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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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7  探し物の途中でですが



「真っ白なお花……」


 私はお日様が投げかける木漏れ日の下、月雫の草を探して歩き回っていた。屈んで探していたので時々上半身を反らしては伸びをする。小鳥の声が聞こえる森は穏やかで、村は守られているのだと実感できる気がした。


「それにしてもロディは絵が……」


 首もほぐしながら私はポツリと呟いて小さく笑った。ロディが貴重な獣皮紙に書いてみせたのは、頼りない線がもにょもにょと走った月雫の草の絵だ。神童ロディも絵だけは本当にとラスが溜め息と共に口にした言葉が忘れられない。


 皆で月雫の草を探す、という話になった時、私は賛成した。必要な物がもう後少しで揃うし、エミリーの様子から察するに一刻も早い方が良いと思ったからだ。月雫の草がどんなものか知っている人が少なくとも二人はいる。そんなに珍しいものでもないとロディは言っていたし、すぐに見つかると思っていた。けれど。


「こんなに広いなんて聞いてない」


 私はひとりごちる。魔物が出る場所でもないし、家の側に広がる森は広大だから手分けして探そうということになった。私は折角だからとロディの描いてくれた獣皮紙を持って意気揚々と探しに出たのだけど、行けども行けども木々しかなくて探し物は見つからない。あの家からはだいぶ離れたと思うけど、真っ直ぐに進んできたから道には迷っていない。


「何処まで続いてるのかしら。うっかり村の外に出ないようにしないと」


 獣皮紙を木漏れ日に透かして見るけど、頼りない線で描かれた月雫の草はロディが描いた時そのままの姿で物言わずに佇んでいる。絵からでは分からないけど、昼間は真っ白な花を咲かせる、綺麗な花だとロディもアマンダも言っていた。


 本当は夜に探しに行くのが良い、というのが二人の見解だ。夜に月雫の草は月の光を受けてぼんやりと発光する。蛍木と同じく、夜道を行く旅人の心の拠り所になると言う。私にだって発光するものを探す方が楽だというのは分かる。けど、気が急いてしまって夜まで待つだけなんてできそうになかったのだ。


 セシルはエミリーの様子を見て抑え宥めてくれるから昼間は動けない。アマンダも夜は占いで夜通し起きているから昼間は寝かせて欲しいと言う。もしもの時のためにラスに残ってもらって、月雫の草の姿形を知っているロディと私、オリビアとチャーリーも手分けして森の中で探していた。危険はない、というアマンダやチャーリーの言葉に説得されてロディは私をひとりにしたくないとだいぶ駄々を捏ねたけど結局は折れてくれた。


 森は小動物の気配しか感じない。中型以上の獣はいないようだった。いたとしても、この辺が生息域ではないのだろう。人とは衝突しないで上手く住み分けているみたいだった。


 私は木漏れ日に、あの日を思い出させられていた。濃い緑に赤い血が散った、あの日を。


 あの時のセシルは怒りや憎悪を隠さずに私たちへ向けていた。私たちが何かしたわけではない、と思う。人間を嫌っているような口ぶりだったから、誰であっても同じ思いを向けるのかもしれない。


 排除しようとする、と言ったセシルの声が耳の奥で蘇った。生きるために命を刈り取ろうとしてくるから、仕返したって良い筈だと。それはつまり、命の危機に瀕したことが彼にはあって、それを許せなく思っているからあんなことをしたんだろうと思う。だからといって許されることではない。ロディのあの顔を見ていたら、ロディの中では全然許すなんて思いつきもしないことなんじゃないかと思ってしまう。


 だからロディを残しておけなかった。ラスに残ってもらったのは、許せなさをラスも抱えていたとしても前面には出さないと思ったからだ。万が一、ロディが戻ってしまったとしてもラスなら止められると期待したからだ。


 私の浅はかな考えなんてあの二人にはお見通しだろう。ラスは了承してくれたし、ロディも何も言わなかった。見抜いた上で了承してくれたなら良い。私の期待に応えようとしてくれたってことだから。


 そしてセシルは何もなかったようにエミリーと遊んでいる。人間が嫌いなら、どうしてアマンダに協力するのだろう。どうしてエミリーが誰も襲わないように抑えて面倒を見てくれるのだろう。私たちを見ても、あの時のように襲ってこないのはどうしてなのだろう。


 勇者の“適性”がなければセシルには傷をつけられない、とセシルは言っていた。それが本当ならラスにはセシルが何かをしても止められないかもしれない。何かがあった時は、私が止めなければならないのかもしれない。残るべきは私だったかもしれないと思いながら、でも残っても何もできないのだからこうして足を棒にしてでも月雫の草を探し回る方が性に合っているし、ロディも安心すると思った。


 考えていても仕方ない。色んな思惑が交差するけど、私は私にできることをするしかないのだから。私はまた周囲を注意深く探しながら止めていた足を前に出した。


 少し進んでから、耳が音を捉えて思わず立ち止まった。水の音だ。森の中で水の音がすると、先にあったロゴリでの出来事を思い出して身が竦んでしまう思いがしたけど、好奇心の方が強くて私は恐る恐る先へ進んだ。木立が切れている。きらりと光が反射して私は目を細めながら木立を抜けた。そして眼前に広がった景色に思わず感嘆の声をあげた。


「わぁ……っ!」


 キラキラと、水面が太陽の光を反射していた。風に少し細波(さざなみ)が立っている。ビレ村の泉とは段違いの大きさの泉が広がっていた。向こう側が見えない。私はこんなに沢山の水たまりを見たことがなくて目を丸くして驚いていた。もしかして、もしかしてこれが。


「海……?」


 泉よりも大きくて深い、川とは違うこれが、海というものではと思って私は胸の高鳴りが抑えられなかった。この向こうには見たことのない大陸が広がっていて、言葉も文化も違う、けれど私と同じ人が住んでいる場所があるのでは。船があれば其処へ行けるのでは。父の話す物語ではなく、現実に目にできるのでは。


 私は思わず水の打ち寄せる其処まで走っていた。けれど目の前のキラキラと美しく煌く水面しか見ていなくて、まさか其処に神様の遣いがいるとは思わなくて、気付きもしなかった。


 低く唸る声が聞こえて私は初めて周囲へ首を巡らせる。今朝、魔物除けの境界の外で唸っていたあの黒い狼のような獣がまさに今其処にいた。その向こうに、あの青年が横たわっている。微睡(まどろ)んでいるように見えた。


 先に踏み入ったのは私だ。弁解の余地もなくて私は咄嗟のことに言葉が出なかった。言葉の通じる青年の前にこの黒い狼が立ちはだかっている。息を呑んだ私に、黒い狼は一層低く唸る。警戒している目で私を鋭く見遣っていて、私はただ立ち竦んだ。


「ドゥーグ、どうしたの」


 青年が夢現から声をかけた。開いたその金の目が私を見て細められる。魔性の目に縫い止められたように私は呼吸を忘れてしまった。


「あれ、歌のヒト。此処に入ってきてしまったの」


 ドゥーグ、と宥めながら青年は起き上がって黒い狼を抱き締める。狼は困惑したように青年と私とを交互に振り向こうとしていた。青年は目を閉じてよしよしと狼を宥めると、金色の視線を私へ送った。


「おいで、ヒトの子。あまり此処には長居しない方が良い」


 青年は立ち上がると私に背を向けて歩き出した。黒い狼は私をもう振り向かず、青年についていく。私は言われるがまま青年の後について行った。



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