22 炎の娘の討伐ですが
「だ、大丈夫だから、ロディ。私は無事だし、その、怒ってないのよ」
「ボクも怒ってはいないよ、ライラ。ただ挨拶をと思っているだけさ」
慌てて口を開いた私にロディはにっこりと笑ったまま答えた。う、と私は言葉に詰まる。表面上だけならロディの言う通りに見えるだろう。でも、そうじゃないのは声を聞いたら判った。
「物理の挨拶はラスがしてくれるだろうからボクからはそうだな、どの魔法が良いかな」
杖を掲げてロディは早口で聞き取れない言葉を発した。ひぇ、とオリガの護衛についている魔法使いが怯えた声を漏らす。魔法が使える人なら判る類のものなのかもしれない。
「キミは炎に強い魔物なんだろう。それなら水には、どうかな」
幸いセシルが水を沢山用意してくれたし溶かした雪も多くあるからね、とロディはにっこりと笑んだまま怪鳥に話しかける。怪鳥に人の言葉が判るかは知らないけれど、味方なのに恐怖を感じるには充分な声音だった。
「ラス、下がって!」
ロディの合図にラスはすぐ反応した。つられるようにオリガの兵もラスに倣う。怪鳥も殺気を覚えたのか上昇した。けれどロディの魔法は上空に逃げたとしても逃しはしない。ロディの目が捉えたまま、怪鳥目がけて水の魔法は放たれた。
「!」
耳をつん裂くような悲鳴をあげて怪鳥は苦しみ悶える。ラスたちが後退して戻ってくる間に怪鳥はそれでも上昇を続けた。お日様に近づいて温まろうとでもしているみたいだった。
「あ……」
濡れた翼が透明に煌めくのが見えた私は声をあげる。パキパキ、と翼が凍っていくのが遠目に見えた。太陽に近づいてもその氷が溶けることはなく、遂に飛べなくなった怪鳥はぐるりと頭を下にするとそのまま落ちてくる。ロディが杖をひとつ振れば、優しい風が頬を撫でた。いつものロディの魔法だ、と思う。身を守るための、優しい風はけれど魔物には向けられない。
どぉ、と音をさせて怪鳥は墜落した。凍った翼は落ちて砕け散り、細かい破片がこちらに飛んだ。そのどれもロディの魔法に弾かれて降り掛かりはしなかったけれど。
「……パーヴェル」
オリガが凛とした声で宮廷画家の名前を呼ぶ。地面にへたり込んで一部始終を見ていたパーヴェルは急に名前を呼ばれて驚いた様子でオリガを見上げた。オリガは怪鳥を真っ直ぐに見つめたまま口を開いた。
「あなたが止めを刺しなさい」
「え」
パーヴェルは目を丸くした。オリガは自分の腰に挿していた剣を鞘ごと抜いてパーヴェルへ渡す。受け取りはしたもののパーヴェルはオリガを見つめたままだ。
「先ほど走り出した勇気に敬意を示します。何の訓練も受けていないあなたがあのような行動に出るとは思いもしませんでした。ずっと命を削りながら絵筆に願いを込めていたことをわたくしは知っています。あなたの願いを、祈りを、恨みを。あなたは絵を描くしかできないなどと口にしますが、行動でしっかりと示したではありませんか。あの時の自分ごと叩き切ってしまいなさい。あなたはそうして、次は未来を。この国の誰も思い描けなかった未来を、描くのです。進むためにあなた自身の手で止めを刺すべきです。あの頃の声ごと切り伏せて、あなたは絵描きとして新たに進んでいきなさい。此処にいた者しか知らない英雄、その逸話ごとわたくしが牢まで抱えていきましょう」
パーヴェルにはどんな声が聞こえていただろう。あの夢にフェデレーヴの子がいたとするなら紛れもなく彼にも勇者の“適性”があって、魔物に妹の命を奪われたと知った時どんな期待の声が寄せられただろう。
──ぼくには力がない。剣を握るより絵筆を取ることを選んだんだ。ぼくには戦う力はないんだよ。いくら“適性”があるからと言ったって、ぼくには、何も。
──誰もぼくには期待していない。ぼくもぼくには期待していない。魔物を前にしてどうして立ち向かっていける?
戦いに行かないパーヴェルを家族は責めただろうか。絵筆を取り、せっせと願いを画布に描きつける姿を見て落胆しただろうか。彼はその声を受け止め、仕方がないと躱し、絵を描き続けた。彼なりの信念を持って。
何年も何年も、この山を見つめ続け。魔物の姿を視界に収めたこともあったかもしれない。そうでなければあんなに鮮明な夢を見ることはできないだろう。剣を握って戦う力はなくとも女帝のいる宮廷へ抱えられ、能力を問い失った民が人間なのだと訴えた。彼女の心を蝕むほどの言葉と技術でもって。
それを知るからオリガは彼に託すのだろう。過去ばかり向いてきたこの国で前を向いて進んで行けと焚き付けるのだろう。此処まで同じ罪を抱えてきたのに、ひとりで抱えようとしながら。
「……」
パーヴェルは立ち上がる。怪鳥は墜落の衝撃で息絶えたように見えた。時折翼が痙攣するけれど人を襲う力はもう持っていなさそうだ。その状態なら訓練を受けていないパーヴェルでも止めを刺せるとオリガは言っている。
「……ぼくは剣より絵筆を取ることを選んだんだ。オリガ様、悪いけれど剣の握り方さえ知らない宮廷画家に、手解きを頼んでも良いかな」
同じ罪なら最後まで。それを英雄と呼ぶのなら共に。過去の柵を断つなら一緒にと差し出された手を今度はオリガが目を丸くして見つめる番だった。けれど一瞬で目を伏せ、仕方がありませんね、と息を吐く。
二人で怪鳥の傍まで足を進めて、怪鳥の首にオリガが剣の切っ先を突きつけて狙いを定めた。此処です、と言うオリガの手の上からパーヴェルが剣の柄を握る。それはオリガが逃げられないようにした風にも見えたし、国がそうとは知らずとも崇めた対象を討つ罪を共に背負おうとしたようにも見えた。
「──」
パーヴェルが何かを口にしたのは聞こえたのに、言葉としては聞き取れず、薄氷が溶けるように空気に消えた。




