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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
3章 月下の牙

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1 ウルスリーの村へ向かってですが


「え、月雫の草ですか」


 ロディが驚いた声を挙げ、オリビアが不安そうに眉根を寄せた。


 ガタゴトと揺れる馬車の幌の中で、馬車の手綱を握るラスの近くに座った私はロディとオリビアの顔を交互に見た。ラスは御者だから前を向いているけど耳をそばだてているみたいだ。


「はい。その草の朝露を取ってくるようにと言われていて……」


 オリビアは不安そうな様子のままロディの言葉に頷いた。ロディは一瞬だけ考え込んで難しい顔をしたけれど、次の瞬間にはいつものように穏やかに笑ってみせる。胡散臭くも見えるけれど、慣れてしまえば安心する優しい笑顔だ。


「確かに解呪にはよく用いられる物です。しかし解呪に使うとするなら次の朝が来る前でなければ効果はないと言われます。そのウルスリーの村は、ロゴリからはあまり遠くないのでしょうか」


「私の脚では三日三晩かかりました。たとえ馬車でもその距離は……」


「いえ、月雫の草は稀有な物ではありません。きっとウルスリーの村の近くにもあるでしょう。気を落とさないで」


 ロディがオリビアの肩を優しく叩く。ラスに言われた私はその様子をじっと見る。アメリアと調合薬を交渉するロディをラスもじっと見ていた。同じようにする私の視線に気づいたのか、ロディは私を見て小さく首を竦めた。コトは馬車の揺れが心地良いのか私の膝で寝息を立てている。


 私はオリビアに視線を移した。やつれた表情の中年の女性だ。後ろでひとつに纏めた黒髪が数本、頬にかかっている。ロゴリの毒に侵された湧水を飲み、アメリアが助けてリアムが村まで運んだ。神様との対峙の後、村へ戻った私と再会したロディやラスとお茶を飲みながら話していた途中に目を覚まし、呪いを解いて欲しいと口にした。そして私たちは彼女のただならぬ様子に是の答えを返し、ロゴリの村を出てこうしてウルスリーの村へ向かっている。


「それにしても、呪いを解くっていうのは大変なんだね」


 馬を操りながらラスが誰にともなく呟く。私は小さく相槌を打った。


「呪術師の本分だから、ボクが分かることなんてたかが知れているけれど……多少齧っておいて良かったよ。村に行けば呪術師がいるようだし、必要な物さえ揃えて行けばきっと大丈夫だ」


 ロディにも聞こえたのか、ラスとオリビアに返す。


「まだまだ薬草は沢山あるし、アメリアにも珍しい調合薬を沢山売ってもらえたし、呪いが解けさえすれば今度はボクの出番だね。回復ならお任せあれ、だよ」


 オリビアを元気づけるようにロディは明るく言う。オリビアもその意図を汲んでか微笑んだ。私はロディからコトに視線を移し、そのふさふさ尻尾を撫でながらラフカ村で目にした呪いを思い出す。


 村長の家の前に現れた、(もや)のようなもの。ロディはそれを“死の間際の呪い”と呼んだ。浄化するにはエルマの火の魔法が効いた。今回の呪いも同じなのだろうか。でも人相手に炎は、使える筈がない。


 ロディに訊いてみたかった。けれどその呪いに苦しむ家族の目の前では到底訊けなかった。オリビアの消耗はきっと毒のせいだけではないし、その毒も充分に体から抜けきったわけではないだろうから。


「馬車は揺れるけど、少し休んだ方が良い。道なりに行けばウルスリーの村に着くんですよね?」


 ロディがオリビアを気遣ってそう声をかけた。流行り病に私が倒れた時のために馬車で駆けつけた二人のおかげで、オリビアと私は馬車に乗ることができている。オリビアは頷き、ロディの言葉に従うと馬車の奥で毛布を被った。よく眠れるように、とロディが何か呪文を紡ぐ。オリビアの思いつめたような表情が少し和らいだように見えた。


「……湧水の毒がまだ残っているようだからね。少しばかり手助けしたよ」


 戻って来たロディが私とラスにそう告げた。ラスは小さく、ああ、と返事をし、私は理由を尋ねる。どうして少しなのかと訝しめばロディは穏やかに笑った。


「生物の体には本来、治癒能力が備わっているんだよ。少しばかり体調を崩しても薬や魔法がなくたって良くなるだろう? 回復魔法というのは実のところ、体の治癒能力を促進するだけなんだ。あまりに一度に促進すれば体力も消耗するし、他の部位に影響を起こしかねない」


 それは対象者も術者も同じだと私は以前ロディに教わって知っている。杖なしの魔法は寿命を縮めるとも。


「特に彼女は少しずつ気力も削がれているような状態だ。僅かな毒でも通常以上に効くだろうね。そしてそれに縋っているとも言えるし、逆に意志の力で抗っているとも言える」


 私は首を傾げた。ロディの言っていることの意味が解らないからだ。


「要は、ギリギリの状態ということだよ。毒を体内に入れたことで理由ができたとも言える。一方でそんな毒に倒れている場合じゃないと奮い立たせているとも言える」


 私は気付いてしまったような気がした。何の、とは問わず、口を噤んだ。そのまま横になるオリビアを見やる。眠っているオリビアの寝息は穏やかだけれど、その喉の奥に飲み込んだ想いが沢山あるような気がした。


「……次の新月、ね」


 ラスが自分自身に確認するように呟く。そうだね、とロディも頷く。オリビアが語った娘の呪いは新月を三度迎えると完成してしまうらしい。解呪に必要な物を集めてくれば呪いを解くと偶然に村を訪れた呪術師は言ったようだけれど、オリビアはその呪術師を信じ切れていないようだ。だから私たちに助けを求める。


「まだ時間はある。呪術師のことも多少探れるさ」


 ロディの言葉にラスは頷き、私はコトのふさふさ尻尾を撫でることだけに集中した。呪いという嫌な響きをどう受け止めたものか、私の中にはラフカ村で見たようなもやもやとしたものが広がっている気がした。



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