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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
10章 薄氷の翼
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16 オリガの憎悪ですが


「そう……パーヴェルは間に合ったのね」


 オリガは薄氷の目を私に向けるとそう呟いた、ように見えた。遠くて声までは聞こえてこない。とろんとした印象を受ける目は今は戦場にいることを忘れていないのか、鋭くあるようだ。私が無事だからといってオリガが攻撃の手を緩めることはないのだろう。それとこれとは結びついていない。


「オリガ様! 今すぐ攻撃を止めてください!」


 私は一瞬止めた足をまた動かした。彼女の周りには護衛と思しき兵が二人ついている。駆け寄ろうとする私に対して武器を構え応戦するつもりのようだ。それをオリガが止めたらしく、私が辿り着く頃には兵は姿勢を直していた。


「オリガ様! 中には私の仲間も、いるんです……っ」


 懇願する私をオリガはちらりと一瞥した。その頬に一瞬緊張が走ったように見えたけれど、予想はしていたのだろう。私たちはマーラ・エノトイースに向かうと告げていた。儀式の性質上、他の皆も一緒についていくとは考えにくい。この雪深い場所で村に身を寄せない道理はない。そうであれば、儀式の日に村にいることは想像がつく。


 オリガは動かない。どうして、と私は理由を問うた。


「……この村を残せば今後も犠牲が出るでしょう。わたしはそれを廃止したいだけ」


 重たい口を開いたオリガの答えに、それなら、と私は食い下がった。


「方法は他にもあるはずです! こんな、こんな風にしなくたって……!」


 少数精鋭の部隊が攻撃を開始したのは村の奥からのようだ。アレクセイの家が燃えている。皆が宴を開いている建物にはまだ火の手は回っていないけれど、時間の問題だ。


 まるで逃げ道を塞ぐかのような作戦はオリガのいる場所まで一本道が残されており、地下から出てきた人々は火に飛び込まない限りオリガの前に姿を晒す格好になる。彼女がどうするつもりか判らないけれど、外の状況が分からないまま地下から出てきた人たちは隙だらけだろう。加えて軍事訓練も受けたことのないような村人だ。手も足も出ないのは明らかに思えた。


「旅の娘、この国の実情をひとつも知らずに口を出すものではないわ。自分が見たものが、自分が信じたものが正義かどうかなど、知りようもないのだから」


「なん……」


 無知を突きつけられて二の句が継げなかった。私がこの国のことを全然知らないのは本当だ。雪が深いこと、寒さが厳しいこと、人々はその冬を越えるために儀式を行っていること、その儀式には生贄が必要なこと……私が知っていることといえばその程度のことでしかない。パーヴェルが抱える憎悪、オリガが抱える苦難を窺い知ることはできたけれど、でもそれはこの国を知ったことにはならないのだろうから。


 でも今のはもっと、根本的な指摘に聞こえた。


「わたしは女帝として儀式を廃止し、この村を──壊すの。上の決定など必要ありません。わたしの判断。(そし)りも罵倒も受け入れます。それでこの国が冬を越せなくなるというならこの国を捨てるまで。民を全て外へ送り、わたしは最後のひとりとしてこの国を出ていきましょう。人が住めない土地なら無理をして住み続けることはない。大勢を住まわすために誰かの犠牲なくして成り立たない国など、聞いて呆れる。

 幼い判断だと嗤う者はいるでしょう。憤る者も、失望する者も。でもわたしには、もう、これしか」


「……」


 彼女なりにこの国のことを考えて出した結論だと聞かされて私は言葉を失った。悩み抜いて出された結論には追い詰められた切実さがあり、無碍に切り捨てることなどできないと感じたのだ。国のことなんて私にも分からない。綺麗事だと言われても、オリガの理想を否定するなんてできなかった。


「でも、村の人は。村の人はせめて避難させてから村を壊したって良いんじゃ……」


 ──宮にはない儀式の担当は……あの村なのね?


 私が自分でパーヴェルに確かめた言葉を思い出す。オリガが廃止したがっている儀式を統括するのがこの村だとすれば、此処に住む人々はオリガと意見が対立していることになる。生かしておけばどうなるか分からない、と考えることもできることに気づいて私は言葉を続けられなくなった。


 彼女の護衛に視線を向けた。精悍な顔付きの兵は私を油断なく見つめている。私たちよりも歳上の男性だけれど、オリガを守ろうとする意思がその目には宿っていた。彼らは気づいていたのだろうか。だから彼女が決めたことならと付き従っているのだろうか。


「この村は過去の(しがらみ)から抜け出せず、ただ朽ち行く現状をどうすることもできない。(ふる)きを善きとし、氷の帝王の姿を求め続ける。過去の成功を何度繰り返そうと同じ結果が得られるわけではないのに。わたしは自分にその血が流れるのが堪らなく恐ろしい。どれだけ皆が光栄に思おうと誇りに思おうと、わたしにとっては呪いと同じ。わたしもまた、多くの犠牲の上にしか何も築けないと思うと。

 この国の長としてあるのなら民の犠牲なく続けていくことを模索すべきなのにこの村はそれを放棄した!」


 ぎり、とオリガが唇を噛み締める。


「どれだけ氷の帝王と同じ系譜であろうとも、わたしは賛同できません。過去を見過ごしてきたわたしにそんなことを言う資格はありませんけれど、それならせめて、儀式に固執する村は潰さなくては。奇しくも今日は儀式の日。炎に巻かれて自らを捧げれば良いのです。もしも儀式に効果があるなら村人の数だけ冬を越すことができるでしょう」


 憎悪に滲んだ声が恐ろしかった。オリガも儀式に憎悪を向けている。彼女が呪いと捉えるもの、その全てがこの村にあるのだと私は感じて皆が宴のために集まった建物へ視線を向けた。ロディやラス、セシルは、無事だろうか。


 ──此度の儀式の成功を彼の女帝もお望みです。


 アレクセイの言葉が耳の奥に蘇る。私はただ、呆然と燃え盛る炎を見上げていた。



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