24 気まぐれですが
「争いに来たわけではないのだけどね」
「同感だよ」
ロディが零した言葉に頷いたのはアレクセイを連れてきた青年だった。へぇ、とロディが目を細めて青年を見る。青年もロディを穏やかな表情で見遣った。
「此処は静かなところだから。罪の贖いの場が賑やかで楽しいというわけにもいかないから厳かにしている面もあるけれど、長いことそうだと流石に変化が欲しくなるものだからね」
青年が微笑む。それにしては、とロディが口を開いて続ける言葉が意地悪なものだと私は直感するけれど、止める手立てはなかった。
「趣味が良いとは言えないんじゃないかい?」
「ロディ……!」
ラスが咎めるような声を出しても、ロディは肩を竦めただけだ。全然悪びれていない。
「でも鳥を飼い始めたんだろう? 賑やかさならそれで充分な筈だ」
にっこり、と笑うロディの目は笑っていないけれど、青年はものともしなかった。二人の雰囲気は少し似ているような印象を私は受けるものの、壊滅的な相性の悪さも感じていた。多分、自分の嫌いなところを相手が持っている人たちの険悪さだ。
「──地上の喧騒は不要な筈だと思うけどね」
多くの人が流れ込む、とロディは続ける。青年が口を開こうとした時、楽しそうな笑い声が割って入った。驚いて私が声のした方を向けば、彼女が肩を震わせて青年を指差しながら笑っているのが見えた。
「言われてるぞ、お前! 良いのか? 反論しなくて良いのか?」
同じ地下に住んでいるのだろうに、と思って私は目をぱちくりとさせたけれど青年は息を吐いて彼女に向けて言葉を紡いだ。
「そうやって水を差すのは良くありませんよ」
「水か、水は俺たちに友好的だけどな、其処の魔術師だって同じだろ。こいつらはあの形ないものを手懐け好かれてさえいるじゃないか。其処の未熟な召喚士なぞ、俺の本を水浸しにできると豪語までしたんだ。あいつらは流れるものだからな。それくらいの強引さでなければ手懐けようはないだろうが」
椅子の肘掛けに頬杖をついて彼女は青年を面白そうに見つめ、目を細めた。さらりと流れた銀の髪が綺麗に輝く。
「一点集中は分が悪い。お前、その歌唄いとかいう新しい玩具は必要か?」
は、とアレクセイが疑問の声を思わず漏らす。私たちの意志など無関係に話が進み始めるのを感じて私はアレクセイの腕を掴む手に力を込めた。
「今でなくとも、と答えておきましょう」
青年の回答に彼女はにんまりと笑う。俺もだ、と頷く彼女は頭上に吊った鳥籠を見上げた。オリガが緊張した面持ちで彼女を見つめ返す。
「いずれ此処に来る者たちだ、いずれ俺たちのものとなる。なに、贖う時間は飽きるほどあるんだ。それなら地上に戻した方が楽しい話の続きを描くかもしれない。興味深い本も手に入った。此処で打ち切っては惜しい。
娘、あぁお前だ、ライラ」
急に呼ばれて私は身構えた。けれど彼女は何をするでもなく、私にただ真っ直ぐ視線を向ける。ラスやロディは油断なく構え、視界の隅でセシルもすぐ召喚を行えるよう備えているのが見えた。
「この娘の物語に入り込んだお前、お前の物語にも興味が湧いた。だからお前の問いに答えてやるのは今じゃない。あぁ、今じゃないとも。何もかもが今じゃなかったんだろう。今は帰れ。いずれ、また。それまで死ぬなよ。此処には来るな。俺以外にも俺のような奴はいる。誰にも愛されるな」
真っ直ぐに向けられた言葉は、願いのように聞こえた。しまった、とロディが焦った声を出すのが聞こえたけれど、彼女の言葉の方が速い。
「これは貸しだ。お前の炎を代償に、多少の加護をやる。くれぐれも使うなよ? わざわざ寿命を縮めるな」
胸の奥、彼女の燃える瞳が熱を移したように熱くなった気がした。何だろう、何かを、されたんだろうか。体の奥深く、私でさえ触れない場所に彼女は触れられるのかもしれない。
「……貴女、もしかして」
触れられてハッとした私が言葉を言い終わる前に彼女は再びにんまりと笑った。頬杖をついていない方の片手を上げて、軽く左右に振る。視界が遮られ、咄嗟に飛び込んできたセシルが私の腰に抱きつく感触と、アレクセイの腕を掴んだ感触だけが残った。何も見えない。がた、と足下が揺れた気がした次の瞬間には私たちは、最初に姿を見失った山の出入り口に佇んでいた。
「……戻って、きた……?」
お互いに何処かが欠けたり消えたり異常がないことを確かめ、周囲を見回した。触れ合っていた私とアレクセイ、セシルは同じ場所で、少し離れた場所にラスとロディが周囲を警戒した様子で立ち竦んでいる。ポケットの中でもぞもぞと動く気配がした。コトも一緒に連れ帰ってきたらしい。
「オリガ……!」
息を呑んだアレクセイが私の手を振り解いて走り出した。遠くでオリガが地面に横たわっているのが見える。ロディも駆け出したのを見て私も我に返り、走り出した。
アレクセイに抱き起こされたオリガは少し衰弱しているように見えたけれど、テキパキとしたロディの診察を受けて異常なしが確かめられた。意識もあるけれどひとりでは歩けなさそうで、ぐったりしている。ラスが肩を貸そうとしたところでアレクセイ自ら彼女を背負うと申し出た。
「今度こそ離れるわけには参りませんので」
アレクセイの言葉を退けられる者などいる筈もなく、私たちは受け入れる。彼の竪琴を受け取った私にロディがこそりと耳打ちしてきた。
「ライラ、何ともないかい? キミはその……呪いをかけられていたように見えたものだから」
「呪い……?」
彼女の言葉では加護だったけれどね、とロディは言う。私は胸に手を当てた。胸の奥深くの熱に触れられたような気がしたあの時、私が感じたのは。
「判らないわ。でも私、彼女のことを……」
「ライラー? ロディー? 早く行くよー! アレクセイの体力が保つうちにねー!」
進み始めていたラスたちが私たちを呼ぶ。今行くよ、とロディが答えて私たちも足を踏み出した。村には灯りが見える。今度こそ人がいる場所に帰ってきたのだろうと私は思った。皆もいる。言葉通り帰してくれたのだろう。私たちの疑問には答えないどころか、更なる疑問さえ残して。
歩きながら私は直感を思い起こす。言葉で触れられた、あれが呪いだと言うのなら。
命の熱に触れる彼女はさながら、詩に残る炎の娘。