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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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8 聞こえる音ですが


 どうして私はいつも誰かの後をついて行くのだろう。その先でどんな目に遭ってきたか、思い返せば嫌というほどあるのに。


 ヤギニカの街で知らない人について行けば人買いに売り飛ばされそうになり、ロゴリで神様の後について行けば命を取られそうになって。それでも私は恨むならついて行くと決めた私自身の選択を恨むしかない。行かない選択肢もあったのに、行くことを選んだのは私なのだから。


 金の瞳を持つ青年の後について行きながら、私はついて来たことを後悔し始めていた。もう何処を歩いているのか分からない。また森へ戻って来たけど、私がやってきた道ではない。


 けれど道を外れて何処かへ行くのは得策ではないのは私でも分かる。どう考えても狼の脚には勝てないし、地理にも詳しくない。いざという時はロゴリの時のように身ひとつで、ハルン達が教えてくれた技術で乗り切るほかなかった。


「ヒトの子、歌に不要な音が混じっているよ」


 先を行く青年が少しこちらへ視線を向けて行った。私は驚いて背筋をしゃんと伸ばす。私の密かな決意が音として聞こえたなら、彼の耳は私の内面の動きを捉えてしまうことになる。余計なことは考えない方が良さそうだと私は思い直した。


「あの、どんな歌が聞こえるんですか」


 今朝も歌が聞こえると彼は言っていた。私の中でどんな音楽が鳴っているのか、どんな歌が彼には聞こえているのか、興味を抑えられない。それに他のことを考えていないと悪いことを考えて見抜かれてしまいそうだった。


 うーん、と彼は何かを思い出すように遠くへ視線を投げた。私から見える金の瞳は木漏れ日を受けてとても綺麗に輝いている。髪と同じ真っ黒な睫毛は夜を思わせ、さながら月を抱く夜空のようだ。


「そうだな、穏やかな歌だ。優しくて、眠たくなる」


 けれど、と彼は目を伏せた。


「孤独に泣き叫びたくもなる」


 そんな、と私は言葉を失ってしまった。それは彼の受けた印象だ。何の音が聞こえているのかも私には分からない。本当に私から歌が聞こえているのかも分からない。でもその言葉は私に何かしらの衝撃を与えていた。どうして衝撃を受けるのか私自身には分からないけど。


「何を探しているの? それとも、誰を?」


 真っ直ぐに向けられた金の視線に私はまた呼吸を忘れてしまう。息が止まっていることに気づくのは苦しくなってからだ。すぅ、と息を吸って私はばくばくと五月蝿い心臓を自覚する。言葉を探す私に彼は微笑んで首を振った。


「意地悪を言った。まだ見なくて良い。寝た子を起こす必要はないものね」


 その意味も私には分からないけれど、彼は私から視線を外すと元来た道へ目をやった。


「あの湖にはヌシがいるんだ。長く眠っているけど、最近になって起こそうとする存在がいる。感情豊かなヒトでは細波を立ててしまうだろう」


 みずうみ、と私はその言葉だけを繰り返す。司祭さまが言っていた。海とは違うけど、泉よりも大きな水たまり。広大だけれどその先は地続きで、船がなくても行けてしまう。何だ、と私は少し落胆した。父に聞いたお伽話は海の向こうの話も多分にあった。父は聞き学んだもので実際に見たことはないと言っていたから、私が見られればと少し期待していた。


「ヌシって?」


 聞き慣れない単語に私は首を傾げた。微笑む彼の目は優しくて、先程のような呼吸を忘れてしまうような真っ直ぐさは鳴りを潜めている。其処に再び触れないように私は気をつけて話題を選んでいた。


「分からない。ボクも見たことはないんだ。けど、起こしてはならないと両親にもドゥーグにも言われてきた。なら、起こさない方が良いんだろう」


 私は彼がドゥーグと呼ぶ黒い狼を見る。狼は私と彼の間に入ってまるで彼を守ように立ちはだかっている。唸りこそしないものの、私のことはまだ警戒している様子だ。


「ヒトが起こしてしまうの?」


 彼の言葉から推測して尋ねてみれば、うん、と彼は頷いた。


「ヒトに反応するんだ。だからヒトの子、近づかない方が良い」


「貴方は……?」


 何処かでそうと解りながらも聞かずにはいられなかった。確かめずにはいられなかった。私の問いに彼は微苦笑する。それだけで私は解ってしまった。


「ボクは、ヒトだけどヒトじゃないんだ。半分だけヒト、もう半分はマモノ」


 その目が人のものではないことを物語っているように。


「そんなことが」


「あるよ」


 ほら、と彼は両手を広げてみせる。ボクがそれだと。


「ボクは何なんだろう。ヒトでもマモノでもなくて、でもボクは確かに此処にいて。でもそんなことどうでも良いんだ。ボクはボクだから」


 きっと沢山苦しんで悩んだのだと私は思う。彼の声音はそう思わせるに充分な達観が含まれていた。その道のりを私は知らない。だから私にできることはひとつしかない。


「そうね。貴方は貴方で、私は私。私はライラ。貴方の名前を教えてくれませんか」


 彼の辿り着いた結論を尊重する。狼にドゥーグと名前を付けるのだから、きっと彼にも名前がある。彼を彼と示すもので呼ぶ必要があると、だからこそ私は思う。


「ボクはアルフレッド」


 彼は微笑んで教えてくれた。アルフレッド、と私は繰り返す。うん、と彼は頷いた。それからふふっと子どもみたいに満面の笑みを浮かべる。


「ヒトの声で聞くのは久しぶり。良い響きだ」


 ねぇ、とアルフレッドは子どものような笑顔のまま私を見つめた。


「もういっかい」


 ねだられて、私はもう一度アルフレッドと繰り返す。くすぐったそうに笑ってアルフレッドは頬を赤らめた。ありがとう、と笑った彼は満たされたような笑顔を浮かべている。私もつられるようにして笑んだ。


「ライラ、キミの名前も良い響きだ。星が瞬いて砂の落ちる音がする」


 真っ直ぐな金の視線でも、今度は息が止まることはなかった。私も胸が一杯になって自然と零れる笑みを浮かべる。アルフレッドの耳なら星の瞬く音も、砂の落ちる音も聞こえるのだろうと私は思う。


「朝は本当にマモノと疑って悪かったね。でもだからこそ言いつけを守って。あの湖には近づかない方が良い。あのヌシを起こしてしまったら、ボクでも守れる保証がない」


 守る、と私はその単語にオリビアの言葉を思い出していた。村の外れに住む、村を守る代わりに迫害されない魔物使いの一族の話を。


「魔物使いの……?」


 疑問を浮かべた私に彼は微笑んで頷いた。そうだよ、と彼は言葉でも肯定する。


「外からマモノの侵入を、中からヌシの覚醒を妨げるために、ボクはいるんだ」



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