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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
9章 流浪の奏者
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23 オリガの恐れているものですが


 彼女の語るそれを呪いと呼ぶのは何だか、そぐわないような気がした。女帝として在ることを呪いと呼ぶならその座から降りれば呪いは解けるということだろうか。誰にでも座れる椅子ではないことは私にも解っているけれど、人形と称したのは彼女だ。国を守る役目を負うと理解しながら、民の目を欺くために座る人形だと。望んで座ったものではないのかもしれない。だからそれを呪いと呼ぶのだと言われればそうかと納得したかもしれない。


 雪の夜に舞う姿を見ていなければ。


 我に返った彼女の様子から歓迎されない事態であることは明白だった。また、と彼女は言った。そしてそれについて触れない私を訝り、呪われていると口にしたなら。


「……国の長に呪いがかけられているなどという噂が広まったらどうなるかお解り?」


 きゅ、と引き結んだ唇を薄く開き、オリガは私に問い返した。とろんとした印象を与える形の、何処か薄氷の色を映した目は私を真っ直ぐに見ている。その目に揺らぐ感情は、果たして。


「……あなたを心配する人が出ます」


「な──っ」


 一瞬だけ躊躇ってから、私は答えた。どう聞こえるだろうと思いながら、それでも彼女の性質に賭けた。国を想い、其処に住まう人々のことを想う、彼女の性質に。案の定オリガは反応を見せてくれた。私は表情を変えずに彼女を見つめ続ける。


「わたしは女帝、ですから、心配する者が出るのは当然で……っ」


 反応を見せたことは彼女も気付いたのだろう。取り繕おうとする様子を私がただ見つめていると、はぁ、と息を吐いた。目を伏せてカップの中身を飲む。長い蜂蜜色の睫毛が美しかった。


「あなた、不思議な人。でもわたしは芸事を生業にする人を信用しないことにしているの。困れば人生を売り買いするでしょう。それが生き方であるならば責めるものではないけれど。わたしは話さない。それだけ」


「芸には絵も入りますか?」


「……」


 絵も、と言ったのは彼女の言う芸事を生業にする人がアレクセイだと直感したからだ。謁見の際に見たアレクセイとオリガのやり取りから結びついた。吟遊詩人のアレクセイは見聞きした話を奏で、歌い上げる。生きるために誰かの人生を切り売りしていると言われれば反論はできない。どれだけ虚構を織り交ぜてもそれは誰かの、人生なのだから。


 けれど彼女の傍には他にも芸事を生業とする人がいる。今回の仕事を命じたのも彼女だ。画廊を抱えるほどの、宮廷画家が。


「……物の姿を伝えるのに、言葉では足りないと思うことがあるでしょう。似姿があれば人に伝えるのは容易い。でもその似姿は誰かに伝えるためのもの。誰かに晒され、消費され、一方的に知られていく。それが似ていれば似ているほど、其処に本人はいないのに、絵がまるで本人のように見られ、扱われる。それは人の売り買いと違うかしら」


「……」


 私はすぐに答えられなかった。彼女の中の怒りが垣間見えたような気がしたことと、それでも何に怒っているのか理解が難しかったせいかもしれない。


「似姿が本人と同じになる、ということですか」


 自分の複製が多くの人の手に渡る。絵には価値が付けられ、値段がつけられ、売り買いされる。もしも絵が本人と同じになるならば人の売買と同じと言われたらそうなのかもしれない、と少しだけ思ってしまった。フォーワイトの院で見てきた、売り買いされる子どもの存在を私は忘れていない。それを何とか止めて、保護しようとする人がいることも。


 けれど今回は、絵だ。人の売買と同じに数えられはしないだろうと思うのに、上手く説明ができない。


「……雪が降るこの国ではね、雪を集めて固めて形を整えて、像を作るの。誰もが一度は、子どもの時分に。とても簡単な作りで子どもでもできるから。けれど時折、いるのよ。金属で像を作るように、石で像を作るように、雪でも精巧な像を作る人が。雪は残らない。だからそれを生業にする人はいない。材質が異なるから石や金属で同じようにできるわけではない。ただの遊び。でもわたしは、恐ろしいの。まるで生きているかのように見えることがあるから。もしかしたら元は生きていて、雪に変えられたのではないの? 石に変えられたのではないの? 金属に変えられたのではないの?

 目に見えるものが人に似ていれば、そう感じてしまう。紡がれる音が人の声に似ていれば、そう感じてしまう。わたしを責める声に聞こえれば、耳を塞ぎたくなってしまう。これはただの娘の戯言。誰の記憶にも残らない、夢の(あわい)に溶ける雪。(うつつ)に目覚めれば忘れる言葉」


 かたん、と音をさせてオリガはカップを置いた。衣擦れの音をさせてそっと立ち上がる。私は目だけで彼女を追った。寝巻き姿のオリガは昼間見た時とは異なり、女帝らしい衣服を纏ってはいない。けれどその佇まいは間違いなく女帝だ。私を見下ろす彼女は多くを救うために少数を切り捨てる為政者に思えた。


「許すのは一度までと言ったはず。この国に骨を(うず)めない旅の娘が突き入れる首はそう多くはありません。深く入れて仕舞えば最後、二度と何処へも行けはしない。

 さぁ、帰りなさい。この夜のことは他言無用です。暖かくして眠るのですよ」


「……おやすみなさい、オリガ様」


 私が絞り出すようにしながら辛うじて口に出した言葉を聞いてオリガは部屋を出て行く。


 身を翻す直前。オリガの目の奥に、助けを求める揺らぎが見えた気がした。



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