表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
11章 火群の回廊
281/361

21 地下深くの少女ですが


 昏い地下深くでひとり本を捲る少女は作り物めいた美しさを持っていた。白磁の肌が映える黒いローブを纏った少女は見下すように顔を反らし、長い脚を組むと私を見る。下ろした銀の髪は長く、織物のようにさらりと滑らかでランタンの蒼い光を反射して輝いていた。さながら青白く燃えているかのようだ。同じ色をした瞳はまさに炎のように揺らめいて、楽しむように細められた。


 ラスやロディが武器を構える。ぴり、と緊張した空気が張り詰めた。


「畏れ知らぬ人の子よ。まだお前を愛する番ではない。よほど順番を守れないと見える。俺の手を遠ざけたがる人ばかりの中、此処まで来る理由は何だ」


 低く、中性的な声だった。こんな地下深くで過ごすなんておよそ人とは思えない彼女はけれど、人の形を取る。私たちと言葉を交わそうと思えば同じ形を取るのが合理的なのかもしれない。


「こ、此処に引き入れたのは貴女の方だわ」


 呑まれそうになりながらも私は答える。山に足を踏み入れた途端に景色を変えたのは彼女だ。そう言えば彼女は唇だけで嗤った。もぞり、とコトが動く。私はポケットの上から温かな膨らみを撫でた。


「お前を呼んだのではない。俺が呼んだのはこの娘の方だ。多くの命を屠り、嘆き、恨み、向けられた想いを一身に受けるこの娘だ。縋ったのは娘だが着いてきたのはお前の方だろう。帰りたいなら帰してやる。ひと夜の夢として……あぁ、邪魔が入っていたんだったか。難儀なことだ」


 楽しげな表情は変えず、彼女は言う。ぺら、と頁を戻すように捲って視線を手元に戻した。


「『どうしてオリガ様を呼ぶの』」


「どうしてオリガ様を呼ぶの」


 私が問うより少し早く、彼女が私の言葉を先取った。何だろう、と私は背筋を冷たいものが走る感覚に震えた。何だろう、今の。


「なるほど。数多ある問いの中からそれを選ぶのがお前か。躊躇わず、振り向かず。それに俺が答えると思っている。あぁ、ふふ、そう言われれば不安になるか? 人の子はいつの時代も興味深い」


「それ、お姉さんのことが書いてあるんだ」


 セシルが口を挟んだ。少女の目がセシルに移る。違わないと思うけど、とセシルは油断なく周囲を警戒しながら口を開いた。


「僕のことが書いてある本は? その本にはお姉さんのことしか書いてないんじゃないの。何処までのことが書いてあるんだろう。未来のことまで全部書いてある? でも、お姉さんは僕が何を言い出すかなんて知らないよね」


 ほう、と彼女は微笑んだ。人形めいた表情が刻まれて不気味さが増した気がした。セシルは臆せずに言葉を続ける。


「罪の重さを測るために記された本を読むんだ。その時に何を考えていたか、その後本当に悔い改めたか、全部記される。でも此処にいる全員の本を開いてる暇はないんじゃない? 全員を招き入れたのは勝算があるから?」


 セシルは天使のようににっこりと美しく微笑んだ。昏い地下で見ても、僅かなランタンの灯りだけで浮かび上がったその笑顔は清廉で、一切の汚れを知らないように見える。その実その口から出てくる言葉が、提示する選択肢が、私には思いつかないものだと私は聞いてから驚くのだ。


「僕ならこの部屋の本を全部水浸しにできるし、それはお姉さんもロディも同じ。ロディなら燃やすこともできるし、ラスなら切り刻んで滅茶苦茶にだってできるよ」


 え、と私は驚いてセシルを凝視する。本は貴重だ。多くの人がまだ獣皮紙を丸めて使っていて、冊子にするなんて夢のまた夢だと言うのにそんなことをしたら。


「俺の魔法がかけられた本に手を出せるとでも?」


「そんなの、やってみないと分からない。その言葉が本当かなんて、君が言うことだけを鵜呑みにするわけないだろ」


 ぱたん、と少女は本を閉じた。肘掛けに置いて身を乗り出す。揺らぐ瞳が燃え盛ったように見えた。


「やってみるか?」


「臨むところだよ」


「ま、待って! セシル!」


 私は慌ててセシルを止めた。なに、とセシルは不服そうに眉根を寄せて私を見る。


「僕の方を止めるの?」


「だってそんないきなりすぎるわ。助けてくれようとしたのは分かるけど、でも」


 問答無用の戦闘をしにきたわけではないのだ、と私は思う。彼女が此処の主人だと言うなら訊きたいことが沢山あるし、それに。


「ごめんなさい、その、私も喧嘩腰でした。まずは挨拶ですよね」


「は」


 その反応で誰も私と同じ考えではないことを知った。え、と私も驚く。彼女が閉じた本を私たちの様子を窺いながら開いて、そして視線を落とし──突然弾かれたように笑い出した。


「おい、お前、本気でそう思ったのか。俺が此処の主人だからまずは挨拶だと? 冒険者が聞いて呆れる。今までにも生きたまま下りてきた人間はいたが、はは、お前みたいなのはいなかった。いや、口先だけの挨拶はあったが、あぁ、まさか」


 片手で目元を覆うようにして彼女は笑った。上げかけていた腰を落として肩を震わせる。ラスやロディは油断なく構えたままだけれど、困惑した様子でお互いに顔を見合わせた。私はただ自分が笑われていることを理解して口を噤んだ。


「お前はもっと疑った方が良い。それで騙されたことも一度や二度じゃないのは知っている。だが、はは、あぁ、毒気が抜かれた。そうして裏切られても疑うことを覚えなかったなら此処に来てできることではないな。それは信頼か? 阿呆か? 俺はそれを莫迦と呼ぶがお前はどうだ」


 人形めいた顔が急に表情豊かに破顔するものだから私は面食らってしまった。でも問われているのは私だから、言葉を探す。


「……そう、ですね。莫迦と呼ばれても仕方ないかもしれません。確かに私は親切な人にばかり会ってきたわけじゃないから。でも話も聞かずに疑ってばかりいたら親切な人のことも遠ざけてしまうわ」


 騙されたことは確かに一度や二度ではない。つい先日だってアレクセイに騙されたばかりだ。彼女の言うことにも一理あるだろう。けれどだからといって全員を疑ってかかっていては信頼する機会を失ったままだと思うから。


「貴女のことだって私は知らない。何も知らないのに敵対するのは勿体ないと思うの」


 私の言葉に、笑っていた彼女は一瞬だけ表情を失ったように見えた。けれど瞬きひとつの間にその口角は上がり、目は細められていた。


「俺が“イイヒト”とやらに見えるのか?」


 その声には試すような響きが感じられた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ