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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
9章 流浪の奏者
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3 吟遊詩人の詩ですが


「人だかりができてる……」


 翌日、ジョエルたちと一緒に私はお城を出て市井を覗いた。其処ではアレクセイの語る話を聞こうと多くの民衆が集まっていて、盛況だ。私たちは驚いてその様子を遠巻きに見ていた。


 寂れたセシーマリブリンの城下町は二十年前の惨劇が起きた時からあまり時間が進んでいない様子だった。お城の修復も進んでいなかったけれど、城下町も同じようだ。この国へ来た時に感じた停滞した空気が其処彼処に漂っている。けれど今は、外から現れた吟遊詩人によって新たな風が吹いたように見えた。


 城下町には最早、老人がほとんどと言っても過言ではないそうだ。働ける若い者は城の兵士として職を求め、詰所や関所にいて帰宅するのは稀だ。魔物の襲撃が減ったことは感じているだろうけれど、娯楽も少ないし変わり映えのしない日々を送っている。


 国を離れられないのは思い入れがある者たちだ、とジョエルが教えてくれたことを思い出して私は人々の顔ぶれを眺めた。老人がほとんどとはいえ、若い者がいないわけではない。事実、小さな子どもの姿も見る。彼らは困窮しながらも、この国をまだ諦めていない人たちなのだろう。長距離の移動が耐えられない人もいるかもしれないけれど、それでも。


「さぁさぁどうぞ、わたくしの声が届くところまで。これから歌い上げまするのは、昨晩こちらの住民から聞いた栄華を極めし頃のこと。人魚のお妃、海辺の武王。そのロマンスや美しく、すぐさま音が降り注いだというもの。波の音に合わせどうぞ皆様、少しばかり耳をお澄ましくださいませ」


 アレクセイが朗々とそう呼びかけると、人々のざわめきは小さくなった。潮騒の音しか聞こえないかのようだ。僅かな衣擦れさえ邪魔をしそうで私も知らず、息を潜めた。


 ぽん、とひとつ、竪琴の音が響いた。落ちるように、広がるように。雨の雫にも似た音は海に落ちたかの如く周囲に馴染み、震わせていった。心震える音。それに重なる、深い声。心地良く空気を震わせるそれに私は目を閉じて聞き入った。


 それはこの国にいる人が見た光景。当時の王と王妃の恋物語は多分に脚色もされているのだろうけれど劇的で美しく、国民に愛されるものであったことが窺われる。優しい竪琴の音が時に甘く、時に情熱的に情景を盛り上げ、アレクセイの声が乗ることで想像が容易くなった。過去に見た者は記憶を刺激され、当時を知らない者は御伽噺のようなそれを真実として楽しんだ。


 私も実際の王様と肖像画のお妃様を想像してその様子を思い浮かべる。海辺で出会った二人は愛を育んでやがて結ばれた。朝昼夜と姿を変える海辺で、お互いを知り、ずっと一緒にいようと誓う。その誓いが破られる悲劇が起きることを知りながら、それでも私たちは語られる二人を愛おしく思った。


 国民に慕われる二人だったのだろう。今もこうして愛され、吟遊詩人がすぐに詩にするくらい。そしてそれを、こんなに人だかりができるほど聞きたがられるくらい。


「このお話を教えてくださった方は次代の王を憂えていました。どうぞ彼の王子にも王と同じくらい愛する人ができますようにと。この国を愛し、この国のために全てを背負い立つ彼の王子に祝福あらんことを」


「──……」


 ジョエルが驚いた様子で身動ぎするのが判った。アレクセイは私たちの方を見てひとつ片目をぱちりと閉じる。様子を窺いに来たことはとっくに知られていたようで、やられたと私は息を零した。


 無能の王子。ジョエルは自身をそう評価していたし、そう思われていると疑っていなかったようだけれど、此処に住む人は必ずしもそうは思っていなさそうだ。アレクセイだけが思っていたのではこの場でそう詩っても誰も頷かないだろうけれど、彼の締め括りに拍手が飛んだのだ。それは否定しない人が贈ったものに外ならない。否定しないということは、受け入れている、ということでもある。


 大きな拍手にアレクセイは大仰にお辞儀をしながらあちこちに笑顔とお礼を振り撒いた。ジョエルはそれを見て、帰るよ、と私たちに告げた。


「ぼく、まだ期待してもらえているみたいだから」


「はい。頑張ってください、ジョエル様」


 私は頷き、ジョエルはヴィクトルと一緒にお城へ戻って行った。私はラスやセシルと一緒にもう少しこの辺を散策していくことにする。アレクセイの詩を聞こうと人が集まる場所は活気付き、目新しいものに興味を示す子どもが他の詩はないのかとアレクセイへ質問を飛ばした。


「小さなお客様がお望みとあらば、いくらでも!」


 そのリクエストに応え、アレクセイが別の曲を奏で出す。彼があちこちで見てきたのだろう街や私も知っている勇者の冒険譚が飛び出してきて父とは違う語り口にそれでも懐かしさを覚えた。


 父もああして、知らない場所へ行ってはそれを詩にして残し、別の場所に住む人へ語り聞かせたのだろうか。踊り子の母はそんな父と出会い、恋に落ちた。その話はきっと、私しか知らないものだろうけれど。


「これはわたくしの故郷、此処よりもずっと北、雪深い場所で語られる伝承。決して絶えぬ(ほむら)に纏わる勇者の冒険」


 アレクセイが語り出した物語に、私は思わず足を止めてじっと見た。子どもたちが夢中になって聞くそれは、私も知らない冒険譚だ。勿論、勇者の冒険譚なんてひとつではないし、父が全てを知っていたとも限らない。けれど勇者の冒険譚を聞くのが好きな私にとって知らない物語は興味深かった。


「近くで聞いてみるかい?」


 ラスには苦笑するように言われ、私は小さくかぶりを振った。此処でも充分に聞こえる。大丈夫、と答えながら私はそっと、その物語に耳を澄ませたのだった。



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