4 早朝の出会いですが
暗闇から陽の光が射し込み始める。朝だ、と私は眠い目を擦って欠伸を噛み殺した。一緒に夜の見張りをしてくれたラスが私を見て笑う。私は恥じ入って視線を逸らした。
「慣れない夜営、よく頑張ったね。あんたとこうして夜を越すのは、最初の夜以来かな」
ラスが私を気遣って声をかけてくれる。そういえば、と私は頷いた。初めての村の外、初めての戦闘、初めての人たちと過ごす夜。あまり眠れなくてラスに心を配ってもらったのも、あの夜が最初だった。
「まぁしばらくは街やら村やらにいたし、夜営が必要なかったってのもあるけどね。歌姫のあんたは、夜更かしなんて嫌がると思っていたよ」
ラスの言葉に私は目を丸くした。心外だった。
「そりゃ、夜通し起きてるなんてお肌の敵だけど、そのために誰かの睡眠を奪うなんて私は嫌だし、ひとりだけに押し付けるなんてもっと嫌よ」
だからといってあまり役には立たないけど、と尻すぼみになる私の言葉を聞いてラスは微笑む。ラスならきっとひとりで見張りをこなせるし、昼間はロディだけでも問題ないのかもしれない。それでも私はひとりで夜を超えることの寂しさを知っている。今までは沢山の仲間がいたなら尚更だ。だから私は名乗りをあげた。こんな私でもきっと、夜のお供にはなれると思うから。
「あんたの聞かせてくれる勇者の冒険譚、どれもロディが好きそうだったよ。機会があればロディにも聞かせてあげると良い」
父が語って聞かせてくれた勇者様の冒険譚を暇潰しになればと思って私はラス相手に夜通し語り聞かせた。吟遊詩人の適性は“なし”だから父が聞かせてくれたような臨場感ある楽の音はないけれど、ラスは片時も目を離さず私の語りを聞いてくれた。
「あんた、語り手の才能もあるよきっと。歌は語り聞かせるものでもきっとあるんだろう?」
ラスの嬉しい言葉に、我ながら顔がぱぁっと明るくなったと思う。はは、とラスは笑う。さて、とラスは立ち上がると鍋を片手に川へ行ってくるよと私に言った。
「そろそろロディも起き出してくる頃だからね。あたしは一足先に顔を洗って朝食の準備でもしよう。ロディ達が起きてきたらあんたも顔を洗えば良い。此処を空けるわけにはいかないからね」
夜行性の獣は眠りに就く頃さとラスは続ける。だから私だけが残っても襲われることはないだろうと。
「ロディが張ってくれた魔物除けもあることだし、何かあれば大声で呼んでくれれば聞こえるよ」
川は確かにすぐ其処だ。私は分かったと頷いてラスを見送った。
段々と明るくなってきた周囲は、秋の終わりを告げつつある。北には向かっていないけれど冬の気配が強くなってきていた。私は焚き火に少しだけ近寄って体を温めながら、その揺らめく火をじっと見つめた。じんわりと温められながら揺れる炎を見ていると、次第に目蓋が閉じていく。いけない、と頭を振って眠気を追い払おうとするものの、夜通し起きていてふと訪れたひとりの時間に、気を紛らわせる方法もなく、私はなす術なく睡魔の伸ばした腕に抱き止められていた。
は、と瞬間的に覚醒した。ビレ村の森で嗅いだのと同じ臭いを鼻が捉えたからだ。獣特有の臭い。肉を食べる獣の臭いがして私は閉じてしまっていた目を開ける。そして飛び込んできたものに、思わず息を止めてしまった。
陽の光に煌めいたのは、金の瞳だ。端正な顔をした、けれど人ならざる青年の目に私はその場に縫い止められたように動けなかった。陽に焼けた肌も、真っ黒な髪も、そのどれも印象的だったけれど、太陽の光に輝く太陽のような眩しい金の瞳は何よりも強烈な印象を残した。
「……生きてる」
その目に覗き込まれて動けない私に、金の瞳を持つ青年は言葉を落とすように零す。それで私も青年が人の姿をして人の言葉を喋れる存在だと知った。
「擬似餌ではないみたいだ。大丈夫、ドゥーグ、帰ろう」
青年が私を通り越して金の視線を投げかける。私はそれにつられるようにして思わず振り返った。木立の奥、ロディの張った魔物除けの境界線ギリギリで黒い狼のような獣が唸り声をあげている。その臭いで私の意識は浮上したのだと瞬時に悟る。魔物除けであの狼が入ってこられないなら、この青年は魔物ではないということになる。私は顔を青年に戻した。
「あ、あな」
あなた、と声をかけようとした。けれど恐怖に竦んだ体は思うように声が出せないでいた。ロゴリで相対した魔性の化けた青年とはまた違う、妙な迫力がある。その目はとても綺麗で、同時にとても怖ろしいものだった。
それでも青年は私の発した音を拾い、狼から再び私へ視線を戻す。
「ああ、眠っていたのに邪魔をした。眠っているあなたはヒトの貌をした違うモノに見えた。ヒトの言葉では何と言うのだったかな。とにかく、ヒトを惹きつける餌かと思ったことを詫びよう。
あなたからは、歌が聴こえる」
マモノは歌を歌わないから、と青年は続けた。私は頭が混乱していた。私が、魔物に見えたと言うのだろうか。そして歌が聴こえたから人間だと判断したと言うのだろうか。否定するのも肯定するのもどちらも難しかった。彼の金の瞳に、私はどう映っているのかまるで判らないからだ。
「それじゃあ、さようなら。歌を歌う美しいヒト」
「まーー」
待って、と引き止める暇もなかった。彼は跳躍するとひとっ飛びで狼の元へ辿り着き、そのまま木立の奥へと消えてしまった。私は混乱する頭のまま、夢を見ているのだろうかと訝った。頬をつねれば痛みはあったし、戻ってきたラスと入れ違いに、起きてきたロディやオリビアと川へ行って冷たい水で顔を洗ってみたりしたけれど、とても自分の目で見たはずのものが信じられなかった。
神様の遣いに会ったのではないか、とウルスリーの村へ着く頃、私は心の中でひとつのしっくりとくる答えを出していた。




