4 エノトイースの村ですが
「ようこそ我が故郷、エノトイースの村へ!」
ぽろん、とアレクセイが竪琴の弦を弾く。野営の寒い夜を越え、陽が昇ると同時に私たちは出発した。滑りやすい雪道を登り、数時間かけて山間にあるマーラ・エノトイースの村へ辿り着く。その入り口でアレクセイが舞台の幕開けのように声を張ったのだ。
「あぁ……やっと着いた」
馬車の滑落を防止するために風の魔法を使い続けていたロディがぐったりした様子で零す。傾斜が緩くなったところに家々が建ち並び、火を使うことによる煙も遠目には見えていたけれど辿り着いたと実感するにはようやくといった感想が真っ先に出たのだろう。私は苦笑してお疲れ様と労った。
向かう道中に天気が荒れることはなく快晴の青空の下、私たちは進んできた。その薄青い空の下、三角の屋根が白い雪に覆われつつも人の営みが感じられる。雪の上を進む荷車や人の声もして活気があった。儀式が迫っていることによる準備が行われているのだろう。ウルスリーの村でも祭りの準備がされていたことを私は思い出した。
「これはこれは皆様、精が出ますね」
村の出入り口に現れた見知らぬ馬車を警戒するように村人が向ける視線に、アレクセイは馬車から顔を出して声をかける。にっこりと笑ったその顔と大仰な話し振りは村の人も思い出すに充分なのだろう、一様に驚いた様子で目を丸くするのが私にも見えた。
「あんれ、アレクセイ! 帰ってきたのか!」
「ええ、ええ、此度の儀式に必要な歌姫を方々探し回り、このアレクセイただいま帰還致しました!」
「おやまぁ立派な馬車だでな。この山道は苦労しただろう」
「まさに! 速やかな休息が必要かと! 母上はどちらに?」
「お前の母親なら家だ。儀式に間に合わないんじゃないかとハラハラしとってな、顔向けできねぇって籠もってる。早く帰って安心させてやんね。馬の面倒はこっちで見るから──」
村人たちが準備の手を止めて馬車の周りに集まってくる。口々にアレクセイと言葉を交わし、私たちが降りるのも手伝ってくれた。厩の世話をしている人もいるのか立派な馬だぁ、と顔を綻ばせる。ラスが世話について話をして行くと言うので私とロディ、セシルは先にアレクセイについて行くことを話した。
「あぁ、おめさんが歌姫さんか。よろしゅうよろしゅう」
「え、はい。精一杯頑張ります、よろしくお願いします」
村人たちがありがたがるように私に頭を下げてくれる。私は驚いてしまったけれど、それだけ儀式がこの村の人たちにとっては大切なものであることが感じられて愛想良く笑った。魔術師然としたロディや仏頂面のセシルは歌姫には見えなかったのだろう。
「……この村から出てアレクセイってあんなになるわけ?」
セシルは村人たちの様子とアレクセイの様子とがそぐわず違和感を覚えているようだ。
「村人全員があんなだったら困らないかい?」
セシルの独り言が聞こえたのかロディが苦笑して返す。ロディの返答に私も苦笑してしまった。村人全員がアレクセイのような調子だったら全部が舞台に感じられてしまうかもしれない。あれは吟遊詩人として旅をする中でアレクセイが身に付けて来た話し方なのだろう。まぁ、とセシルも想像したのかロディの言葉を肯定した。
「考えたくもないよ」
* * *
エノトイースの村はエノト山の山間にある小さな村だ。ビレ村も山間にある村だけれど、エノトイースの村は切り立った崖に村を作ったらしい。傾斜があるから崖の上でなければ平地がなく、住みづらかったのだろう。炎の娘を祀っているという岩がある場所からも遠くてはいけない。防風林が少なくなってしまうから雪は多いけれど、眺めは最高だった。
アレクセイの家はそんな崖に建つ家々の中でも、少し小高い場所に建てられていた。多くの木々を積んだ土台の上に居住空間が設けられている。木枠の階段は雪が積もっていてほとんど雪の階段と化していた。私たちは手すりがないと心配で上がれなかったけれど、アレクセイは流石に慣れているのかトントンと身軽な足取りで扉の前まで辿り着く。
「母上、ただいま帰りました! このアレクセイ、務めを果たして参りまして!」
扉を大きく開けたアレクセイが朗々とした声を張った。家の中は薄暗い。村人の話では籠もっている、ということだったから塞ぎ込んでいるのかもしれない。アレクセイが帰れば安心させてあげられるといった口振りだったことを思い出して私はアレクセイの後ろから中の様子を窺った。
薄暗い中でも暖炉がついていてぼんやりと浮かび上がる。木造の家は暖かみがあり、暖炉の熱を優しく受け止めているようだ。窓辺には布が垂らされていて光を遮っている。暖炉の前では小さな丸まった背中が落ち込んだように影を落としていた。
「母上! あぁこのように暗い場所では目を悪くしてしまう! さぁ光を入れて、このアレクセイがお連れした歌姫をとくとご覧あれ!」
「え」
私を紹介してくれるつもりらしい、と気づいて驚いた声が出たけれどアレクセイは中に入ると窓辺の布を次々に捲っていった。私たちもいつまでも扉の前に佇んでいては外の冷気を室内に招いてしまうだろう。お邪魔します、と断って室内に足を踏み入れた。
「アレクセイかい……? 歌姫を連れてきたって……?」
暖炉の前で丸まっていた小さな背中が外からの喧騒さながらのアレクセイの声に顔を上げた。歩き回っていたアレクセイは暖炉の前に膝を着いて屈み込み、手を伸ばす。舞台でも見ているかのように、しなやかな伸ばし方だった。
「ただいま戻りました、母上。彼女こそ、此度の儀式で歌を捧げる歌姫その人、ライラ嬢です」
アレクセイから私に視線が移る。彼が母親と呼ぶ彼女は、暖炉の前の椅子にちょこんと座った老婆だった。
2023/05/28の16時頃:送り仮名ミスってたところあったのでしれっと修正!変換時に出てない送り仮名を後から追加しようとするとこういうことは稀によく起きるんですが…推敲能力のレベルが低すぎて申し訳…でも修正したので読みやすくなったはず!!!!