20 行き止まりの更に奥深くですが
武器を構えたその顔を彩るのは相変わらず怯えに見えた。戦場に立てば誰もが怯えの色を乗せるものなのかもしれない。その怯えは何に対するものだろう。選択を何か誤るだけで手放すことになる自分の命か、それとも相手の命を刈り取る所業か。そうしなければ自分が失くすことになると言うなら、自分の家族を失くすことになると言うなら、震える足を叱咤して其処に立ち続けられるのだろうか。
それの是非を問うつもりはなかった。これは既に過ぎ去ったことで、沢山の後悔と反省を抱えて、この国は進んできたのだと思うから。
「……ライラ、いつでも良いよ」
ロディが私の隣でそう囁いた。ラスが剣を構えて万が一に備えている背中を見ながら私は頷く。後ろも任せて、とセシルが続けた。
「ありがとう」
私はいつも、守ってもらう方だ。私自身に戦う力があまりないせいで。教えてもらって身につけた方法も、手段も多少はあるけれど、それでも。こうして誰かに、守ってもらっている。
きっと彼らも誰かを守るために武器を取り、戦場へ赴いたのだろう。相手は魔物だったか、それとも人相手だったかもしれない。遠い遠い昔、それでもそれを罪と呼ぶなら。彼らは贖い、赦されるためにずっと此処にいるのなら。
私の歌では赦しにはならないだろう。私にそんな権利はないし、与えられる力もない。けれどずっとずっと昔に彼らが命を懸けて戦ったことを今、無関係な私が知ったことに意味があるなら。彼らを憶えている人がもう何処にもいないとしても、今、知ることができたなら。私にできることは。
彼らを想って祈り、歌うことなのかもしれない。
どうか、と両親を見送った時に歌ったことを思い出した。どうか、迷わず天に昇れますように。どうか、其処が全ての苦しみから解放された場所でありますように。どうか、見守っていてほしい。
それは私の祈りで願いだった。死者を想い送る歌は残された者のためにあるのだと私は泣きながら歌って痛感した。その後にこうして地下にある死者の国で罪を償う時間があったら、なんて考えもしなくて。ただただ、地上に留まることがないようにと。女神様の導きがありますようにと、願ったのだ。
失くした人を想う時間はどんどんと短くなっていく。想いが薄れるわけでも、消えてしまうわけでもないのに、前へ進む私たちが時間の止まった人を想う機会は減っていく。それが悪いことだとは思わない。けれど、寂しくは思う。
彼らを想う人はもういないかもしれない。でも、今は私が。彼らのことは何も知らないし、どんな想いを抱えていたかも判らない。それでもその顔に怯えが広がっていることは見れば判ったから、苦しさがあることは感じ取れる。その苦しさが和らぎますようにと願うことなら、できるから。
「……全然攻撃してこないね」
「彼らが欲しかったものを与えられている、ということなんだろう」
ラスの言葉にロディが返す。私たちは洞窟のような穴に足を踏み入れ、そろそろと進んだ。ラスを囲んで襲っていた兵士たちは武器を構えることもせず、ただ私たちを見ている。私に魔力があれば、もっと違ったかもしれない。でも私にできる精一杯だ。
洞窟の奥は暗くてよく見えない。けれど兵の形をした炎がいるから先があることは分かった。この奥に主がいるとロディは言った。彼らは門番で、侵入者を防いでいるのだとすれば。
死者の国と思われる場所の主人と言うなら、それは死者の国を統べる存在なのだろうと私は思う。一体どんな存在だろう。彼らを此処に留まらせる力があり、贖いを見守り、同時に課している。訊いてみたいことが沢山あった。
「奥だ。変だな……何もない」
セシルの訝しむ声がした。岩肌が剥き出しになった其処は行き止まりに見えた。ゆらゆらと佇む兵たちの灯りで見えるのはゴツゴツとした壁だけだ。ふむ、とロディが首を傾げる。
「見立てが外れたかな。でもそうなると行く場所がない」
「──招いてやろう。人の身でありながらこんな処まで来るとはな」
「!」
知らない声が響いて私たちは一斉に岩壁を向いた。ゴツゴツとしていたはずの其処は今やぽっかりと口を開けている。昏い、昏い、更に深い地の底が手招きしているようで私は一歩後退った。
「おっと、誰を置いてもお前だけは離さない」
「ひっ」
真っ暗な穴の中から見えない手に掴まれた感覚がした。鋭い風が吹き抜けて、私の足首をむんずと掴んで引き摺り込む。握られた足首が焼けるように熱い気がした。前のめりに倒れた私の腰をラスが掴んで支えようとしてくれたけれど、見えない手の引っ張る力が強すぎてラスの足も地面を離れる。虚空に投げ出された私たちは揃って息を呑んだ。
「ライラ、ラス!」
ロディが躊躇わずに跳んだ。セシルもそれに続く。真っ逆さまに昏い穴の中に落ちていく私をラスが強く抱き締めてくれた。
「しっかり掴まって。こういう時のロディだからね」
ラスが私にそう言った。聞こえたのか、任せてくれ、とロディが声を張る。早口で何度も何度も何かを唱えたロディが杖を振り、私の横を優しい風が通り抜けて行った。
「……殺しはしないよ。お前なんかこちらから願い下げだ」
私を掴んでいた見えない手がそう話した気がした。姿は見えないけれど其処にいるのだろうか。落下速度は緩やかになり、私たちは少しの衝撃に耐えて再び地面に足を着いた。
周囲は真っ暗だった。ラスが私に腕を回してくれているからひとりではないと思えるけれど、冷たい空気が漂っていて私は体を震わせる。
「こちらへおいで。そう、導きの火を辿ると良い」
声が言い終わると同時にぽつぽつと青白い炎が灯った。また細い道が続いている。けれど今度はその奥に扉が見えた。声の主は其処にいるのだろう。私たちは顔を見合わせ、頷いた。落ちてきた道を戻ることはできない。それなら前に進むだけだ。
静かな、炎の燃える音だけがする中を私たちは慎重に進む。押し扉の前に辿り着くとロディが進み出た。何かあっても魔法で防げるからと言って彼が扉を開く。何かが飛んできたり襲われたりするようなことはなかった。広い広い部屋の中で沢山の本が積まれているのが見える。その奥で、がしゃん、と音を立てて揺れるものがあった。
「ライラ、いけませんこんな処まで来ては……!」
「オリガ様……っ」
人ひとり入れる大きさをした金属の鳥籠の中で、オリガが柵を握り締めて私に呼びかける。望んで其処に入っているはずはない。その下で、ぱら、と本の頁を捲る少女に私は目を留めた。
青白い炎を灯したランタンを玉座の装飾に引っ掛けて、肘掛けに肘を着いて本を捲る少女は私やオリガと同じくらいの歳の頃に見えた。彼女が此処の、主人なのだろうか。死者の国を統べる、存在。
本から視線を上げて、少女は優美に微笑んだ。




