7 黄昏の向こうから来たものですが
「――風の守りをかけたからね。効果は、ボクが立っている此処まで。此処から先は全ての干渉を受けるから、出ないようにするんだよ。ひとりもだ」
黄金の穂が揺れる畑の真ん中で、ロディが杖を振ってから数歩進んで立ち止まり、そう口にする。それからぐるりと円を描くように歩いて、分かったね、と念を押した。
「内側から出ない限り守りは続く。魔物が突進してきても風にいなされ、左右どちらかに逸れる。魔法も然り。だけど土の魔法は通してしまうから、その時は何とかして逃げるんだよ」
「何だよ、弱点あるのかよ」
テオが驚いて声を挙げると、あるとも、とロディも驚いてみせた。
「何せ、キミが立っている地面まで風で覆うことは出来ないからね。全方位に完璧な魔法なんてものは自然から力を借りる限りないよ。後は自分の運と技術で乗り切るしかない」
たとえ魔術として改良を加えたとしてもだ、とロディは続けた。
「覚えておくと良い。魔術も、命を魔力に換えて使う魔法も、完璧なものはない。命そのものを擲てばあるいは、驚くほどの力を発揮する場合はあるかもしれないけど、永久ではないよ。人の命は永遠ではないからね」
穏やかに笑っているくせに冷たささえ感じる目で見られたテオが思わず背筋を伸ばして頷いた。分かった、と小さく絞り出された声に満足げに笑って、ロディはそれじゃ、とラスの待つ黒い大地へと歩いて行った。
「……何だよあいつ、あんなのと旅してんのかお前」
少し青ざめたように見える顔色のテオが私に視線を寄越して呟いた。信じられない、とその後に続きそうで私は苦笑する。
「あの剣士の方は凄い奴だってのは分かるけど、魔術師の方も何か底が知れねぇ奴だ」
「や、優しい人、だよ」
エルマが勇気を出すようにテオへ意見する。私もテオもエルマを向いた。長い前髪で目は見えないけれど、表情は真剣だ。
「今のはきっと私に言ってくれたんだと思う。魔法を知らない私に、教えてくれた気がする」
肩を震わせるばかりのエルマしか知らない私は内心驚いていたけど、黙って二人のやり取りを見守った。エルマが人見知りなら私が喋るとまた一歩引いてしまうだろうから。
「杖も買ってくれた。魔法について教えてくれる。何も知らないから何から聞いて良いか分からない私に、少しずつ教えてくれる」
「……そうだな。この村は魔法について何も知らないから、オレもエルマも、何をどうして良いんだか分からねぇな」
テオが手のかかる妹でも見るみたいにエルマを見て微笑んだ。優しい笑顔に、見ていた私もつられて頬を緩める。エルマはぐっと杖を両手で握りしめた。
「テオも、優しいよ。こんな私と一緒にいてくれるし」
「わーかったよ! 魔物が来るって時にこんな話はやめとこーぜ! 集中集中!」
慌てたようにテオは話を終わらせ、ラスとロディが歩いて行った方角へ体ごと向ける。テオの耳が真っ赤なのは夕陽のせいだけではなさそうで、私は小さくくすりと笑った。
「その、魔物って、此処からでも見えるもの?」
ふと思いついて私は二人に尋ねた。畑の中で身を隠す私達からラスとロディの姿は穂の間から遠目に見えるものの、すぐに駆けつけられるほどの距離でもない。エルマはテオを見たけれど、テオは視線を動かさないまま肯定した。
「此処からでも見える。体が大きいからな。そら、足音も聞こえるだろ」
テオの言葉に耳を澄ませば、微かに地鳴りが聞こえる気がした。それがテオの言う足音だと気付いたのは、魔物の姿が見えた時だ。大柄な猪の群れがこちら目がけて走って来て止まった。
モーブが大怪我を負ったあの日よりも大きな猪の群れだ。数は多くないものの、対するのはあの日よりも少ない二人だけ。ロディが補助に回るとすると主に相手をするのはラスだけになる。ラスが強いことは知っているけど、私は不安に胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に陥った。
剣を構えたラスと、杖を構えたロディと対峙して魔物達はどう動こうか決めかねているように見えた。ラスとロディも戦闘開始の合図を不意に生み出さないようにじっとしている。
「ああいうのが出ることは今までもあった。でもあいつら、基本は臆病なんだ。向こうの方がオレ達を避ける」
テオが瞬きも忘れそうなほど向き合う彼らを凝視しながら呟くように言う。
「それが最近になって人里に出るようになった。まだ警戒はしてるのか人がいなくなる夕方にだけど、オレはいつか、あいつらの方が強いって気づいたら真昼間にもやってくるんじゃないかって心配なんだ」
このまま畑を進み、村まで到達したら。食べ物がなくなる冬になったら。猪は雑食だ。もしもあの魔物も、動物を食べるなら。その動物が人でない保証など誰にもできない。
遠目にラスの剣が閃き、ロディの放つ風の魔法が此処まで余波を送る。魔物の悲鳴とラスの盾が魔物の爪を弾く音が聞こえる気がした。
「それなのに大人は対策しない。オレでも思いつくようなこと、考えつかない筈がないのに」
テオの焦燥が私にも伝わってくるようで、嫌な胸騒ぎを覚えた。それがどうしてかも、何に対してかも分からない。けれど知らないところで起きていることをテオが本能的に捉えているのではと思えて仕方がなかった。
「……テオ、あれ」
エルマが何かに気付いて声を挙げた。テオも目を凝らして息を呑む。山育ちの私の目にも確かにそれは見えた。
藍に染まりつつある黄昏の向こうからやってきたのは、更に大柄の魔物だった。




