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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
10章 薄氷の翼
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7 触れぬ熱の在り処ですが


 アレクセイの竪琴はぽろんぽろんと爪弾くように音を紡ぎ、それが歌や踊りと連動して美しさを増す。歌だけでも踊りだけでもダメで、その旋律あってこそ映えるのだと私が気づくのに時間はかからなかった。外で見ているだけでは判らないものも実際に内へ入って歌い踊ることで判ることもある。音も、舞も、全てが炎の娘に捧げられるためのもの。そうすることで彼女は悦び、冬の寒さを耐え凌ぐだけの熱を与えてくれるのかもしれない。


「一旦此処までにしよう。良い調子だ、そう焦らなくても大丈夫だろう」


 ニコライ村長がにっこりと笑ってそうお墨付きをくれたから、私は上がる息の合間に大きく頷いて話を聞いていることを示した。声を出すには疲労が溜まっている。感覚を掴むだけでも精一杯なのに本番で歌いながら踊るなんてできるのだろうか。


 あれから何度かの休憩を繰り返し、昼食を摂ってくるようにと言い渡された。食べて少し休憩すればまた再開するのだろう。


 踊りは確かに難しいことはなく、同じ振りを何度も繰り返すようなものが多い。けれど跳んで跳ねて体力を消耗するそれはそう何度も繰り返せるものではなく、休憩は多く必要だった。


「ライラ嬢、我が家で母上が伝統のスープを作っていることと思います。沢山食べてまた練習に戻りましょう」


 アレクセイは気楽にそう言うけれど、私はまだ息が上がっている。もう少し休憩したいと言えば、ではとアレクセイはわたくしは先に戻っていますので、とニコライの家を後にした。久々の親子の対面でもあるし、役目より優先したいことだってあるだろう。また後で、と私も頷いた。


 ニコライも昼食のために練習の部屋から退室している。誰もいないのを良いことに私は床の上でひっくり返った。


 村長の家は村の中でも大きな建物で、その理由がこの踊りを継承するためであるなら納得でもあった。ニコライの家というよりも村長の家ということなのだろう。そしてゆくゆくは、アレクセイの家になる。


 雪の上にある建物なのに床からの冷気は少ない気がした。汗をかくほど動いたせいではないだろう。人が住むからこそ考えられた建築なのだろうと思う。この雪深い場所で、人どころか生き物が生き抜くには過酷な環境で、それでも何とか快適に過ごせるようにと人々が知恵を絞った結果だ。この場所を離れられないが故に工夫するしかない。


「炎の娘か……」


 私は深い呼吸を意識しながらもその合間に音を零す。氷の帝王を溶かした娘。その娘を祀る岩。炎の娘はどのような娘だったのだろう。氷の帝王を溶かすことができるなど並大抵のことではない、と思う。魔物との戦いにおいて人の住む場所を守ろうとしたために冷徹であった帝王は人らしさを失った。その帝王に人らしさを取り戻させたのだから。


 ──わたしは女帝。命の選別を行う者。国を守る者。けれど国は民なくしては成り立たない。飢餓がすぐ其処まで迫るようなこの土地で、冬は雪に閉ざされ人の行き来も難しいこの土地で、わたしは決断をしなくてはならないの。


 オリガが語った夜を思い出す。寒々しい夜空の下で優雅に舞い踊る彼女は儚く幻想的で、炎とは遠い風景だった。


 ──いつか話に聞いた氷の帝王。その頃からある王の在り方。わたしに選択肢はない。たとえそれで切り捨ててきた命が、恨めしく視線を向けようとも。


 彼女はどちらかと言えば氷の帝王に近いのだろう。内側で抗いながら、それでも諦念に呑まれそうになって弱音を零してしまうほどに。


 氷の帝王も、同じように考えていたのだろうか。今よりも遥かに死者が出ていただろう氷の帝王の時代、今よりも厳しい冬が訪れていたとして。誰を生かし、誰を見殺して、国を存続させるかを考えなければならなくて。切り捨ててきた命が恨めしい視線を向ける想像に彼も眠れぬ夜を過ごしていたのだとして。それさえ跳ね除けて、彼は強く在ったのだろうか。それは民の目におよそ人としては映らなくて。氷の帝王こそ魔物のようと畏れられることもあったかもしれない。オリガの幻想的な美しさが人間離れして見えるように。


 そんな帝王が人らしさを取り戻すために強さを手放せた理由は何だろう。それを決断させた炎の娘は一体、どんな存在だろう。


 アレクセイがセシーマリブリンの市井で語ったのは氷の帝王と炎の娘の間を取り持つ勇者の冒険譚だった。間を取り持つと言うくらいならば敵対していたのかもしれない。あるいは氷の帝王に必要なものだと考えて紹介したと考えられる。魔性の帝王に炎の娘が必要だと判断した勇者の目に、彼女はどう映っていたのだろう。


 人が厳しい冬を越すために願う存在で、求められる存在で。きっととても暖かいのだろう。その場にいるだけで心が溶け出していくような。(かじか)んだ手足が、強張った心が(ほぐ)れていくような、そんな暖かさを持った。


 強さと引き換えに人らしさを取り戻した氷の帝王は、もしかして。


 そんな暖かさに触れたひとりだったのかもしれない。


「どんな人だったのかなぁ」


 快活で暖かく、けれど苛烈で触れれば火傷するほど熱い、まさに炎のような娘。絶えることのない(ほむら)が祀る岩に宿っていると考えて、温かな石を彼女と信じ崇めたくなるのかもしれない。それだけ彼女はこの国に大きな影響を与えている。


 私は起き上がる。息は既に整っていた。捧げる歌を口ずさみながらアレクセイが招待してくれた昼食へ向かうため、村長の家を後にしたのだった。



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