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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
2章 病魔の通り道

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19 神様との対決ですが


 (ねや)の傍では森が遮っていたけれど、風が吹いて揺れる木々の間から月灯りが射し込んだ。その僅かな光の中、私の目に映ったのは私を見下ろす大きな黒い馬の姿だった。


 黒々とした(たてがみ)が濡れたように真っ直ぐに下へ流れる。きらりと光る黒い目は冷たいのに燃えるような憎しみを宿していて、それを見た私の喉がごくりと音を立てた。


「かみさま……」


 人の姿をしていなくても、その目を見れば明らかだった。私が最初に出会った夜に見た蹄は、間違いなく神様のものだったのだ。


 神様はその脚で私を踏み潰そうとしてくる。私は何とか転がって避けながら立ち上がった。神様は鬣を振って不機嫌そうに脚で地面を掻く。


「足掻くな」


 神様は声も不機嫌そうに低く吐き捨てるように言う。私はまた生唾を飲み込みながらも神様の目を見据えたままハルンに教えてもらった構えを取った。水場で濡れる足場はとても良い条件とは言えないし、私の膝は恐怖から笑っている。それでも私は立ち向かわなくてはならなかった。こんな状況で助けなんて期待できるわけもない。


 私に戦う意志があるのを見てとったのか神様は小さく嘲笑した。はっ、と短い笑い声が私と神様との優劣を示すようで私は眉根を寄せた。


「無駄なことを」


 神様の目が細められる。愉悦が滲んだような気がして私の背に悪寒が走った。


「人如きに傷などつけられないと話したばかりだろう」


 それでも、と私は胸の中で反論した。それでも、背を見せて逃げたって解決はしないから。この姿の神様に、この夜闇の中で走ったとして、敵う筈がないのは私にだって分かる。傷をつけられなくてもせめて明るくなるまで持ちこたえられれば周りの何かを利用することだってできるかもしれない。


 私はゆっくりと深く息を吸って吐く。ばくばくと鳴る心臓は抑えられなくても、息が上がっていては集中できない。ハルンとキニが教えてくれた舞踏を、しっかりと教えてもらった通りにやらなくては。


 風が吹いていく。水の流れる音と葉の擦れる音。夜行性の動物はいないのか、それとも神様の気配に息を潜めているのか、とても静かだった。ビレ村の夜の森は、もっと呼吸や足音がしていた。村の中までは入ってこなくても、山の森に囲まれたビレ村は多くの野性に囲まれていることを意識するに十分な環境だった。


 神様も私もお互いをじっと見据えていた。僅かな動きが舞台の幕開けになることを、私も肌で感じている。ハルンやキニに見守られながら魔物相手に舞踏を実践したことはあるけれど、二人のいない初めての舞踏が神様相手とは、あの二人も考えもしなかっただろう。


 どうか、どうか、上手く舞えますように。


 私は祈りにも似た想いを胸中に抱えながら神様の姿を視界に入れ続ける。痺れを切らした神様が動くのが見えた。認識するとほとんど同時に私も動く。片足で思い切り踏み込んですぐにもう片方の足で軌道を右へ変えた。馬の姿をしている神様は人の姿の時のように腕が使えるわけではない。その体の大きさを活かそうとする分、四足歩行で地面を駆けることになる。急な方向転換はきっと私の方に分がある。


 右へ動いた私は上半身を反らして神様の突進を躱した。そのまま後ろ向きに伸ばした両手を地面についてくるりと弧を描き一回転。地面に膝をついた状態からバネをきかせて飛び出すと同時に腰に下げたベルトから果物ナイフを抜き取った。ビレ村を出る時に一緒に持ってきた果物ナイフ。魔物使いの少年には向けるだけで精一杯だった。剣士の“適性”はなしの私だけど、ないよりはあった方が良い、とハルンに言われて持ち歩くようにしていたものだ。神様もきっと目にはしていた。でも非力な私が持つ果物ナイフには脅威を感じなかったんだろう。取り上げられはしなかった。


 神様は私の動きが予想外だったらしく、反応が遅れた。私は腕を目一杯に伸ばして神様の目を狙ってナイフを振るう。残酷なことだと思う。けれど目が弱点じゃない動物はいない。弱い私が立ち向かうならば、目を狙う以外に有効な方法はない。


 けれど狙いが外れたのか神様が躱したのかあるいはその両方か、神様の頬をかすりはしたけど目を傷つけるには至らなかった。神様が小さく呻く声がする。月灯りに僅かながら血潮が散ったような気がした。


 私はすぐに神様から距離を取った。神様が一駆けでもしたなら瞬きひとつで縮まりそうな距離だけれど、目の前で立ち尽くすのは愚策だと思った。神様の目を潰せなかったのは痛い。同じところを狙うのは難しくなってしまった。


 神様も憤怒か驚きか、物凄い形相で私を見ている。その目に浮かぶ憎しみが今や憎悪のようで、私は体が(すく)んでしまった。


「娘」


 神様は低く唸る。


「娘……お前……」


 次に告げられた言葉に私は大きく肩を震わせた。


「勇者か」




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