16 抵抗ですが
「神が神たる条件は何だと思う」
神様に問われて私は眉根を寄せた。質問に質問で返すなんてずるい。けれど神様は愉快そうに私を見て答えるのを待っている。私は思案して口を開いた。
「神様であろうとすること……?」
神様は唇を歪めるようにして笑った。其処に浮かんだ感情がどんなものか、私には分からない。けれどあまり良くない撫で方をした気がした。
「神たる条件はいくつかあるが」
神様は手を伸ばして私の喉笛を掴もうとした、ように見えた。けれどその手は私の顎を捉えて無理矢理に顔を固定する。決して優しい手つきではない。微かな痛みを覚えさせながら神様は私が見上げたままの恰好でいるのを見て少し気分を良くしたように笑う。
「こうして人間を見下ろすこともそのひとつだ」
神様は首を傾げた。
「娘、お前は私を見ても青い顔をするだけで他に色を変えない。怯んで後ずさっても震えながら立ち続ける。この顔はお前の好みとは異なるか」
神様の言っている意味が解らなくて私は困惑した。顔に出たのだろう私を見て神様はいつもの笑みを浮かべる。そのまま顔を近づけて、私の耳元に唇を寄せた。顔を固定された私は動けないまま神様の顔が視界から外れるのを見ていた。
「私は慈悲深い。春を見せてやることだって厭いはしない」
私の顔に触れていない方の神様の手が私の腰に触れた。ぐっと強い力で寄せられてバランスを崩した私は神様に触れてしまう。触れた指先の、濡れたシャツの向こう側で、とくん、とくん、と温かな鼓動が感じられて私は目を丸くした。生きてる。神様も、生きている。
「お前は春を望むか」
神様の唇が肌に触れて私は思わず目を固く瞑った。身を捩って神様を押しのけようとするけど、神様はびくともしなかった。
「やめてください……」
「直に好くなる」
「いや、です……っ」
驚怖しながらも絞り出した言葉は本心だった。神様もそれを感じ取ってくれたのかゆっくりと私から離れる。けれど。
「――!」
瞬間、大きな飛沫をあげて私の世界から音が遠ざかった。ごぼごぼと自分の口から泡が出ているのが顔に当たって分かる。闇雲に腕や足を振り回したけれど重たい抵抗を受けて水を掻いただけで何にも触れられなかった。
咄嗟に閉じていた目を薄く開けてみれば痛みが走った。けれど其処で見えた透明な水底にお日様の光がきらきらと差し込む美しい光景に私の胸は締め付けられる。押さえつけられて私はこの美しい水底を最後に、死んでしまうのだろうか。
「かは――っ」
髪を引っ張られて私は水面から顔を上げた。求めていたものが急に入ってきて、けれど先に侵入を許したものが途中で閊えて私は激しく咳き込む。沢の水か自分の涙か分からないもので滲む私の視界にぼんやりと神様の黒髪が見えた。私の髪を掴んだまま冷たく見下ろしているようだった。
「望め、受け容れろ」
低い声が降ってくる。これを神様の啓示と言うなら、何て怖いことだろう。
「お前は選ばれた」
一体、何に。一体、誰に。訊きたいけれど言葉にするのは無理だった。再度押し込まれて私はまた息ができなくなる。
「望め」
髪を引っ張られて引き上げられ、神様に低く囁かれて。そうすることで解放されるなら選んでしまいたい気もする。
苦しさの中私は神様を見た。其処にいたのは、人の形をした何かだった。冷たい目をしたそれが神様だと言うのだろうか。神様は残酷だ。大切な人を守ってくれず、流行り病をもたらし、永遠に失わせる。こんなにも簡単に。それが神様なのか。
「……じゃない」
咳き込みながらも言葉らしいものを発した私に神様の手が止まった。聞き取ろうとしているのだろう。神様の望む言葉を口にしているように聞こえたのかもしれない。
「あなたは、神様なんかじゃない……っ」
神様の手が一瞬震えたような気がした。その唇には歪みながらも笑みが浮かべられていて、けれど表情とその体の中で渦巻いている感情が一致していないような気がして私はぞっとした。
「それがお前の選択か」
その言葉を最後まで聞いたかと思った次の瞬間には、私はまた水の中にいた。もう泡になる息も残っていない。藻掻く力も抗う力もなくなっていた。私の意識は白に溶けていった。




