7 絶体絶命なんですが
少年が私を見た。灰色の、嵐のような目は真っ直ぐに私を品定めし、ただの村娘であることを見抜いたように笑った。
「お姉さんも勇者特性持ち? だけど見た感じ、闘い慣れしてなさそうだね。顔も青ざめてる――戦場は恐いところでしょう?」
少年と馬車の間は距離があるのに、すぐ目の前で囁かれているようで私は怯えの色を隠せなかった。あんなに幼い少年なのに、超えてきた死線は圧倒的に彼の方が上のように思えた。私は守られた村で平和に育ってきた、ただの村娘なのに。
勇者、だなんて。
私もナイフを取り出して構えてはみたけれど、手はカタカタと震えるし、馬車には乗ったままでどうやって彼を傷つけようというのか自分でも全く分からなかった。それにそもそも、ジョージと同じくらいの子どもを傷つけるなんて私にできるだろうか。ううん、誰かをナイフで傷つけるなんて。
「どうして、こんなことを」
気づけば震える声で彼に尋ねていた。彼はきょとんとした顔をし、ふふ、とあどけなく笑う。その顔は本当に教会の天使像のように綺麗で可愛らしいのに、どうしてこんな。
「そんなことを訊いて、知って、お姉さんはどうするの?」
逆に訊き返されて私は言葉に詰まった。ただ疑問に思ったことを口にしただけで、どうするかなんて考えてもいなかった。
「分からない。けれど、貴方のことを知りたい」
素直に答えれば、彼は綺麗な顔のまま首を傾げた。金の髪がさらりと音を立てそうに揺れて、木漏れ日に反射してキラキラと輝いた。こんなに神々しいのに、どうしてその手は血に濡れているの。どうして勇者を傷つけようと思ったの。
「僕はね、魔物寄りなんだ」
意外にも彼は話し出した。それでも周りへの警戒は怠らず、隙は生まれない。魔物に対峙したままのラスやキニ、ハルンと、モーブを治療するロディ、距離はありながらも真正面で向き合うパロッコや私が彼に攻撃を仕掛けられるとは思えなかった。
「僕の天職は魔物使い。だから貴方たちが傷つけた彼らも僕にとっては大切な仲間。協力してもらって一芝居うたせてもらったよ。勇者の腕をもぎ取れそうだったんだけど、残念」
残忍に口を歪める彼はちらりと光の壁の向こうにいるモーブとロディを見やる。モーブは顔を俯けて浅い呼吸を繰り返しており、発熱しているのか大粒の汗が頬を流れていく。ロディは顔をしかめてモーブの腕に意識を集中しているようだ。
「貴方たち人間はいつもそうだ。僕らを排除しようとする。生きるためだと言って命を刈り取ろうとする。それなら僕らだって、生きるために貴方たちの命を刈り取ったって良い筈だよね?」
やられた分をやり返す。言葉に憎悪を滲ませて彼は笑った。私たちが悪いのかどうか、私には判断ができない。彼は今味わった痛みよりも昔の痛みを与え返しているように見えた。けれど始まりがどこだったか分からない私にはかける言葉が見つからない。
「……それは、いつ?」
私はただ、そう訊き返した。彼の赤い唇が綺麗な弧を描く。ずっと、とボーイソプラノが森の空気を震わせて私の耳に届いた。それがあまりに悲痛で、綺麗な笑顔の裏に泣き叫ぶ彼の姿が見えた気がした。
あなたの言う“一芝居”で見せた恐怖を、ずっと感じているの?
「……おかしなお姉さんだね。勇者の腕を切り取られそうになったのに、僕に怒りじゃなくて哀れみを向けるんだ」
馬鹿にしたように少年は嗤った。
「自分の仲間がやられたら怒るものじゃないの? もしかしてお姉さんも魔物寄り? あぁでも、勇者特性持ちならそういう可能性もあるか」
目を伏せて彼は何やらひとり納得したように頷く。
「だけどそういうの、僕は要らないよ」
少年が片手を挙げた。真っ赤な掌から肘に向かってモーブの血が滴っていく。血の匂いにか、それとも魔物使いの少年の指示が出るためにか、魔物が反応して蹄で地面を掻いた。
「勇者と魔術師はそこから出られない。闘えそうな人たちは手が塞がっていて、非力なお姉さんが二人。そっちのお姉さんはきっと勇者特性持ちじゃないから僕に傷をつけられないし、勇者特性持ちのお姉さんもナイフを振り回すしかできなさそうだ。お姉さんの腕ももいじゃおうか? それとも、その綺麗な脚? どこを傷つけられたらお姉さんは悲しい?」
私は小さく首を振った。やめて、と無意識に口をついて出た言葉に、彼は嬉しそうにとても綺麗に笑う。
「ああ、その声だね――」
「逃げてお嬢さん!」
パロッコが叫ぶのと、激しい風が吹きすさぶのはほとんど同時だった。茂みの葉や土埃が巻き上げられて目を開けていられない。驚いた馬車の馬が右往左往しているのか馬車が揺れた。私は立っていられなくて床に座り込み、動く馬車に合わせて前後左右に振られた。
ばたばたとはためく幌とゴーゴーと唸る風の音に紛れて魔物の悲鳴が聞こえる。誰かが何かを叫んでいる声も聞こえたような気がしたけれど、声の主や内容までは判別できなかった。
風は始まりと同様に唐突に止んだ。巻き上げられた葉や土埃が収まるのを待ちつつ私が恐る恐る馬車の外を覗いてみると、みんな呆然とした様子で地面に伏せていた。ただ、魔物使いの少年と魔物たちの姿はなく、先ほどとは角度を変えた木漏れ日が埃をキラキラと照らしながら差し込んでいた。