12 村からのお願いですが
「やぁやぁ、綺麗な歌声だ」
歌い終わった私が聞いてくれた人たちに向けて頭を下げると、そんな声が頭上から降ってきた。顔を上げてみればにこやかな笑顔を浮かべた男性が私に握手を求めて手を差し出している。私もそれに応えながら、ありがとうございますと礼を返した。
彼はラフカ村で会ったエルマの父親よりも年上に見えた。人の好さそうな笑みに、太陽の恵みを沢山受けてきた印象を受ける。アメリアもそうだけれど、この村の人たちは誰もがそういうぽかぽかとした優しい笑顔を浮かべるのだなと私は微笑んだ。
「歌姫なんですって」
歌を望んでくれた女性が男性に話しかける。それを聞いて男性は目を丸くして頷いた。
「道理で素晴らしい歌だ。この歌声なら神様も機嫌を直して下さらないだろうか」
神様、と私はその言葉に反応した。湧水を毒水に変えてしまったという、アメリアの話してくれた神様のことだろう。神様を怒らせたから毒水にされてしまったとアメリアは言っていた。
私が首を傾げて知らない振りをしていると、男性は困ったような表情を浮かべて私に話し続けた。
「このロゴリの村には評判の湧水があるのですが、其処にいる神様の機嫌を先日損ねてしまいましてね……。何度かお許し頂けないか試したものの、そのどれも失敗に終わりっ放しで、我々も困り果てていたところなんです。
けれど、貴女の天上にも響くような美しい歌声ならきっと上手くいく。お願いです、どうか我々を助けてくれませんか」
直接的な願いに私は困ってしまった。村の様子を探るだけのつもりで出てきたのに、助けてくれないかだなんて頼まれるとは。
女神様のために歌ってきたことなら沢山ある。けれど見も知らぬ、それも決して好印象とは言い難い神様に私の歌が届くだろうか。神様なら、そういうのは見抜いてしまうような気がした。けれど流行り病にも毒水にも災厄に見舞われながら笑顔で日常を維持しようとするこの村の人たちに、いいえと突っぱねることなんて私にはできない。
「上手くいく保証はないですけど……私にできることなら」
そう答えれば、おお、と感嘆の声があちこちから上がった。引き受けてくれるか、そうか、助かる、ありがとうとまだ神様の機嫌も直っていないうちから村の人たちは感謝の言葉を私にくれる。私は驚いて目を白黒させた。
「そうと決まれば早速準備に取り掛かりましょう。湯あみの準備を誰か頼む」
男性が誰にともなく呼びかければ、村の人たちはさっと動いた。
「失礼、挨拶が遅れました。わたしはこの村で村長の代理を務めている、ルーカスと申します。村長は病に倒れたばかりで後任も決まっていないのですが、ひとまずは村長の息子であるわたしが」
彼の目の奥に寂しそうな色を見つけた気がして私は胸を痛めた。親が病に倒れた時の衝撃を私は知っているから、痛めた胸の奥であの時のような鈍い痛みを思い出した。絶望感と押し潰されそうなほどの不安も同時に。
「ゆっくりと湯に浸かって疲れを癒してください。今日の夜には神様のところへ向かって頂きたい。アメリアにはわたしから言っておきましょう」
さぁ、と言われた次にはあれよあれよと言う間に私は手を引かれてとあるお宅でお湯を借り、綺麗さっぱりと汚れを落としていた。野宿した時についた土も全部洗い流し、簡単に埃をはらった服に袖を通す。櫛で髪を梳いて丁寧に髪の水分を布で取り除いているうちに陽は沈み始めていた。
湯冷めしないようにと渡されたお茶はアメリアが淹れてくれるような薬草の香りがして、私の緊張を和らげてくれた。
「この道をずっと行くと水がこんこんと湧き出る場所に出ます。神様は近くの洞穴にいらっしゃいます。けれど近寄ってはなりません。興味を引かれれば神様の方から出てきますから、貴女はどうか歌ってください」
藍色に暮れる空の下、小さく微かに灯るランタンを手渡されながら私はルーカスから森の入り口でそう言い聞かされていた。入り口までは村の人が数人、見送りに来てくれた。けれど此処から先はひとりで行くように言われて、私は神妙に頷く。
ランタンの灯りを頼りに、私は森の中へ足を踏み入れた。一度だけ振り返ったけれど、村の人たちは別れた其処から一歩も動かず、私の挙動を見守っているようだ。私は柔らかな土を踏みながら暗い森を進んで行った。
夜の森は昼とは違う賑やかさがある。風が吹けば木々の葉が擦れてお喋りをするし、小夜啼き鳥が可憐に囀る。その中に私は水の流れる音を拾っていた。清廉な水の流れる音にしか聞こえないのに、神様はそれを毒に変えてしまったと言う。
水の音が大きくなったところで私は立ち止まった。何処まで行けば良いか暗くて分からないけれど、あまり奥に行き過ぎても神様の根城に近づいてしまうかもしれない。
ランタンを持ったまま、私は深呼吸を繰り返した。胸の動悸は収まらないけれど、こんな夜にぴったりの歌がある。父が教えてくれた、流れゆくものを見つめる孤独の歌だ。久遠の時を過ごしてきた孤独を抱えた者の歌は、幼い私に恐怖を抱かせた。けれど父の歌声はいつも、寂しそうだった。
どんな神様が此処にいて、どんな思いを抱えているのだろう。村がどんな失礼をしたのかルーカスは教えてくれなかった。どんな神様かも、教えてくれなかった。失敗したらどうなるのかも。
けれど私は此処の神様に怒ってもいるのだ。流行り病が蔓延している時に大切な水を毒水に変えてしまうなんて、あんまりだと思うから。
私が歌い始めて少ししてから、奥の茂みががさりと鳴った。




