22 女帝の在り方ですが
呪われている。
旅に出て、何度聞いた言葉だろう。呪いの形は様々だけれど、いつも誰かが苦しんでいた。
だから彼女も苦しんでいるのだと私は思う。女帝の椅子に少女の時分で座るには苦労も多いと察するけれど、それを呪いと彼女は称するのだろうか。
「……そうなんですか」
聞き流して欲しい、とオリガが望んだから私は曖昧な相槌を返す。それ以上を話すのも止めるのも彼女の自由だ。
「わたしは女帝。命の選別を行う者。国を守る者。けれど国は民なくしては成り立たない。飢餓がすぐ其処まで迫るようなこの土地で、冬は雪に閉ざされ人の行き来も難しいこの土地で、わたしは決断をしなくてはならないの。
いつか話に聞いた氷の帝王。その頃からある王の在り方。わたしに選択肢はない。たとえそれで切り捨ててきた命が、恨めしく視線を向けようとも」
エノトイースへ向かう馬車の中でアレクセイから聞いた詩。氷の帝王が座した時代。負け知らずの冷たい武王。冷酷な判断は人の命を駒のように扱い、多くの犠牲を出しながら堅牢にこの国を守った。けれどその人ならざる者としての強さを勇者へ譲り渡した後は。
「氷の帝王は人らしさと引き換えに強さを手放したと聞きました」
カップの中のお湯を口に含んで湿らせてから、私はオリガへ疑問を返す。非情な判断を下すことは王として在るなら避けられないものでもあるかもしれない。けれどそんなに、呪われていると言うほどあるとは、思えなかったのだ。
敢えてオリガを見ないようにしていた私の視界の隅で、彼女は僅かに俯いた。薄暗い厨房の中、湯を沸かすために焚いた火が揺らめく灯りが彼女の白い頬を照らす。
肌も髪も雪のように白いと言われた氷の帝王。オリガも色素は薄い方だが真っ白と言うには蜂蜜の髪は色を持ちすぎている。その彼女は氷の帝王の姿をなぞろうとしているのか、それとも抗おうとしているのか、私には判断がつきかねた。
「……この国のこと、旅の娘に口を出す権利はありません。ただ炎の娘の儀式に歌を捧げようと此処まで赴いたその献身に免じて一度だけ許します。国には国の在り方があるの。旧きを善きとする体制も、また。過去の栄華を忘れられず、過去の柵から抜け出せず、後はただ朽ちていくだけのこの国の目を欺くのに、幼い女帝は都合が良いのでしょう。
白く、白く、粉砂糖のような、氷砂糖のような甘さに融かされて。出来の良い白磁の人形が微笑めば民は誤魔化される。そのように見縊って──この国は瓦解していくのです。わたしにそれを食い止める力はない」
「……」
鈴を振るような可愛らしい声に、嫌悪が滲んでいる。悔恨と、嘆息も。そしてそれは、彼女自身へ向けられているものに思えた。
国には国の在り方がある。そんなことを部外者の私に話しても良いのかとも思ったけれど、彼女が良いと判断したのだ。それに私に革命を起こす力はない。確かに私は、この国には関係がないのだから。それでも。
「それでも、抗ってらっしゃるんですね」
「な……っ」
思わずといった様子でオリガがカップから顔を上げた。とろんとした薄氷の目が驚きに見開かれ、私を真っ直ぐに見ている。そんな風に視線を向けられているのに逸らし続けることはできず、私もその視線を正面から受け止めた。
あまり歳の変わらない少女が国ひとつを背負って立つのはどれだけ大変だろうと思う。彼女の家族は、友人は、どうしているのだろう。彼女ひとりで様々な大人の思惑を受け、いなし、最善を選んでいることが窺われた。静かな夜に零された想いは、そんな少女の弱音なのだ。恐らくは、彼女も私を同世代と捉えるからこその。
「あなたは、諦めていない」
「──」
虚をつかれたようにオリガは言葉を呑み込んだ。揺らぐ薄氷の瞳に先ほど見えた怯えの色が戻ってきたのを私はじっと見つめる。
「私はただの旅の娘です。今回たまたまアレクセイの依頼を受けて儀式に協力することになっただけの。だからこれは私の独り言です。
食い止める力がない、とオリガ様は言いました。それは食い止めたいと思っているから出る言葉です。抗っているんですね。民なくして国は成り立たないという言葉からも、この国に住む人たちのことを大切に想っているのが感じられました。オリガ様のその姿勢に賛同してくれる人は多いんじゃないかと思うんですけど……でもこの宮では滅多なことは言えないでしょうか。誰が味方で誰が敵かも判らないような、そんな恐ろしい場所かもしれません。その中でオリガ様は、戦っていらっしゃるんですね」
勇者の冒険譚で語られた氷の帝王。人ならざる強さを持った彼は恐らく真っ先に、人の心を切り捨てた。国を守るために数多の兵を動かし、数多の犠牲を払い、そうして恐らく、民を守った。どれだけ過酷な時代だったのか私は知らない。自然が脅威になるこの場所で魔物にも狙われるとあっては、戦況が長引くほど結果も芳しくないことは明らかだ。
人に恐れられても彼が優先し、戦い、守り抜いたものは一体、何だったのだろう。
「……呪い、というのは何でしょうか。女帝としての在り方でしょうか。人に向けられる恨めしい視線が、あなたをこうして外へ誘い出しますか? 寒々しい外で、踊らせるような呪い?」
独り言、と言ったのに最後は問いかけていた。オリガはきゅ、と唇を引き結び、私をただ見つめている。その目に揺らぐ感情に名前をつけられず、私はただ問いかけた答えを待った。




