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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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15 解呪の朝ですが


 あまり眠れない夜だった。けれど朝は定刻通りにやってきて、私は眠い目を擦りながら起き上がる。ラスはまだ眠っていて、布団からはみ出た赤毛はラスの代わりに寝息を立てているようだった。


 私は身支度を整えると宿の階下に降りて行く。朝ご飯を準備する良い匂いがして、私は食堂へ向かった。他の村から昨夜のお祭りのために訪れたのか、他にも宿泊客がいるようだ。この時期だけ営業している宿なのかもしれない。


 一足先に私は朝食を頂いた。交渉して今朝産み落とされたばかりの鶏卵も分けてもらい、解呪に必要な物は揃えた。きっとアルフレッドから教えてもらった花は月雫の草である筈だし、ロディの様子から難しい解呪ではない。エミリーはもう少しで呪いから解き放たれる。オリビアとチャーリーの心労もこれで終わる。


 私は目の前の鶏卵をじっと見ながら今日が無事に終わることを願った。そうこうしている間にラスも目を覚まして食堂へやってきて朝食を摂る。いよいよだね、とラスも鶏卵に目を止めて同じことを思ったのか口にする。私は頷いた。


「早い方が良い。朝露はその日一日しか効果がないって話だったからね」


 ラスの言葉に私はもう一度頷いて、朝食の残りを飲み下した。その後、準備を整えて私達は宿を出発し、まだお祭りの熱気が残る中をそそくさと荒屋へ向かって進んだ。


 エミリーの呪いは、夜の間だけ人間の姿に戻ることができる。でも、朝の光が地上を照らし始めればエミリーの体はまた人とは程遠い姿へ(かたち)を変えてしまう。私はまだ、エミリーの人の姿を見ていない。


「おはよう、ライラ、ラス」


 荒屋の扉を控え目にノックすると、ロディが開けて出迎えてくれた。よく眠れたかい、と訊いてくれるロディはあまり眠っていないように見えた。


「お祭りは楽しかった? 息抜きできたかな」


 私は微笑んで頷いた。セシルのことは気がかりだったけれど、中を窺い見た限りでは戻ってきていないようだ。エミリーの唸り声が聞こえた。


「さて、アマンダが帰ってきたら始めよう。解呪自体は呪術師に任せた方が良いだろうからね。呪いが解けた後の回復は、ボクの領分だ」


 私とラスは中へ招き入れられた。私はロディへ分けてもらった鶏卵を手渡す。ロディは微笑んでお礼を言った。私はオリビアとチャーリーの様子を窺った。いよいよ解呪とあってか二人とも緊張した面持ちをしている。私もきっと同じようなものだろう。


「昨晩、エミリーと話をしたよ。線は細いが聡明なお嬢さんだ。自分の置かれた状況をよく理解していたし、正しく恐れていた」


 ロディが私とラスに話しかける。私はロディへ視線を戻した。ロディは解呪に必要な道具を並べた棚の上に転がらないよう皿に入れた鶏卵を追加している。小瓶の中にある透明な液体は月雫の草の朝露なのだろう。なら、アルフレッドが教えてくれたものは間違いなかったのだと思って私は胸を撫で下ろした。


「ご両親に迷惑をかけたと言って、でも人の姿に戻れたらまた編み物をしたいと教えてくれた。それに親孝行をしたいと。人の姿に戻ったら何をしたいかは大切だ。想いは強ければ強いほど良い。動機になるからね」


 ロディが真っ直ぐにエミリーを向いて微笑んだ。今のエミリーはそんな話をしたことさえ覚えているとは言い難いけれど、ロディが覚えているならなかったことにはならない。私は頷いた。オリビアとチャーリーにも見えるように。


「万全ではないから、不安要素も懸念もある。けれど解呪自体は難しいことじゃないだろう。きっと大丈夫ですよ」


 ロディも二人を勇気づけるように微笑んだ。オリビアとチャーリーは神妙に頷いて、エミリーを見た後にお互いの顔を見やった。此処まできたら後は祈るだけだ。どうか呪いが解けますように。


「あら、皆お揃いね。セシルはいないけど」


 戸口が開いてアマンダが声をかけた。朝靄の中、薄紫の神秘的なベールを纏っている。今日は朝食をもらってこなかったようだ。彼女のベールに覆われていない目がエミリーを捉え、棚の上の解呪の道具を認め、全てを察したように細められた。


「準備も整ったのね。それじゃ、早速だけれど始めましょうか」


 私達は頷いた。



* * *



「――朝焼けに朽ち、蛍木の(しるべ)に従い聖典に耳を傾けよ」


 聖水に朝焼けで焼いた灰を溶かした物で板の間に魔法陣を描き、周りを蛍木の樹液で土台を固め火のついた獣脂の蝋燭で囲む。獣の臭いが室内に充満し、エミリーはその臭いに怯えたように魔法陣の上で縮こまっていた。アマンダは魔法陣には足を踏み入れないようにしながらエミリーの前に立ち聖典を開いて言葉を紡いでいく。


「琥珀の翅は燃える陽を連れ、時知らぬ無垢なる血は罪を(そそ)ぎ、(まなこ)に滴り落ちる朝露は真実を告げる――」


 アマンダはエミリーの頭の上で琥珀虫の翅を千切り、鶏卵を握り潰した。キラキラと翅は舞い、卵の中身がエミリーに降りかかる。汚れた手で聖典を持ち直し、アマンダは月雫の草の朝露が入った小瓶をロディから受け取りながら言葉を続けた。


「――寿(ことほ)ぐは安寧を。女神の()言葉を。その身に纏う夜には終焉を!」


 アマンダが聖典をエミリーの額に押し付けた。エミリーは喉が引き攣れるような叫びをあげ、ばたりと音を立てて倒れる。オリビアが息を呑んで悲鳴を殺した。チャーリーがそのオリビアを強く抱き締める。お互いに支え合うようにしながら縋りついて固唾を飲んで見守った。


 アマンダは蓋の開いた小瓶の中身を人差し指に乗せるとエミリーの閉じた瞼に塗りつけた。途端。


「あっ」


 私は知らず声をあげていた。エミリーの姿が目に見えて変化を始めたからだ。四つ足の獣のように曲がっていた骨格はしなやかさを取り戻し、細い手足を覆っていた毛皮のような短い毛は抜け落ちて滑らかな皮膚を露わにした。唇から覗いていた牙はみるみるうちに短くなり、顔に少女らしさが戻った。


「エミリー」


 アマンダが声をかけ、エミリーを揺すった。エミリーは小さく呻くと目を開ける。金に反射していた人ならざる目はすっかりチャーリーと同じ緑色をしていた。


「おはよう、朝よ」


 アマンダはにっこりと美しく笑んだ。エミリーは自分の手足を見て目を見開き、確かめるようにぺたぺたと自分の体に触った。顔に触れて牙がないのを確かめると、エミリーは両親を見上げた。オリビアとチャーリーはもう娘に向かって両腕を広げて抱きしめようとしている最中だった。


「エミリー!」


「お、おかあさん、おとうさん」


 上手く声が出ない様子ではあったけど、エミリーは確かに二人を呼んだ。オリビアの腕に抱かれ、チャーリーが二人を包んで、お互いを呼び合う。


 私はその光景を見て、ほっと息をついたのだった。



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