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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙
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20 交わらなかったはずの二人ですが


 自分に呪いをかけた。


 その言葉は私にとって衝撃的で、一度では意味を理解できなかった。呪いをかけることそのものも恐ろしいことだと思うのに、自分にだなんて。


 思わずエミリーを凝視する私の視線を、エミリーも感じたのだろう。微かに身動(みじろ)ぎし、それでも私を振り返りはしなかった。けれど俯いた様子でロディやアルフレッドの顔は見ていないようだ。


「……ボクが話してしまって良いのかな、エミリー」


 ロディは優しい声で話しかけるけど、エミリーの反応はない。ロディは息を吐くと続きを紡ぎ始めた。


「キミは正しく理解していた。呪いを正しく恐れていたし、正しく自分にかけた。それでも自分の気持ちに素直に従ったね。今まで通りでは話すことさえできない。どうか、と願った。“どうなっても良いから”なんて思わなかったかい?

 けれどほら、良い機会だ、話すと良い。彼も此処に来てくれた」


 私はロディに視線を移す。まさか、と思った。そんなことをにこやかに言うなんて。


「聞かれたくない話だろう? 特に、ヒトの言語では」


 エミリーは動かない。痺れを切らしたのかアルフレッドが歩み寄った。静かに一歩、それでも空気を震わせたその行動にエミリーは目に見えて緊張した。体を強張らせて、アルフレッドが来るのをただ待ち構えている。


 アルフレッドがエミリーの目の前に辿り着いた。金の目がじっとエミリーを見る。日暮れ前に見た彼の目は絶望的に冷たかったけれど、今はそんな色は見えない。ただ純粋に目の前のエミリーが何の話をするのかと待っているようだ。


 私は彼らを迂回してロディに近づく。ロディも私も彼らから目を離すことはないけど、ロディは私が近づいたらいつものように微笑んだ。


「ロディ、どうして」


 私が小声で(なじ)るとロディは小さく苦笑した。時間がないんだよ、とロディは言い訳めいて口にする。


「ボクだってもっと時間をかけてエミリー自身が自分の言葉にすべきだと思うよ。けれど彼を見ただけで呪いが()り返してしまうくらいなんだ。遅かれ早かれ同じことは起きていたさ。それなら、早い方が良い」


 ロディの口振りから私にも察しはついていた。エミリーは恋をしている。恋と呼べるかどうかも分からないものかもしれないけれど。


 エミリーがずっと窓辺から眺めていた外にしかいない魔物使い。アルフレッドにとっては家の中にしかいない少女。同じ村に住みながら、きっと一生交わることのない二人だ。


 エミリーは話にしか聞いていないかもしれない。アルフレッドだってエミリーの姿を見たことさえないかもしれない。言葉を交わしたこともないだろう。それでもエミリーは自分の姿を変えてしまうほどの呪いを自分にかけたとロディは言う。私はラフカ村で聞いたロディの言葉を思い出した。


 ――呪いというのは想いの力だ。想いは時に法則を無視することがある。


 あの時はラスの剣が効かないのに呪い自体はテオの体に触れることができるという意味の法則の無視だと思っていた。まさかこんな、自分にかけた呪いで姿を変えることがあるだなんて。


「いつから分かっていたの?」


「オリビアの話を聞いた時からかな」


「最初からってこと?」


 私が驚いて思わずロディを見上げれば、ロディはまた苦笑した。


「可能性のひとつとして考えていただけだよ。オリビアの様子を見ていればね、彼女の娘であるエミリーも強い想いを持てる人物かもしれないと思えた。呪術師がいれば解呪はそう難しくないだろうけど、外に要因がない場合――彼女自身によるものであるならば、振り返すことは充分に考えられたんだ。

 そして人の心を動かす事象(おもい)というのは多くの場合、恋、なんだよ」


 身を焦がし、身を(やつ)し、止められない想いは人に様々な力を出させるんだ、とロディは続けた。ただ話してみたいという一心で呪いを自分自身にかけてしまえるくらいに。


「ロディもそうなの?」


「えっ」


 私が何の気なしに問いかけた言葉はロディを随分と動揺させたらしい。目をぱちくりとして私を見るロディの顔なんて今まで見たこともなかった。


「そんな風に見えてたのかい?」


「ううん、そうなのかなって思っただけ」


「参ったな」


 そんなことはないんだけどね、と笑うロディの声が途切れて体ごとエミリーに向き直った。アルフレッドがロディのところへ戻ってくる。歩きながらアルフレッドは青年の姿に変化した。金の目がどんどんと上がってきて私はアルフレッドを見上げる。アルフレッドは困惑した表情を浮かべてロディに耳打ちした。


「聞いていた話と違う」


「そうかい? ボクはそう違わないと思うけど。だってキミら、相思相愛じゃないか」


 ロディはにっこりと笑って言う。私は目を見開いた。アルフレッドは眉根を寄せて益々困惑した表情を深くした。


「キミの家にお邪魔した時から知っていたよ。これから冬支度をしようって時にもう何年も使われてきた手編みの帽子も襟巻きも出してある。キミならまだ先まで必要なさそうなのにだ。でも、彼女なら喜んで新しいものを編んでくれるだろうね」


 私はいつの間にロディはアルフレッドの家にお邪魔したのか、と驚いてしまったけれど、アルフレッドは違う意味で驚いたようだ。ハッとしたように片手で自分の口を覆い、鋭くロディを見る金の瞳には失敗した、という思いが揺らいで見て取れた。彼の淡い想いが家の中なら無防備に曝け出されていても不思議ではない。まして彼を訪ねてくる人は彼の動向に関心はあっても彼自身に関心を向けることは少ないのだろう。そんなところから自分自身の気持ちが知られるなど考えてもみなかっただろうアルフレッドには初めての体験かもしれない。


「自分の気持ちを自覚したかな? 全くキミたち、自分たちの恋路に人を巻き込みすぎだよ」


 言ってから、いや、とロディは訂正した。


「恋は人を巻き込むものだったね。これからキミたちはエミリーのご両親に告げなければならないのだから」


 アルフレッドの表情が変わった。エミリーを振り返り、一瞬の躊躇いの後に彼女へ手を差し伸べる。エミリーも一瞬戸惑ったように見えたけれど、瞬きひとつの間にアルフレッドの隣へ走ってきた。さて、とロディは屈んでエミリーに視線を合わせて微笑む。胡散臭く見えるけれど、今は少し鳴りを潜めているようでもあった。


「エミリー、分かっていると思うけれど呪いはもう解けている。その振り返しもだ。呪いの様相を見せているに過ぎない。彼と過ごすのにどんな姿が良いかは自分で選ぶと良い。でも、ご両親にはご両親に分かる言語で伝える必要があると思うよ」


 安心して、とロディは続ける。


「キミをずっと大切に想って育ててきてくれた人たちと、キミたちに、祝福がありますように」


 心からの祈りの言葉はエミリーに勇気を与えたのかもしれない。エミリーは頭をひとつ振ると、すっくと立ち上がった。棒のような細い人の足で立つ彼女は少しふらついたけれど、アルフレッドが咄嗟に支える。二人とも月明かりでも分かるほど真っ赤になっていて、緊張した面持ちでいて、それでいて満ち足りた様子だった。そしてその二人を、私はとても綺麗だと思う。


「エミリー!」


 ドゥーグが避けたのか、オリビアとチャーリーの声がして、次いでこちらへ走ってくる音がした。彼らを振り返り、エミリーたちを振り返った私は自分の伸びる影のずっと向こうにセシルが立ってこちらをじっと見ていることに気づいたのだった。



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