表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/353

6 魔物に遭遇したのですが


 目の前を何かが横切ったのは、村を出てから数時間歩いてそろそろ休憩しようかと話していた時だった。普段から森で過ごしている私は、森に棲む虫や獣の類には慣れているつもりだ。それでも小さく声をあげて体をのけぞらせてしまったのは、悪意や敵意を感じた気がしたからだと思う。私の悲鳴でサッと空気が変わったのを肌で感じ、恐怖にぞわりと粟立ったことも自覚した。


「ライラ、下がって!」


 モーブの鋭い声に、私はまた体を震わせる。動揺しながら視界の中に魔物がいることを確かに確認した。村の近くでは見たことのないタイプの魔物だ。獣型の魔物で、姿は猪に似ている。気性が荒いのか地面を蹄で何度も掻いていて、今にも動いた誰かに襲い掛かりそうだ。そう思えば余計に私は動けなかった。


 ハルンが私の前を横切り、魔物の注意を引いた。私の視界を彼女の一本に束ねた美しい黒髪が切り裂く。それでハッと我に返った私は、モーブの指示に今更ながらも従い足を後ろに下げた。


 突然動いたハルンに向かって飛び出して行く獣の魔物を、彼女は細い腕を顔の前で組んで正面から受け止めた。華奢な体は容易に吹き飛んだけど、力を真面に受け止めたわけではないのか、空中で体勢を整えた彼女は身軽にふわりと地面に降り立つ。モーブやラスが剣を抜いて、戦闘態勢を取った。キニも妹が吹っ飛ばされても顔色を変えずに両腕を構え、周囲を窺っている。


「お嬢さん、こっち!」


 馬車を操っていたパロッコが声をかけてくれたことで、私はようやく自分が戦闘の邪魔になることに気付いた。馬車の中に避難させてもらって、非戦闘員の私達は始まった戦闘を見守った。


「お嬢さんはああいう魔物、見たことある?」


 魔物から視線を離さないままパロッコに尋ねられ、私は首を振った。けれど見えていないことに思い至って、ないです、と声に出す。思っていたよりも自分の声がかすれていて、緊張していると認識した途端、心臓がバクバクと鳴っていることにも気づいてしまった。


「お嬢さんは、ああいうのがいる中で歌ってたんだよ」


 何て運が良かったんだろう、と私は震える息を吐き出しながら実感した。この森で動けなくなってしまうほどの悪意や敵意を向けられたことは今までなかった。戦う術を持たない私は身が竦むような憎悪を向けられてしまったら、今みたいに助けてくれる人がいないと動くことさえできない。


「群れか」


 後衛にいたロディが呟く。馬車を守るように立ってくれているようだ。その言葉に改めて戦いの場に目を向ければ、辺りの茂みから同じ種類の魔物が現れていることに私も気づいた。


 体の大きいものから小さいものまで様々いる。どの魔物も目が怒っているようだった。彼らの縄張りに入り込んだのだろうか。怒りか、威嚇か、それとも両方か。私は少し罪悪感を覚えた。森のルールを侵したのは、私達の方かもしれないのに。


 群れになった魔物を退けるために、誰かは二頭の相手をしなければならなくなりそうだ。モーブもラスもキニも、それぞれ敵と味方の配置を確認し、どうするかを目で確認し合っているように見えた。少し離れたところにいるハルンも自分を吹き飛ばした魔物と対峙しながら周囲に気を配っている様子だった。ロディは馬車を守り、パロッコは鼻息を荒くする馬を宥めている。私は何もできずに見守るだけだ。


「だぁぁぁぁっ!」


 モーブが大声をあげて魔物に斬りかかる。それを合図にあちこちから殺気が飛んだ。


 剣が風を切り裂く音、鍛えられた体が土を踏む込む音、魔物の悲鳴、闘う誰かの息が詰まる音が辺りに広がった。私の耳はそれらを拾いながら戸惑ってばかりで全体の様子は掴めず、目の前の戦場をどう受け止めて良いのか分からずにいた。


 怖い、と思うことさえできなかった。何が起きているのか事実を受け止めるだけで精一杯で、感情は全然ついてこなかった。父の詩う冒険譚はいつも勇気に溢れ、勝利が約束されていた。けれど目の前の戦場は、どこにも勝利なんて約束されていない。誰もが慎重に闘って、勝利の細い糸を手繰り寄せて掴もうとしているようだった。


「ラス! 後ろ!」


 ロディが叫ぶ。その声に反応したラスが身軽に体の向きを変え、振り向きざまに剣を払う。魔物の断末魔が響き、赤黒い血潮が濃い緑の中に散った。


 キニの放った鋭い蹴りが魔物の丸い体に鈍い音と共に入り、魔物は目を白黒させた。よく目が見えていないのか、ふらふらとした足取りで道を外れ茂みの奥へと消えていく。逃げる魔物までは追わないのか、戻ってこないか行方を気にしながらキニはハルンの元へと走った。


 モーブは一際大きな魔物と対峙しており、何度か剣を振るっていた。すんでのところで躱され、決定打は決まらない。魔物は興奮から消耗しているのか息を荒げており、反対にモーブはまだ余裕がありそうだ。静かに剣を構え、相手の隙を窺っている。


 と、その魔物も身を翻して戦闘から離脱した。逃げ出す魔物が気を変え襲って来ないのを確かめて、モーブは剣を鞘におさめた。


「みんな、怪我はない?」


 モーブが尋ね、それぞれが頷いた。私も微かにコクリと頷く。良かった、とモーブが爽やかに笑った。紛れもない勇者さまの笑顔だった。


「――だれかぁぁぁぁ!」


 茂みの奥で悲鳴が響いた。その声にいち早く反応して駆けだしたのはモーブだった。ラスがその後に続き、キニとハルンに声をかけたロディが後を追う。パロッコは馬車を進めた。


 私はその馬車に揺られながら先へ進み、茂みの奥で今朝話したばかりのジョージと同じくらいの歳の少年が魔物に囲まれている様子を見て息を呑んだ。


 可愛い顔をした少女のような少年だった。金の髪が木漏れ日にキラキラと輝いている。こんな状況でなければ天使だと思ったかもしれない。けれど彼は木の根元に腰を抜かしたように蹲り、怯えた表情で魔物を見上げている。先ほど逃げた魔物なのだろう、手傷を負ったためか気が昂っているようで、今にも少年に襲い掛かりそうだった。それをモーブやラスが声をあげ、気を引いて止めようとしている。


 ピューイ、とラスが指笛を鳴らした。鳥の鋭い鳴き声のような音は魔物の気を引き、一頭が向きを変えた。追いついたキニやハルンもじりじりと移動し、魔物の視界に入る。魔物は格闘家兄妹に意識を向け、少年を襲おうとする魔物はいなくなった。


 誰の呼吸だったか、は、と短く吐いた息を合図にラスやキニ、ハルンは魔物と対峙した。魔物の牙をラスの剣が防ぎ、キニの拳が魔物の顔を掠める。ハルンが宙を舞って美しい黒髪が後を追った。その隙をついてモーブが少年に駆け寄り、もう大丈夫、と笑いかける。少年は泣き顔でモーブを見上げ、怖かった、としゃくりあげてモーブの懐に飛びついた。


「よく頑張ったね。よく大声で助けを求められ……。

 ぐ――っ!」


 モーブは後ずさって蹲った。握っていた剣がガシャン、と重たい音を立てて転がる。誰もが一瞬モーブに意識を向けた。濃い緑の葉の裏に、焦げ茶色の幹に、モーブの鮮血が散った。


「モーブ!」


 ロディが叫んで走り出した。パロッコは咄嗟に馬車から出て腰のナイフを抜いて構える。馬車を守っていたロディが前線に出たことでパロッコが後衛についたのだろう。


 彼らの隙を見逃さなかった魔物はラスやキニに攻撃を喰らわせ、ラスたちは慌てて体勢を立て直す。


「君は……勇者特性持ちだな……」


 モーブが右腕をかばいながら少年に尋ねた。ぶら、と彼の右手が辛うじてくっついているほどの大怪我だと遠目に確認して私は気が遠くなりそうだった。金の髪をした少年は、怯えた表情を消し去って愉悦に唇を歪めながらまだ声変わり前のボーイソプラノで、そうだよ、と答える。手にはモーブの赤い血で濡れたナイフを持っていた。


「貴方も勇者特性持ちでしょう? 良かった、僕でも傷をつけられて。僕は“それなり”だから、心配だったけど」


 美しく笑って少年は言う。憧れの相手に口をきいてもらえて安心しているような笑顔だった。とても勇者を狙って腕を切り取ろうと懐に潜り込んだとは思えなかった。


「離れるんだ!」


 モーブに駆け寄ったロディがそう叫ぶと何やら早口で唱え、杖を少年に向けた。少年は飛びずさり、ちっと舌打ちする。ロディとモーブの周りに光の壁ができ、お互い一切の干渉を与えられないようだった。


 そして冒頭に至るわけだけれど。


「少しの間で良い、勇者になってくれないか」


 十八年生きて来て、こんなお願いをされる日が来るなんて思わなかった。


 戦場の真っただ中、お日様が柔らかい光を投げかけて優しい木漏れ日が落ちる森の中。地面には利き腕が千切れかけて剣も握れず蹲るモーブと、その腕をくっつけようと治療魔法を施すロディ、それを邪魔しようとする魔物を退けるキニとハルン、少し離れたところで剣を振るうラスが必死の形相でこの危機的事態に対処している。


 私はというと、馬車の前で戦闘に不慣れなパロッコに守られながら呆然とその光景を眺めているだけだった。


 誰もが満身創痍で、魔術師が叫んだ言葉を聞いた私は自分の運命を呪って胸中で叫んだ。


 私の天職は歌姫のはずですが!



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ