8 都への道中ですが
馬車は雪道の上を進んだ。吐く息の白さに私は目を瞠り、ストールを合わせる。空気が冷たくなっていた。
「寒いかい、ライラ」
その動作を見られたらしくロディに心配されて、大丈夫、と私は微笑んだ。ロディは既に馬車の中を暖める魔法を使ってくれていたし、単純に負担になるだろう。病み上がりのロディに無理はさせられない。それに、このくらいなら少し肌寒い程度だ。耐えられないほどではない。
「この辺はまだ雪が深くはありませんで、寒さも序の口。とはいえ寒いものは寒い! 都に着いたならば温まりに行くのがよろしいかと!」
アレクセイはぽろんぽろんと竪琴を奏でながらそう言った。その音も魔物避けと寒さの防御を兼ねてくれているらしい。ロディひとりに負担をかけさせているわけではないものの、私自身は相変わらず何もできないから少し心苦しい。
「途中寄った村でも多少の装備は整えたけど、雪道なんて通ったことないから心配だよ」
御者を務めるラスが苦笑した。でも馬車は大きな失敗もなく順調に進んでいる。この旅をずっと頑張っている馬の足取りもしっかりしていて、冷たい雪の上でも怯むことはない。
「雪の上は初めてということであれば、歩く際は慣れずに転ぶことも考えられますゆえ、どうぞお気をつけて」
アレクセイの歌うような声は余裕に満ちていた。生まれ故郷であればアレクセイは当然慣れているのだろう。私は鞄の中で丸くなって眠っているコトを、そっと鞄の上から撫でた。毛足の長い布の端切れを買って鞄の中に敷き詰め、コトのために寒くないようにしてあげたけれどコトは眠る時間の方が長くなっている。冬眠するのかもしれない、とセシルは言っていたけれど。
体調が悪そうには見えないし、セシルが聞いたコトの言葉も単純に眠たがっているだけのようでもあるし、今はただ暖かくしてあげるのが最善であることしか分からない。発つ前にコトの様子をリアムに訊いてみたけれど、そんなに寒い場所に行ったことがないか、あっても覚えていないと首を振られてしまった。
「都まではまだ遠いの?」
「そろそろ見えてくる頃かと。かつての帝王が過ごしたという宮の尖塔は目立つので」
ラスに問われ、アレクセイは顔を馬車の外へ出しながら答えた。空は灰色の雲がずっと重そうに留まっていて、そういえばしばらく晴れ間を見ていないなと私は思う。まだ全てが真っ白、という状態は知らないけれど地面は既に白くて他の馬車の轍や人の足跡が陰影で辛うじて見て判るような状態だった。
「赤い煉瓦の温かみのある宮でして」
氷の帝王の話を聞いてしまった私には、温かみがある、と言われても想像しづらかった。やがて見えた尖塔をラスが教えてくれたから私も馬車から顔を出し、まだ遠い都を眺める。
林道が続く道は暴風雪を防ぐためのものでもある、とアレクセイは教えてくれた。左右に雪化粧を纏った木々が立ち並び、真っ直ぐに伸びる白い道の向こう。いくつか越えた丘の天辺まで登ってようやく見えた、赤い煉瓦を積み上げて作られた尖塔。
白い世界の中で存在を示すように建てられたものだと思うけれど、そのくすんだ赤が遠目には血塗られた塔に見えた。人の命を命とも思わず、補充のきく駒のように扱った氷の帝王が過ごした場所。自分だけは雪から遠く離れた場所にいて、高みの見物を決め込んでいるような印象を私は抱いている。炎の娘がどうしてその帝王の心を溶かしたのか、帝王は何故溶かされたのか、アレクセイが語る中には含まれていなかった。まるで素敵なお伽噺のように語られて、私は何だかこの雪が覆い隠してしまったように感じたのだ。
散った赤も、滲んだ赤も、全て、等しく。
「今あの宮におわすのは女帝オリガ。此度のマーラ・エノトイースの儀式にはライラ嬢が参加される旨の報告義務がありますゆえ。皆様にはあの宮にお立ち寄り頂くこととなりましょう」
「聞いてないんだけど」
「今初めて口にしたので」
セシルの抗議にアレクセイはにっこりと返した。はぁ、とセシルが息を吐く。
「僕、挨拶には行かなくても良いかな。お姉さんの行くところなら何処だって行こうと思ってたけど」
セシルが目を伏せて誰にともなしに尋ねた。何かあるのかい、とロディに問われ、少し黙った後に、まぁ、とセシルは肯定する。
「あまり人目に触れない方が良いと思うから」
ふぅん、とロディは首を傾げた。それ以上は尋ねないロディは、けれど無言で理由を問うていてセシルは居心地が悪そうに身動ぎをする。無理に話させる必要はないと思って、分かったわと私は割って入った。ロディも、と私はセシルからロディへ視線を動かした。それで良いか訊けばロディも息を吐く。
「その口振りだと立ち寄ったことがあるみたいに聞こえたものだからね。キミが綺麗に生きてこられなかったことは解っているつもりだけれど」
別に、とセシルはそっぽを向いた。お尋ね者なわけじゃないけど、と小さく訂正する声が馬車の車輪が雪を踏む音に紛れて聞こえてくる。
「行ったことはある。生きるためには何だってしたけど、でも、あんまり良い思い出じゃない。僕を題材に描かれた絵がある。その絵で有名になった画家がいると思うんだ。女帝のお抱えになったって聞いたからね」
「絵の少年が実在すると困ったことになる、かい?」
「さぁ。向こうの都合なんて知らない。僕が会いたくないだけ」
ふぅん、とロディは再び首を傾げた。でもセシルももう答えるつもりはなさそうだ。まぁ良いか、とロディは受け入れるとキミも別に構わないだろう、とアレクセイに確かめた。構いませんとも、とアレクセイはにっこりと笑って答える。
「ライラ嬢のお目見えが目的。わたくしだけがお供として馳せ参じても良いですが」
「悪いけど、ライラはお転婆でね。目を離すと厄介ごとに巻き込まれる」
「ロディ!」
そんな風に思っていたのかと私が思わず声をあげると、ロディは楽しそうに笑った。おやおや、そうでしたか、とアレクセイもそれに応じて答えるから私は誤解を解こうと躍起になる。
けれど視界の隅、馬車の端側に座ったセシルの表情は、暗く見えたままだった。




