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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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19 湖への道中ですが


 湖までは一本道だ。それでもランタンがないと足元は暗くて躓きそうになるから、やはり持ってきて良かったと思う。セシルは暗闇でも目が見えるらしく、セシルの足元も照らそうと四苦八苦する私に苦笑して大丈夫だよと教えてくれた。


「お姉さんも魔物使いなら夜目が利くと思うけど、天職じゃないとそんなこともないのかな」


 確かに暗闇に潜む魔物も手懐けてしまう魔物使いが夜だからよく見えないとなれば身に危険が及ぶこともあるかもしれない。“適性”についてはまだよく分からないことが多いけれど、そういう体質を持って生まれてくるから診断は行える可能性もある。


「お姉さんは、何ていうか、変な人だね」


「えっ」


 私は驚いてセシルを振り返った。ランタンの揺れる灯りにセシルの浮かび上がる表情も陰影を変えたけれど、彼は目を伏せて彼自身もどんな表情を浮かべれば良いか困っている様子だった。


「僕を恐がらないのは、お姉さんも魔物使いの適性があるから?」


 言われて初めて私はもうセシルをそこまで恐れていないことに気付いた。モーブの腕を切り取ろうとしたことは変わらないし、彼もそうすることを躊躇うようにはなっていないだろう。そういう行動に出る彼を怖いとは思う。けれど底知れない恐怖というのではなく、何かそうせざるを得ない状況に身を置いてきたのではないかと思うようになっている。


「でも、忘れたら駄目だよ。無防備に背中を向けて、僕に気を許すなんて駄目だ。見ていたでしょう? 僕が、どういう生き物か」


 とん、と軽い足音がしてセシルが私との距離を詰める。私が反応するより早くセシルは私の背後に立つと私の腰に両腕を伸ばしてそのまま私を抱き(すく)めた。するりと動いた彼の手が私の腰のナイフを抜く。下から切っ先を喉元に突き付けられて私の喉が鳴った。全てが一瞬で私の頭はひとつひとつの事象を理解するだけで精一杯だった。


「生きるためには何だってしてきた。お姉さんは知らないでしょう? 人の体に刃物が入り込む時の感触も、その目から命が消えていく瞬間も」


 知らない。私は魔物使いの境遇を知っただけでセシルの過去なんて何も知らない。けれどセシルはそれらを知っているのだろう。私のような隙だらけの人間の背後を容易く取ることができるくらい、何度も危ない道を渡ってきたのだ。私の胸くらいまでしかない背丈なのに私よりもよっぽど。けれど。


 私の腕は自由だ。片手にはランタンを持っているけれど、もう片方の手は完全に自由。私が動くより先にセシルは私の喉を掻き切れるという自信の表明かもしれないけど、でもきっと。


「セシル」


 私は努めて優しく声をかけた。そして空いている手をナイフではなく私の腰に回されているセシルの手に重ねる。セシルは驚いたのか小さく体を震わせた。見ているだけなら気付かなかっただろうけど、触れていればすぐに分かる。思っていたよりも小さな手だった。けれど思った通り苦労してきた手でもあった。


「嫌ならやめられるのよ。私は何度だって貴方を止めるわ。叱って欲しいならいくらでも叱ってあげる。でも今はエミリーを探すのが先決だから、離してもらっても良いかしら」


 セシルは何も言わず、腕を下ろすと私から一歩離れた。私は振り向いて無言で掌を差し出すとナイフを要求する。セシルは目を伏せて私の手にナイフを乗せた。


「ありがとう」


 私はナイフを腰の鞘に戻すと、またセシルに手を差し出した。きょとんとして思わず私を見上げたセシルに私はにっこりと笑いかける。


「暗くて躓いちゃうの。私のことを支えてもらえると嬉しいのだけど、どうかしら」


 手を繋ぐ口実に、セシルは一瞬呆けたような顔をするとまたすぐに目を伏せて俯いてしまった。でもぱしっと私の手を取るとぐんぐん先へ進み始める。突然のことに私はよろめきながらも彼の後について行った。


「セシル、セシル、ありがとう」


「〜〜〜〜っ。変な、人っ」


 何度も名前を呼んで、何度もお礼を言って。セシルはどうして良いんだか分からなくなっているようだけど、私はそんな彼が微笑ましくて笑ってしまう。心臓は正直にばくばくと命の危機に激しく脈打っていたけれど、それを隠し通せたなら良い。私よりも、あの時はセシルの方が追い込まれているように感じられた。そんな彼の手は温かくて、彼の心はまるで止めて欲しがっているようで。彼のしてきたことは消えない。それでも彼が変わりたいと願うなら、それは叶うのだと頷いてみせるのが“お姉さん“である私の役目のような気がした。


 ぐんぐんとセシルは無言で進み、私達は湖に辿り着いた。木々が切れて月の光が湖面に差し込み、反射してキラキラと輝いている。昼間とはまた違う表情に私は思わず見惚れたけれど、其処で繰り広げられている場面を見て息を呑んだ。


「エミリー!」


 私の声は離れた彼らには届かなかった。湖面にほど近い岸に走り去ったエミリーと思しき姿が見え、その前には人影が立っている。すぐ傍に黒い狼の姿もあり、アルフレッドだ、と私は直感した。


 向こうでエミリーの名を必死に呼ぶ声がして視線を更に投げれば、其処にも黒い狼が其処より先には進ませないとばかりに立ちはだかっている。仲間の狼だろうか、と私は首を傾げる。とすると、反対側に出た私達のところにも狼がやってこないとは限らない。セシルはいるけれど、アルフレッドに従う狼がセシルの言うことを聞くかどうかは分からない。


 私は思わず走り出す。仲間の狼が私を取り囲むことはなく、私はエミリーまでもう少しというところで驚いて足を止めてしまった。アルフレッドだと思った人影は大きな杖を持っている。その姿は紛れもなく。


「ロディ……?」


 今度は私の声が届いたのか、それとも走ってくる人物に目を止めただけなのか、人影が私を見る。月の光に浮かび上がる銀のような金の髪が揺れて、いつもの笑みが私を迎えた。


「ライラ」


 ロディの傍らにいる狼がおん、と短く吠えた。ドゥーグに似ているけれどドゥーグとは違う。その金の目に私は見覚えがあった。それと同時に彼の言葉が蘇る。


 ――いざとなれば狼になれば良いんだけどね。


「アルフレッド……?」


 狼はまたひとつ吠えた。それは肯定のようで、ロディもよくできましたと言っていて、私は訳が分からず目を白黒させた。何故二人が並んで立っているのか分からない。何故エミリーを前に二人が並んでいるのかも。


「此処にはあまり長居しない方が良さそうなんだけど、エミリーが動こうとしなくてね」


 ロディが口を開く。私は言葉を見つけられないままロディを見た。


「エミリー、この湖に訪れたことがあるね。体調が落ち着いていた時なんだろう。オリビアとチャーリーが認めていたから、隠す必要はないよ」


 ロディはエミリーが言葉を理解していると思って話している。エミリーは私からは背を向けている状態だからどんな表情をしているのか分からない。けれど何を話し出すのかと警戒しているように見えた。


「そして此処で、彼を見たね。まだ春先の、冬の匂いが残る頃だったんだろう。キミには一目で彼が魔物使いだと分かった筈だ。キミからの贈り物を身につけていたからね。そしてキミは数ヶ月かけて自分に呪いをかけた」


 私は驚きから目を見開いたのだった。




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