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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
9章 流浪の奏者

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15 歪んだものですが


 木陰に移動してしばらく身を潜めていたら、足音が聞こえた。ハッとして私は視線をそちらへ向ける。


 真っ白な雪の中、こちらに向かって歩いてくる人影がある。外套を巻き付けてはいるものの、生地は薄くて寒そうだ。少年と青年との間の歳の頃に見える人物だった。砂色の髪が風に揺れる。


「……あれがこの夢の主?」


 私はポンセに囁きながら尋ねる。さぁ、とポンセは首を振った。自分が管理していない夢についてはポンセもよく知らないのかもしれない。一緒に渡った夢では勇者らしいところが見られたからポンセも判っただけなのだろうか。


 彼は人型の血溜まりに辿り着くと、それにじっと栗色の視線を落とした。恐れるでもなく(おのの)くでもなく飛び退くでもなく、ただじっと。少し距離があるからその目にどんな感情が浮かんでいるかはよく判らないながらも、凝視するだけの何かが其処にはあるのだろうと思わせた。


「……レーシャ……?」


 彼は顔を上げた。誰かを呼んでいるようだ。けれどこの雪原に他の誰かがいるはずもない。私はそっと周囲の木立を見回した。ポンセの白い翅が震える以外に動くものも命あるものもないように見えた。私と同じように窺っている人物の姿もない。


「レーシャ! レーシャ!」


 彼は少し周囲を小走りに進み、声を張った。けれど声は空に吸い込まれ、周囲の雪に吸い込まれ、響かずに消えていく。その声が届くことはあったのだろうか。これも彼の記憶が元になっているのなら。


「待って!」


 彼は声をあげて走り出した。その先を私も目で追う。何かを見つけて追いかけているのは明白で、それが何か私も確かめようと思ったのだ。


 続く木立の向こう、私たちが隠れているのよりは遠い場所で白い布がはためいた。頭から被っていたのだろうその布が外れて金色が現れる。僅かな太陽の光を受けて眩しいくらいに煌めいたその色に私は見覚えがあるような気がした。彼が追いかけた先で足を止めたのは小柄な子どもだ。少年か少女か遠目には判らないけれど華奢な人物だった。


「……少し近づきましょ」


 ポンセに促され、私は頷いた。足跡もつかない私の歩みが雪を鳴らすことはないけれど、それでもそっとなるべく音を立てないように近づく。夢の主に気付かれたらどうなるだろう。セシルもモーブも、あの少年も私を好意的に受け入れてくれたけれど。でも自分の夢に見知らぬ誰かが這入り込んでいることを知ったらきっと、気持ち悪いと思うだろうから。


 彼と白い布の人物は何かを話しているようだ。彼が膝をつく。項垂れる彼を冷たい目で見下ろして、その人物は口を開いた。


「何にもならない。意味なんてない。生きた証を残したいなら自分で何とかするしかないよ」


「──セシル?」


 私は思わず声を漏らしていた。けれど掠れるようなもので小さな声だから、あの二人には聞こえなかったようだ。ポンセが呆れたように私を振り返る。


「なぁに、知り合い?」


 私はかぶりを振った。あの、金の髪。私が知っているよりも幼い声。けれど冷たい目は嵐のようで、私はその目に覚えがあった。


 セシルはこの夢の主と知り合いなのだろうか。誰の夢で、セシルとはどういう関係なのだろう。


「頼みがあるんだ」


 項垂れたままの彼が絞り出すような声で言った。セシルと思わしき人物は面倒そうに視線を向け、なに、と短く問う。


「僕に何をして欲しいの。何もしてあげられることはないよ。肉片を吐き出せと言うことはできるけど応じてくれるかは魔物次第。吐き出したところでその肉片はもう喋らないし人の形にも戻らない。君の妹はもう、帰ってこない」


「……」


 私は言葉を失ったままセシルの話す内容を理解した。此処で何があったのか。あの血溜まりは何だったのか。それで察してしまった部分もあった。本当かどうかは判らないけれど。


「……魔物というのは人を骨も残さず食べ尽くせる……?」


「できるよ。魔物だから」


 にべもなくセシルは残酷に肯定した。私にはどんな魔物か想像もつかないけれど、人をひとり骨も残さず食べてしまったのだろう。彼の、妹を。あの血溜まりはそれなのだ。もう他には何も残っていない。


「君は、魔物を恨む? でもそれはお門違いだ。魔物だって生きている。こんなところをひとりで彷徨(うろつ)いていたその子が悪い。弱いその子が悪い。魔物は今日の餌を摂っただけ。それがその子だっただけの話だ。気の毒だとは思うけど、もう取り返しはつかない。諦めるしかないよ」


 まるで(そそのか)すように諦めることを囁いて、セシルは薄く笑った。綺麗で、天使のようなのに、口にする言葉はひどく残酷で。


 それを受けた彼はかぶりを振った。弱々しく、何に否定を向けているのかは判らない。けれど家族を失って平気なはずはないから、私は痛む胸を抑えるように手を当てた。あの血溜まりの大きさから見てもまだ幼かったのではないだろうか。痛い思いも怖い思いもしたのだろう。それを思うと苦しくなった。


「君が討伐に行くと言うのなら止めない。向こうから僕に何かしてきたわけでもないからね。でも君の手助けはできない。やるならひとりで。もしくは君の仲間と」


「仲間なんていない。討つつもりもない。ぼくは魔物とは関わらないで生きていくんだ。迂闊だったあの子に責があるならそうなんだろう。自然は恐ろしいものだって、ぼくらは親から口酸っぱく言われていたんだから。きみに頼みたいのは別のことだ」


 彼の返答にセシルは眉根を寄せた。別のこと、と訝る声で問い返せば、彼は顔を上げる。私には彼の表情が見えないけれど、対するセシルがぎょっとしたのは見えた。およそこの場面で浮かべるには似つかわしくない表情だったのだろう。嫌悪が滲んでいるようにも見えた。


「きみを」


 彼は口を開く。家族を失ったと知った声とは思えないほど、明るかった。


「きみを、描きたい」



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