5 母への自己紹介ですが
母、と呼ぶには幾分と年齢が上に見えた。祖母、と呼んだ方が差し支えがなさそうなくらいに。
「初めまして、ライラと申します。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
けれどこの村の人たちは彼女をアレクセイの母親と呼んでいるし、受け入れている。母親にも色々な姿がある。フォーワイトの院で子どもたちの世話をするリカルドも血の繋がらない両親に良くしてもらって、自分も同じものを返そうと子どもたちと接していた。アレクセイもそうなのかもしれない。雪深いこの土地では全員が家族のような関係性を築いていてもおかしくない気がした。
私はそれらを笑顔の下に押し込めて老婆に向かって微笑んだ。老婆は目をしょぼしょぼさせていたけれど、自分とアレクセイ以外の人がいることに気が付いたのか、何度か目を瞬いた。
「おぉ……おぉ……! 若い娘の声……本当にアレクセイ、お前がやったのかい」
取られた手を握り直すようにして老婆に活気が戻りつつあるのを私は認めた。勿論だとも、とアレクセイも力強く頷く。彼女が信じられるようになのだろう。
「こちらに、こちらに来てよく見せておくれ……」
老婆が私を向いたけれど目の焦点は合っていない。遠いものは見えづらいのかもしれない。大きな家というわけでもないけれど出入り口と暖炉前の老婆との間には確かに距離があるから、私は足を前に出した。
「こんにちは。大切な儀式なんですね。成功するよう努力しますから」
アレクセイの隣で老婆の前に膝を着いて私も両手を伸ばした。アレクセイの手の上から老婆の手を包むように触れて、口を開く。アレクセイの年齢を考えてもやはり彼女が血の繋がった親というのは難しいだろうと思った。若い頃には外で仕事をしてきたのだろう手だ。今ではすっかり筋力も衰えているけれど、男性顔負けの活発な女性だったのではないだろうか。
「あぁ、本当に……。こんな辺鄙なところまでよくぞ来てくださった……」
老婆は噛み締めるように言葉を零す。苦労が窺われた。この雪山まで来てくれる人が少なかったのだろうか。先ほど見た限りではご高齢の方ばかりというわけでもなかったけれど、アレクセイや私たちくらいの若者はいない様子だった。歌姫の“適性”がある人もいないのかもしれない。
「十年前は夫が探しに行ったけれどついぞ見つけることができなくて……その頃まだアレクセイを旅に出すなんて考えられなかった。今回はようやく見つかったんだねぇ……」
老婆の目尻に涙が滲んだ。彼女の夫ということはアレクセイが父親と呼ぶ人だろうと思う。出掛けているのか今はいない。本当に大切な儀式なのだろうと感じて老婆の心中を思ったところで、あれ、とラスが疑問の声をあげた。
「十年前? パーヴェルは儀式は五年ごとだって言ってたと思ったけど……」
──炎の娘は歌と踊りが好きだと伝えられていてね。五年に一度それらを捧げることでこの国の厳しい冬を耐えられると伝えられている。昔は毎年やっていたようだけど戦で人が減っていてね。いつからか五年に一度で良いということになったみたいなんだ。そのうち十年に一度になるかもしれないし、廃れていくかもしれない。マーラ・エノトイースは山間にあるから人が暮らすのは大変だと聞くよ。
パーヴェルの部屋で私とラスは確かに彼からそう聞いた。でも此処へ来るきっかけとなったアレクセイから聞いたのは違う期間だ。
──その炎の娘を祀った岩に十年に一度、歌を捧げるのです。
間の五年は短いようで長い。特にこの雪深く寒さ厳しい土地では更に長く感じるかもしれない。国中の人が気にするほどの儀式だ。この五年の乖離は大きい。
「あぁ、エノトイースの都で女帝に謁見を済ませた折に宮廷画家から根も葉もない噂話を吹き込まれたと見た。十年前までは確かに五年ごとに行われていましたが、歌姫を探す旅に出られる者がこの村におりませんで……都の人が探しに行ってくれるでもなし、それはこの村の仕事とばかり。以降、十年ごととしたのです。女帝にも許可を得ているため宮廷画家の情報が古かったのだろうね」
そうだろうか。パーヴェルだって赤の宮にいるのに。でも五年前は街で売れない画家をやっていたという話だし、宮廷画家になったのはそれより後だろう。とするなら情報が出回った時には掴み損ねていて以降、誰からも聞いていないということもあるのだろうか。
腑には落ちなかったけれどそんなことを考えていても仕方がない。パーヴェルが言っていたようにこの村で暮らすのは大変だろう。それでもアレクセイが言ったように儀式のために歌姫を探すのが村の仕事であるならば、そう旅に出られないこともある。いずれは十年に一度に、そしてやがては廃れるかもしれないと予想したパーヴェルの言う通りになるかもしれなかった。
「都に?」
「ええ、母上。女帝はいつも通りご壮健で。民たちにも美しき長として慕われている様子。彼女の治世が続くことを願う声もありました故、不満が全くないわけではなくとも魔王軍の侵攻を彼女なら食い止められると漠然と信じている。氷の帝王ほどではないにしろ、その片鱗を見ることは叶いましょう」
老婆の問いにアレクセイが答えた。滔々と、舞台上で歌い上げるかのようだった。それを聞いて老婆は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「氷の帝王の面影を宿す子だからね。皆が期待するのも仕方ないさ」
「まさに。氷の帝王の系譜は長くとも、あそこまで語り継がれる姿に近い者はいなかったと聞きます。加えて才も、民を思い遣るお心もおあり。此度の儀式の成功を彼の女帝もお望みです。休んでいる暇はない。ライラ嬢には儀式までに踊りも覚えてもらわねば」
おや、と老婆が目を丸くした。アレクセイが得意げに笑う。
「母上、気力を取り戻して。暖炉の前にいて赦しを乞う日々は終わったのです。さぁ、儀式成功のため、ライラ嬢へ全力の助力を!」
アレクセイの喝を入れるような通る声に老婆の目が煌めくのが私には見えたのだった。