げて全員を抱きしめた。


「こちらこそ、いつも村を守ってくれてありがとう」


 アルフレッドから聞いていた話はやっと本人へ届いたのだと私は安堵した。もらった帽子が暖かかったと笑う彼は、その話をする時まるで子どものように純真だった。


「もし良ければ、私、もっとあなたのことを知りたいわ。教えてくれるかしら、あなたの名前や」


 エミリーが思い切ったようにアルフレッドを見上げて言う。それから遠くで見守るドゥーグへ視線を向けて。


「あなたの家族のこと」


 アルフレッドは瞠目した。そうね、とオリビアも頷く。


「家族三人で生きて行こうって話していたのだけど、あなたの話も聞かせてもらえると良いわね。私たちきっと、知らないことが沢山あるもの」


「お母さんの旅の話も聞きたいわ。私のためにどんなところへ行ったのか、聞かせてくれる?」


「とにかく大変だったことばかりよ。あなたは熱を出してしまうかも」


「熱といえばエミリー、体はもう平気なのか?」


「ちょっと疲れちゃった。呪いで姿が変わってる時は凄く元気なんだけど、人の体だとそうもいかないみたい」


 それはいけない、とばかりにオリビアもチャーリーも顔を見合わせると帰ろうと提案した。


「皆さんもどうぞ。あの家じゃなく、私たちの本来の家なら皆入れますから」


 チャーリーが私たちにも声をかけてくれる。ロディとラスは頷いて、お邪魔しますと答えた。


「あなたも」


 オリビアとチャーリーがアルフレッドにも促す。アルフレッドはまた瞠目した。


「あの狼もあなたの家族なのでしょうから、一緒にどうぞ。寝床はちょっと準備しないとならないけど」


 アルフレッドは動揺しているのか固まってしまった。何故、と形の良い唇が問いかける。オリビアとチャーリーはまた顔を見合わせて、微笑むとアルフレッドに向き直った。


「子どもをどうしても残していかなければならない時、一緒に何が遺せるか親なら考える。あなたにはそう考えられるように約束や家族を遺してくれた。あなたの捉え方がご両親の遺したものの影響を受けているなら、あなたのご両親は信頼できる」


 チャーリーは断言した。オリビアも疲労を隠せないながらも微笑んだ。


「あなたを育ててくれたご両親とご家族に、ありがとうと言いたいのは私たちもなんですよ」


 アルフレッドの月の瞳から星の滴が落ちた。キラキラと照らされる幾粒かの星は音もなく地面に染み込んだ。


「あぁ、あたたかい」


 アルフレッドは微笑んだ。穏やかに笑う表情は美しく、魔性さは鳴りを潜めた。それはただ、天使のような微笑みだった。


「さあ、帰りましょう」


 促され皆が足を進める。私ははたと気づいて振り返り、セシルのところまで走って戻った。ロディは嫌がるかもしれない。セシルも嫌がるかもしれない。けれどせめて、一緒に帰れたら嬉しいことは伝えたいと思った。エミリーを支えてくれたのは間違いないのだから。


「セシル、皆で帰りましょう。エミリーの元のおうちに招待してくれるみた……い……」


 言いながら私はセシルの様子に驚いて慌てて駆け寄った。セシルは自分を抱きしめるように腕を回し、体を小さく丸め膝をついて震えている。


「セシル⁉︎ 具合が悪いの? 大丈夫?」


 熱があるのではと額に触れようとした私の手を、セシルは振り払った。ぱし、と強い音がして、私は祭の夜を思い出す。強い拒絶と、酷く怯えた灰色の目が私を真っ直ぐに見た。


「ライラ?」


 様子を見に来たロディとラスが私の後ろから声をかける。足音からしてアルフレッドたちも追いかけてきたようだ。


「何で、何で受け入れるんだ」


 セシルが叫ぶ。目は私を通り越して遠くを見ている。振り返った私はその問いがオリビアたちに向けられていることを知った。


「魔物使いは得体が知れない。家に招いて大丈夫なの? 仲良く寝首を掻かれるんじゃないの? ありがとうなんて言われるべき相手なの? エミリーの言葉ひとつで疑わなくて良いの?」


 私はまたセシルを振り向いた。怯えに揺らぐ瞳は求めている。魔物使いを信頼して家に招くなどしてはならないと思い直して欲しいように。


「……君も魔物使いじゃないか。エミリーの側にいてくれた君も来てくれたらと思っているよ。それに私たちはエミリーを信じている。言えないことはあっても、嘘を吐く子じゃないから」


 チャーリーの言葉にセシルは顔を歪めた。今にも泣き出しそうで、私はセシルの名前を呼ぶ。けれどセシルには聞こえていないようだった。


「アマンダ! 見てるんだろう、アマンダ! 僕に、僕にこれを見せるために呼んだのか!」


 僕に、とセシルは続けながら体を折り曲げるようにして前屈みになる。私も一緒に屈みながらセシルの名前を呼び続けた。セシルは声を押し殺して泣いていた。それに気づいたのは、近くにいた私だけだろう。そこに。


「危ない、ライラ!」


 アルフレッドの声が響いた。




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