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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
9章 流浪の奏者
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19 滲んだ赤の理由ですが


 パーヴェルが描いた翅を持つ少女の中のひとりに見えた。パーヴェルによく似た女の子。幼いけれど周囲の顔のない人々とは違って表情がある。目も鼻も口も、そのどれもが生き生きとしていた。


 迷子の少女は兄を探しているのかきょろきょろと周囲を見回している。不安そうに寄せられた眉にきゅっと引き結ばれた唇が開いてまた兄を呼んだ。大きな目から涙が零れ落ちるのは時間の問題に思えた。


「帰っちゃったのかな……」


 まだ幼い少女だ。両手の指で足りそうな年齢に見える。小さな子がこんなに広い都でひとり心細そうにしているのに誰も見向きもしない。頼れる人はいないのか、少女はひとりで何とかしないといけないようだ。


「……」


 そのうちに少女はひとりで歩き出す。大声で泣けば、周囲も流石に目に留めたかもしれない。けれど彼女は泣かなかった。涙を零すまいとするように眉根を寄せて、白い道を歩き出す。ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏み締めながら歩く彼女の後に、私も続いた。


 何処へ行くのかと思えば都の外へ出ようとする。流石に出入り口にいる警備兵に止められていたが、先に家族が行っている、村に帰ると主張する少女を警備兵は通してしまった。確かに家族が出て行った、と詳細も聞かず記憶を辿り、今なら追いつくだろうから早く行くようにと背中まで押して。


「……これもパーヴェルの夢なの?」


 私はロテュスに問いかけた。蜻蛉の翅を震わせてロテュスは私たちに着いてくる。けれど私の問いには答えない。ポンセも何も言わなかった。


 これが、パーヴェルの夢だとして。彼女が、パーヴェルの妹だとして。そしてこの夢の辿り着く先が、あの雪原だったとして。パーヴェルは彼女のこの行動を人から聞いて知っていたのだろうか。それとも補完して想像したのだろうか。これがもしも本当にあったことだと言うのなら。


「待って……っ」


 何も変わらない。そう思いながらも私は少女を追いかける。警備兵は通り抜ける私に気づくはずもなく、この夢に元から存在しない私の足跡は雪に刻まれない。少女に私の声は届かない。私の手も彼女に触れることはできない。そう思っても。


 少女は迷いない足取りで向かっていく。村に帰る、という話から都には用向きがあって訪れていたことが分かるけれど、その村はどのくらい離れているのだろう。そしてどのくらいで着くのだろう。彼女が永遠に帰れないことを知りながら私は追った。


 はたと、彼女は足を止めた。私は彼女の後ろで同じように足を止める。足元をじっと見ていた少女は気がついたのかもしれない。自分より先に向かった足跡がないことに。まだそれを覆い隠すほどの雪は降っていないことに。


「お兄ちゃん……」


 不安そうな声が震えていた。ひっく、としゃくりあげる声が続く。私はその声に滲んだ想いに揺さぶられて胸の奥が痛むのを受け止めた。


 ずっと、ずっと心細かっただろう。不安だっただろう。静かな広い雪原でひとり、兄を追ってきたはずなのに自分が(はぐ)れていたと思い至った時どれほど焦っただろう。


 帰ろう、と振り返った少女について私も足を出す。その時、ばさりという羽音と共に頭上に影が落ちた。巨大な影だ。翼を広げた形をした影は私たちをすっぽりと覆ってしまい、風が雪を巻き上げる。ぶるりと彼女が震えたのは寒さだけではないだろうけれど。


 硬直した体がゆっくりと振り向いて、怯えた目を空へ向ける。私も彼女と同じものを見ようとした。けれどそれは太陽の影に入っていてよく見えない。ただただ、大きな鳥だ、という印象を受ける。


「……あ……あぁ……」


 引き攣った恐怖の声がか細く少女の喉から発せられた。足がもつれて尻餅をつく彼女の前に巨大な怪鳥が降り立つ。その巨躯は見上げるほどで、その鳥にしてみれば少女でも私でも大差なく見えただろう。まるで地面を這う虫でも摘むように鳥は(くちばし)を近づけてきた。


「やめて!」


 私は叫ぶ。少女の前に飛び出したけれど主が見る夢は幻で、私の声など届かない。私が伸ばした手だって触れることはなかった。迫り来る口の中の深淵に背中を恐怖が走って行った。これが。これが、彼女の見た最後の光景なのだろうか。思わず振り向いて少女を抱き締めようとしたけれど、まるで無意味だった。


 嘴は少女の幼い体を硬い嘴で咥え込み、そのまま飛び上がる。少女は悲鳴を飲み込み、それでも懸命に手足を動かして逃れようとした。抵抗し、誰も歩いていない柔らかな雪の上に落ちれば木々のある方へ走る。目が逃げ込む場所を探しているのが私のところからでも見えた。


 けれど怪鳥は小さな抵抗をものともせずに飛翔し、飛び去って行く。私はそれを追いかけた。走って、走って。行く着く場所は既に知っていた。最初にこの白い夢へ迷い込んだあの場所だ。血溜まりの、足跡ひとつない雪原に。


 怪鳥はだだっ広い雪原に少女を落とした。雪の上に叩きつけられた彼女は潰れる悲鳴をあげる。その声は雪に吸い込まれ、誰にも届かない。いくら雪の上とはいえ積もったばかりの雪ならいざ知らず、既に幾重にも積もった雪は固まっていた。手足の一部は妙な方向へひしゃげ、体の中は衝撃に見えない傷を負っている。動こうにも動けない少女に怪鳥が羽音をさせて降り立った。


 硬い嘴で(つつ)かれ、少女は短く悲鳴をあげる。柔らかな少女の体が真っ赤に染まり、白い雪に滲んでいく様子から私は目を離せなかった。少女の目が光を失っても怪鳥は彼女を突くのをやめない。食事の風景を目の前で見せられ、私は瞬きも忘れてその様子を目の当たりにする。目を閉じたいのに閉じる方法が分からない。目を閉じて良いのかさえ判らなかった。


 やがて私が我に返った頃、体の中の柔らかい部分を食べ尽くしたのか怪鳥は少女の残骸を咥えて再び飛び上がる。高く、高く飛翔した後は彼女の血さえ此処には届かなかった。血溜まりだけを残して怪鳥はいなくなる。私はその場に泣き崩れた。


「……馬鹿みたい。知らなくて良いことを知るために迷い込んでることにアナタ、気付いてる?」


 ポンセが静かに言葉を零した。冷たく聞こえる言葉はけれど、温かな心配が滲んでいるような気がした。


「でもぉ、ポンセ好みのカケラが採れる理由が分かったぁ。あはは、めっずらしー」


「ちょっと、その話は今良いから。黙って」


 ロテュスの楽しげな声にポンセが憎々しげにぴしゃりと言い放つ。ロテュスは言われた通りに黙ったけれどにやにやと笑っているだろうことは顔を見なくても私にも想像がついた。私は肩を震わせながら止まらない涙を拭う。


 これはきっと、見たことではない。話を聞いて想像したことだろう。考えたことだろう。そうだったのではないかという、彼の。此処まで想像して、どうして彼は。


 あんなことを言ったのだろう。


 私の言葉は音にならず、ただ嗚咽になって雪に吸い込まれた。



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