7 踏み入った先ですが
戻った山は先ほど後にした時と何も変わりなかった。相変わらず青白い火が漂い、周囲を仄白く照らしている。私たち以外の息吹は聞こえず、人の気配どころか命の気配さえ感じられない。私たちの方が皆と逸れたと言われても納得してしまいそうだった。
オリガと繋いだ手は離さないまま、私は山の入り口から見える範囲をじっと眺めた。ふさふさ尻尾のコトは私の肩を右へ左へと気紛れに移動し、その重さと温かさに私が勇気をもらっているなんて当のコトは思いもしないだろう。オリガが私を名前で呼ぶ許可を求めてすぐ、私は彼女にコトを紹介した。まぁ、とオリガは目を丸くしてコトの頭を優しく指先で撫でてくれた。コトが尻尾を嬉しそうに揺らしたのを見て彼女も笑ったから、少しは不安や恐怖が薄れていると良いと思う。
「ロディたちの姿は見えませんね」
「わたくしたちの方がやはり何かを違えたのでしょうね」
ただコトを追った私と、その私を追ったオリガは一体何を違えたのだろう。ラスも同じように私を追ってきたのに離れたのは何故なのだろう。私たちだけ、どうして。
「オリガ様はこの山に解決の糸口があると思われるんですよね」
考えても仕方ない。探さないことには見つけようもないことだ。オリガの考えには私も同意見だった。この山で逸れたなら戻る道もきっと、此処にある。
「ええ。でもこの山に入るのは幾年振りかも判らないの。あまり期待しないで頂戴ね」
彼女がこの山に、マーラ・エノトイースの村に住んでいたのは幼い頃までだ。儀式までの僅かな間だけ滞在した私だって充分とは言えないけれど。
「山の歩き方なら私の方が慣れていると思います。幸い雪も溶けてますし、雪山の過ごし方じゃないならきっと。
本当は夜のうちによく知らない山を歩き回らない方が良いんですけど……」
「明るくなる保証はありません。仮に朝を迎えたとして此処から出られる保証も。長居すればするほど出られなくなる類の魔法だとすれば厄介です」
そうですね、と私は頷いた。宮で多くの大人に囲まれ国を動かしてきただけあるのかオリガの判断は速い。じっとして朝が来るのをただ待つだけが最良とは限らない。何もしないでいるよりも少しでも手がかりを探した方が不安を紛らわせられるのも解るから、反対するものではなかった。
「……ランタン、此処で落としたんですね」
数歩先でオリガの落としたランタンが転がっていた。火を入れ風から守る硝子は割れて砕けている。キラキラと破片が青白い光を反射して微かに輝いた。
この山へ入って、ほんの僅かしか進んでいない。其処で私たちは何かを違え、同じ景色なのに誰もいない場所へと来てしまった。動くものといえばいくつもの青白い火だけだ。ふらふらと、ゆらゆらと、取り留めなく漂っている。目的があって何処かへ向かう様子もない。
「取り敢えずは村があったところへ。その後、儀式の場所まで行ってみましょうか。私が知っている場所がそのくらいしかないだけですけど」
「わたくしも同じようなものです。それに無闇に歩き回らない方が良いのでしょう?」
オリガが私と繋ぐ手に力を込めた。指先が冷たい気がする。でもその冷たさは私の緊張からかもしれない。
「あの火は……ライラ、あなたにも見えている?」
「見えます。オリガ様だけじゃありません」
オリガの手を握り返して私は答える。そう、とオリガはほっとした様子で息を吐いた。自分にだけ見えているかもしれないと思えば心配にもなるだろう。
「魔物の類かもしれませんから……なるべく避けて進みましょう」
ハルンに教わった舞踏も炎相手に効くとは思えない。火だるまになってもバフルの力で何とかなるかもしれないけど、と考えたところで私はバフルにまだ歌を返していないことに思い至った。約束を果たさなければ次は助けてもらえないかもしれない。
反対しないオリガと一緒になるべく木の陰になるよう道を選んで進んだ。いくつもいくつも漂っている火は遠目には仕掛けがあるようには見えない。魔法か、魔物か、はたまたそのどれでもないか私には判らないけれど対処しようがなければ向かっていくのは無謀でしかない。
幸いにも道中で漂う火と真正面から鉢合わせるような事態にはならず、私たちは村へ辿り着く。けれど、村の方が漂う火は多くて私は息を呑んだ。昼間に焼き払ってしまった村の残骸が静かに佇む場所に隠れられるようなところはない。あの火に目や耳があるようには見えないけれど、私たちに気づいても尚そのまま漂っているかは定かではない。一斉に向かって来られたらどうにもならない。
ふら、とすぐ近くを火が通り過ぎて行って私は体を強ばらせた。オリガも同様だ。コトはじっとしている。鳴かないところを見るにコトも警戒しているのかもしれない。
「──……そんな」
オリガが震える声で呟いた。え、と私は彼女を向く。カタカタと小刻みに震えていることに彼女は気づいていないらしい。通り過ぎて行った火を凝視して怯えている。
「……オリガ様?」
声を落として私は尋ねた。オリガの恐怖に揺れる目は火の向かう方へ縫い止められたままだ。向かうその先を知っているかのように彼女の視線は村の奥へと辿り着く。其処はアレクセイの家があった場所だ。其処も彼女が──正確には彼女の兵が──焼き払った。
「あの人は……わたしとアレクセイが……父と呼んだ人なの……」
「え」
私は先ほどの火を探す。もうどの火がそうだったのか、いくつもの火に紛れて判らない。でもオリガには判るようだ。あぁ、と悲鳴とも思える引き攣った声が彼女の細い喉を通って漏れ出る。
「なんてこと……此処は、死者の国なのよ、ライラ……っ」
まさか、と思った私の横を別の火が通り過ぎる。その火が見覚えのある姿へ変わって私も息を呑んだ。
「……お父さん……お母さん……?」
流行り病で見送った、両親だったから。
 




