1 暖かさの正体ですが
「簡単な話さ。あれは呪いだよ」
オリガ一行とは別の宿を取ることができた私たちは夕食を囲みながらロディの話を聞いて仰天した。セシルは驚いておらず、私とラスだけが驚いていたけれど。
「エミリーの時と同じ気配だ。エミリーとはまた質が違うけど」
セシルの返しにロディは頷いた。そうだね、と言いながらパンを千切る。急に暖かくなった気候に宿の人も驚きながら、それでもスープはどうかと勧めてきたので私たちはそれでと依頼した。湯気を立てるスープは寒い季節には欠かせないのだろうけれど、今は春を迎えて体の中から温めなくても良さそうだ。昨日まで真っ白な世界にいなければ私だって首を傾げることはなかっただろう。
「エミリーは自ら呪いを生み出してそれに浸っていたけれど、今回は違う。正真正銘の呪いだ。どちらかと言うと、ラフカ村で見たものに近いと言えばライラやラスは理解ができるかな」
一緒に旅をしようと決めてから最初に立ち寄った村のことを私は思い出す。新人魔術師のエルマと見習い剣士テオの依頼で村を襲う魔物の討伐に赴いたその先で、私たちが見たもの。
「……理不尽に奪われた生命による、呪い……?」
小さく尋ねた私の声を拾って、そう、とロディは再度頷いた。あれ、とラスも思い出したのか苦い顔をしている。エルマの魔法をロディが後押しして退けたあの呪いにはラスの剣撃が効いた様子はなかった。呪いは時に法則を無視することがある、とロディは教えてくれたけれど。
「あの魔物が呪いをかけたって言うのかい?」
ラスの言葉に、どうかな、とロディは首を傾げた。かけるなら当人たちだろう、と言いながらパンを口に入れて咀嚼する。焼きたての良い香りがするパンだ。こんな話題でも美味しいものは美味しい。
「国に、かは判らないけれど土地に影響を及ぼす呪いなんて恨みの方向性が広すぎる。命を奪った二人が、とはいえ止めを刺しただけだから発端となるボクに呪いが向くなら解るんだけどね。大抵は明確な対象に向かうのに、今回は何故かこの土地に呪いは現れた」
まだ遠い春のように雪を溶かす。私にはそれが呪いと言われても結びつかない。
「寒いよりは暖かい方が過ごしやすいと思うのだけど」
確かにまだ寒いはずなのに急に春のように暖かくなる、というのは驚きだけれどこの国はその寒さで命を落としてきた人が多い場所だ。この冬を超えられますようにと願い、祈って行われた惨い儀式が長年続いていたくらいなのだから。
「目先だけで考えればね。でもね、ライラ。今がこの暖かさで済んでいるだけ、と考えることもできるんだよ」
「この暖かさで済んでいる?」
ロディの言葉を繰り返す私に、そう、とロディは頷くとスプーンを取ってスープ皿に突っ込むとぐるぐると掻き回した。中からほわ、と湯気が再び上がる。たっぷりの野菜とごろんと大きな芋が入ったスープは表面が冷えても具材に熱があればその熱が溶け出すのだ。
「昨日までの寒さを覚えているかい? その寒さと相殺して今が単純に春のような陽気で済んでいる、とすれば。夏になれば此処はどのくらい暑くなると思う?」
え、と私は言葉を失った。 そんな風には考えていなかったからロディに促されるようにして私は今からその条件で考えてみる。此処の夏がどのくらいの暑さになるのかは判らない。けれど、昨日までの寒さは覚えている。その寒さをもって今が春のような気候だとするなら。夏はもっと、暑くなる。
私の回答にロディは肯定を返した。
「冬を春にするなら、春には夏になるだろう。夏のその先を、誰も知らない。次はこの夏を越せますように、と願うようになるかもしれない」
「……」
そんな、と思った。厳しい冬の次は厳しい夏になるのだろうか。冬の備えはあっても夏の備えはしていないだろう。乗り越え方だってきっと、伝わっていない。
「通年で気候が変わるなら育つ植物も変わる。今まで育てたものは育たなくなるし、雨や水だってどうなるか判らない。棲む動物だって変わるだろう。今までなかった病気が流行るかもしれない。何人かは生き残っても、ほとんどが死に絶える。急な環境の変化というのはそういうものだよ、ライラ」
夏を乗り越えても長く生きてはいけないかもしれない。そう示唆されると胸が痛んだ。折角この国を守ろうとオリガがやってきたことが、彼女の想いが、潰えてしまう気がした。国の行く末を憂い、国が続くために罪を背負おうとしているオリガの祈りが無駄になってしまう。
「でもそれがあの魔物一匹がもたらす呪いとはボクには思えないんだ。いくら命ひとつを代償に起こす奇跡とはいえ、国を、土地を呪うなんてそうできることじゃない。それこそ神様でもない限りは。神様として崇められていたからってそんな奇跡が起こせるほどの魔力量じゃなかった」
ロディは考えているのか目を伏せる。セシルもそれには同意、と頷いている。
「あの瞬間に命が奪われたのは魔物一匹だけど、住む場所を奪われた村人の想いが集まったものということは?」
「なくはないけど、弱いものだよ。それを人生と思うほど意味を見出していたとしても、ね。失意のまま命を絶たれれば其処に想いが焼きつくことはあっても、村人は全員生きてこの村に連れてきた。どれだけの人数であろうとも命ひとつを代償に生まれた呪いに比べれば些細なものだ」
何にせよ、とロディは話を締め括る。
「ボクらには関係のない話だ」
関わりたくても関わりようがない。そう言っているように、私には聞こえた。