20 呪いとの相対ですが
呪い、と私は聞こえた言葉を繰り返した。そうだよ、とロディは頷く。
「大抵は人の想いが生み出すものだ。だけどこれは、理不尽に奪われた生命による呪いだね」
私はロディの言葉を頭の中で反芻した。意味は判るようで解らなかった。だって、それじゃ。
「誰かの命が理不尽に奪われたってこと……?」
思い至って呟いた私に、そうだよ、とロディはいつものように笑う。けれどその表情には何処か、焦燥も滲んでいる気がした。
「呪いというのは想いの力だ。想いは時に――」
ロディが視線を向ける方を私もつられて向いた。ラスの剣先が靄のような呪いに向かって突き出される。けれどそれはほとんど靄に剣を突き出しているに等しくて、呪いが衝撃を受けている様子はなかった。
「――法則を無視することがある」
靄は意志を持つように、まるで人のように、明確に形を変えてラスとテオに襲いかかる。テオはあろうことか血に塗れた衣服を持ったままだ。そんな手で剣を握るのは難しいだろうに、それでも剣を振り続けている。靄には目でもあるのか、苦戦するテオを狙っているようだった。ラスが庇おうとするけれど、手応えのない靄を斬るのは不可能に見えた。伸ばされる手のようなものに捕まらないようにするしか現状では対処のしようがなさそうだ。
「あ、あんなの、どうしたら」
震える私の声に、ロディは返さなかった。ロディでさえ答えを持たないのかと思って私は血の気が引く。ラスにもどうにかできそうには見えなかった。
「テオ!」
ラスの声が空気を裂いた。庇いきれなかったラスの目の前でテオは靄の伸ばす手に捕らわれる。息を呑む私の隣に誰かが駆け寄るのを感じた。視界の端にちらりと見えた黒髪と赤く輝く宝石に、私は思わず彼女を向いた。
「エルマ!」
声を挙げたのは私だけではなかった。モニカと――村長の声も確かに重なるのを私は聞いた。
「……エルマ、自分に何ができるか判るかい」
ロディより前にエルマが飛び出さないように咄嗟に抑えかけた私を制するように、ロディがエルマに声をかける。ぎゅっと杖を握りしめてエルマは頷いて、私は二人の顔を交互に見た。
「援護しよう。大丈夫、キミならできるよ。ライラ、放してあげて」
ロディに促されて私はエルマに伸ばしかけた手を引っ込めた。エルマはロディの隣に立って、地面に魔方陣を描く。その小さな手が小さく震えているのを私は見た。ロディが何か素早く唱えて、エルマの服や髪がそよそよと風になびいた。
その間にも靄はテオを捕まえていて、ラスは靄に斬りかかるけれどまるで手応えがない様子だった。テオは苦しげに呻いている。彼の手から剣と血塗れの服が離れた。
「ラス! 離れて!」
ロディの鋭い声にラスが反応するのとエルマが呟きと共に杖の先で地面を叩くのは同時だった。途端に私の視界一杯に真っ赤な火柱が立ち上る。ただひとり、エルマが確かに立っていることさえ分からなくなりそうなほどに巨大な炎だ。熱風が私の肌を舐めて思わず私は後ずさった。
「お願い!」
エルマの大きな声に合わせるように炎はゆらりと形を変えて靄に向かって走った。ラスが靄から充分に距離を取る。けれど靄の元にはまだ、テオがいる。後ろにいる村人の何人かから悲鳴があがった。私の悲鳴は飲み込まれて出て来なかった。
「任せて」
ロディが落ち着いた声で誰にともなく言う。エルマの髪をなびかせていた風は炎よりも速くテオの元へ辿り着き、吹き荒んで靄を払った。テオは地面に頽れ、それでも尚、地面にぱさりと落ちた血塗れの服を掴んで後ろに放り投げた。
靄は炎が到達するより前に再び集まった。ただ、テオの放った衣服を中心に集まっているように私には見えた。そしてエルマの呼び出した炎が靄を覆い、衣服はあっと言う間に消し炭になった。
「ライラ、こんな時だからこその頼みだ。歌ってくれるかな。理不尽に奪われた生命が迷わないで済むように、魂を鎮める歌を、赦しを与える歌を」
炎のごぉっという音に紛れてロディの優しい声が私に届いた。優しすぎて私は其処に滲んだ悲しみに気付いてしまった。熱風が喉を傷めるかもしれない。それでもそう言われれば私は歌わずにいられなかった。
目を閉じてひとつ深呼吸をして。すぐに思い浮かんだのはあの日、教会で歌った曲だ。流行り病で両親を含めた村人を数名見送った際、司祭さまは休んでも良いと言ったのに私が無理を言って歌わせてもらった、あの日の歌。声は震えて音は外れて、父なら笑っただろう。母は心配したかもしれない。けれど私は歌わなければならない気がした。歌わなければ、立ち止まってしまって二度と歌えなくなる気がした。
気づけばロディのいつもの優しい風が私を包んで、私の歌を遠くまで届けてくれるように空へ向けて流れていた。呪いを生み出すほどの強い思いが、鎮まりますように。空へ昇っていけますように。
エルマの炎は次第に勢いを弱め、靄も衣服も跡形もなくなっていた。倒れたテオの元にラスとエルマが駆け寄り、テオは手を借りながら自力で立ち上がる。モニカもテオに駆け寄って力強く抱きしめていた。私も歌を終わらせて、大きく息を吸った。
「お疲れさま。いつ聴いてもキミの歌は綺麗だね」
ロディが片手をついていた陣の上でよいしょと立ち上がる。私は頭を振った。
「ロディがいつも助けてくれるからだわ」
「ボクはキミの歌を遠くへ届けるための手助けをしているに過ぎないよ。歌の表情はキミがつけているものだ」
きっと、とロディは靄がいた方へ視線を向ける。
「エルマの炎とライラの歌であの呪いも浄化されただろうね。ありがとう」
ロディの穏やかな微笑に、私は再び頭を振った。