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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
2章 病魔の通り道

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13 湧水の神様と出会ったのですが


 反射的に私は目を閉じていた。神様の姿を見るなんて、目が潰れるかもしれない。それに、神様の姿を見てしまって歌が途切れる方が神様の機嫌を損ねる気がした。自分の姿を見られたことで歌が途切れたら、神様だってきっと良い気はしないだろうから。


 内心は恐かった。目を閉じている間に神様が何か行動を起こしても私はなす術がない。神様がどうして怒っているのかもどうしたら機嫌が良くなるかも知らないで、のこのこ歌いに来た娘ひとり、神様ならどうとでもできるんだろう。どうして機嫌を損ねてしまったのかくらいは訊いておくべきだった、と私は後悔しながらも歌い続けた。


 がさりと茂みが鳴った後、さく、さくと地面の木の葉を踏む音が聞こえた。近づいてきている。何本足の神様なのかまでは判断できないけれど、足のある神様らしい。それに、勢いはないところを考えると憤っているわけではないようだ。


 足音はぴたりと私の目の前で止まった。私の歌はもう少しで終わる。終わったら、目を開いて挨拶をしなければいけない。今、私の歌を聞いてくれているのは、この神様なのだから。


 震えそうになる声を叱咤して、私は最後まで歌い終える。少しだけ薄目を開けて、私は神様の足を見た。幽かな灯りの下で、馬の蹄のようなものが見えた。そのまま目を上げることは避けて、私は服の裾を摘んで広げると片足を引いて膝を曲げた。聞いてくれたお客さんへ向けたお辞儀は、神様相手にも通じるだろうか。


 私は神様の許しが出るまでお辞儀の格好をしたままだった。緊張した胸の奥で心臓が大きく暴れているのが手を当てなくても分かる。神様にも聞こえていやしないかと不安になるほどだ。


「……娘」


 神様が口を開いた。人の言葉を話す神様の声は低く、若い男の声に聞こえた。私は小さく息を呑むと、はい、と吐く息で返す。


「何をしに来た」


 私は二度、息を吸った。


「湧水の神様へ、歌を捧げに参りました」


 落ち着いた声で答えられたと思う。伏せた顔は見えていないだろうか。私はきっと、引き攣った顔をしているに違いない。


 神様は少し黙り込むと、顔を上げるように私に言った。


「私の姿を見ても尚、お前は同じ歌を歌えるか」


 声に愉悦が滲んでいるような気がした。どんな姿をしているのかと私は恐る恐る顔を上げる。先ほど馬の蹄のように見えた神様の足は、けれど再び見た時には皮のブーツを履いた男性の足をしていて、私は恐怖から幻覚でも見たのだろうかと内心で首を傾げた。


 皮のブーツの上はぴったりとした黒のズボン、その上は白の柔らかそうなシャツで、細身ながら締まった筋肉が見て取れる。日常的に乗馬をする人のようなしなやかさを私は感じた。すらりとした首の上には黒の艶やかな髪をした、目鼻立ちの整った美丈夫が自信満々の表情を浮かべている。ロディやリアムと同じような、美しい顔立ちの男性だ。けれど二人よりも、どこか野性的な印象を受ける。


 神様の黒い瞳と目が合った。その奥に燃えるような憎しみを見た気がして私は目が離せなくなった。そんな想いを抱えたのは、ロゴリの村の人が機嫌を損ねたからか。それとも。


「もう一度、歌ってみせろ」


 高慢な態度で神様は私に命じる。私は胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。息を吸って歌い始めようとすると神様が鋭く声をあげて私の歌を止めた。


「私から目を逸らすな」


 私は驚いて神様を見た。神様は少しも表情を崩さず、私を見下すように目を合わせてくる。私はもう一度深く息を吸うと先ほどよりもしっかりと足を開いて背筋を伸ばした。神様といえど、誰かの目を見ながら歌うのは緊張する。でもそう望まれるなら、そういった形式で歌を望まれるなら、私は応えなければいけない。


 私の天職は、歌姫なのだから。


 黒く、燃えるような熱をその目の奥に見ながら私は同じ歌を歌い始める。長い歌ではない。けれどその短い間に私はこの神様の興味を惹かなければならない。そんな気がした。


 ロゴリの村の人が何をしたのか、どうして泉の水を毒に変えてしまったのか、どうしてそんなに気に障ってしまうのか、どうすれば赦してもらえるのか。


 とても神様への感謝や尊敬を込めた歌にはならなかった。それでも神様は表情を変えず、自信満々の表情で口角を上げたままだ。私を品定めしながら、どうしてやろうかと内面では考えているのかもしれない。


 同じ時間をかけて歌い終えた私は再度、神様の目を見たまま頭は下げずに同じ所作でお辞儀をする。許しが出るまで姿勢は戻さない。神様は私の歌の余韻が空に溶けるのを待って、口を開いた。


「お前は知りたがりな娘だな」


 歌に全て出ていたのだろうと思う。隠す気はないから、私ははいと肯定した。


「気が変わった。暫しお前と時を過ごすことを許そう。娘、傍へ寄れ」


 私はお辞儀の格好から姿勢を正して、そろりそろりと神様へ近づく。震えそうなほどの緊張で体が軋んでいる気がした。


「神の(ねや)に招かれることをお前はどう考える」


 私は言葉の意味を図りかねて首を傾げた。神様は笑い声を漏らすと唇を歪めるように笑った。


「幼いのか鈍いのか、妙な娘だ」


 神様は暗がりの奥へ視線を向けた。私もそれを追うけれど、よく見えない。その暗がりの中から神様は現れたのだから、いらっしゃるという洞窟がそちらにあるのかもしれない。


「娘、私の後についてこい」


 無防備にくるりと背を向けて歩く神様に、私はランタンを掲げてついていった。



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