9 細道の中ですが
私たちは手を繋いだまま、二人並ぶことはできない狭い道を進む。私が先頭を行くから肩は常に後ろへ向いていた。けれどいざという時にオリガが剣を抜けるように利き手は空けておかなくてはならない。私は両手を必要としないからどちらの手が塞がっていても構わなかった。
私たちの足音が細い道には反響した。緊張して浅くなる私たちの呼吸と見失わないように進む足音以外の音はない。死者たちは皆歩いてはいたけれど、人の姿を取る前が炎なのだとすれば足音がしないのは納得だった。
あの炎は、命の火、なのだろうか。私は両親の背中を追いながら考える。人の命はよく炎に例えられるから、私たちが見ているものもそうなのだろうか。それとも、本当に炎だから人の命として表現されるのだろうか。
あれが命の火だとするなら、それはまだ消えていないということになるだろうか、と私は望みにも似たことを思った。そうだったら。もしも、そうだったなら。両親は、帰って来るだろうか。また、一緒に。
勇者様の冒険譚では死者の国へ行き、其処の王との戦いが繰り広げられていた。誰かを蘇らせるためのものではない。だからそんな望みが叶うかどうかなんて、判らない。
でも、其処にもう二度と会えないと思った人が、その姿を見ることさえできないと思っていた人がいるなら、願いたくもなる。望みたくもなる。欲したくもなる。私がそんなことを考えるなんて、両親は思いつくだろうか。私がそれほど二人を愛しているのだと、笑って理解してくれるだろうか。
会って、気づいてもらったなら。何を話そう。何て声をかけよう。私だと気づいてもらえるだろうか。私の姿はあちらから見えるだろうか。あの頃とは違って髪の毛は短くなってしまったけれど、そう大きくは変わらないはずだ。声が、聞こえたなら。私の声なら父は気づいてくれるだろう。そうして私に気づいたら二人は、どんな顔をするだろうか。
細い道は薄暗い。けれど青白い炎だった名残か、先を行く両親の姿があるから完璧な暗闇ではない。足元が見える程度には先が明るいけれど、振り返ればもう戻る道など判らないほどに暗いのだろう。外は夜だった。青白い火がいくつも漂っていたとしてもあの地下への入り口付近にいなければ私たちが戻る道を見つけることは難しい。
「……ライラ、怖くはない?」
オリガが恐る恐るといった様子で話しかけてきた。聞き落としてしまいそうなほどの微かな声は、私が返さなくても良いと思っているかのようだ。それともそれは私が両親を追うことに夢中になりすぎていないかを確かめるためのもの、だろうか。
「怖いというよりは何でしょう、ドキドキはしてますけど……緊張は、してます。でもこれが恐怖からかというとそうではないような気もします。追いかけてるのは私の両親だからかもしれません」
私が返すとオリガは、そう、と相槌を打った。オリガは怖いだろうか。怖いかもしれない、と思う。私の両親ではなく彼女の父を追いかけていたなら私は今のオリガと同じ立場で、姿の判らない炎を夢中で追いかけるオリガと逸れないようにするだけで精一杯になりそうだ。
だから私は彼女と繋ぐ手に力を込める。驚いたように彼女の指先が跳ねた。けれど離れることはない。
「オリガ様は、怖いですよね。もし私が追っているのが魔物の類だと気づいたら、その時は容赦しないでください。幻覚を見せるような魔物だったら魔力のない私では気づかないかもしれないから」
「……ええ。その時は、必ず」
両親の姿が魔物でなければ良い、とは思う。けれど同時に見ることができるこの状況が特別なものであることも理解はしていた。奇跡に近いようなものでなければ、それならこれはきっと、魔物の類だと私も思うから。
ウルスリーの村で、人と魔物の子であるアルフレッドは人を引き寄せる餌もあると私に教えてくれた。人の姿をした擬似餌を使うもの、人の姿に化けるもの、人を騙そうとする時、大抵は好意的に映ると彼は語った。それがもし、この状況だとすれば。
ない話ではない、と思う。訳も分からず一緒にいた人と逸れて、懐かしい顔を見たら。ついて行きたくなる。置いていかないでと願う。私はまだ、オリガがいるから現実を忘れないでいるだけなのかもしれないのだ。
「冷静なオリガ様の判断を信頼しています。よろしくお願いします」
「わたくしが魔物だった時には?」
「そんなことあるんですか? ずっと一緒にいたのに」
振り返れないから彼女がどんな表情を浮かべてそう尋ねたかは判らない。でも、疑うことは必要です、とオリガは言った。
「あの道で出会ったわたくしが魔物ではない理由は? 山へ行きたがったわたくしが本物であるとライラ、あなたはどうやって判じたの?」
「う……そういう風に言われるとちょっと自信がないんですけど……でも合流したロディやラス、セシルも何も言いませんでした」
「彼らも本物であるという保証は?」
「頭が混乱します!」
ふふ、とオリガは楽しそうに笑った。こんなところで笑うなんてと思わないでもないけれど、彼女の声に安心したような色を感じたから悪いものではないと思う。
「ええ、ごめんなさい。混乱させるようなことを言いました。けれどライラ、お人好しのあなたはこれくらいは疑った方が良いのではなくて? あなたに真実を見抜く目があるというなら、真実を捉える耳があるというなら、結構ですけれど。何でも知っている仲ではないのでしょう? あなたの知らない彼らの姿が危急の際に表れたなら、それを本当とどのように判じるのかは常に考えておくべきです」
オリガの助言に、彼女はそうやって生きてきたのだろうか、と私は感じた。誰が味方かも判らない赤の宮で常に最善の判断を求められ続けた彼女の磨いてきた技術。私とは全然違う環境に生きてきた、女帝の少女。
私はぐっと彼女の手を再び力を込めて握る。目は真っ直ぐに青白い光を目指しながら、私はけれど言葉は彼女に向けて発した。
「オリガ様の言うこともちゃんと心に留めておきます。でも、今一緒にいるオリガ様が本物だって私には解ります。その判断を私は、信じます」
そう、とオリガも再び相槌を打つ。多少の諦めが混じったような、温かな声だった。