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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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25 空気に溶ける慟哭の泡ですが


「何が起きた」


 リアムの声がして、私は目を開けた。耳には波の音が聞こえてくる。視界は眩しくて、水面に太陽の光が当たって煌めいているのが見えた。開いた目を細めて私は周囲を窺う。


「ライラちゃん!」


 ジョエルの声が遠くから呼びかけてきて私はそちらを向いた。浜辺の砂を蹴散らしながらジョエルとヴィクトルが走ってくる。あぁ、と私はようやく気づいた。此処は、海の上だ。体はまだ海の中に半分浸かっているけれど、顔はもう、海の上に出ている。


「ライラちゃん、髪が……!」


 ジョエルが驚いた様子で言う。私はすっかり忘れていたけれど、そうだった、魔女との取引で髪を渡したんだった。良いの、と私は微笑む。


「戻ったんだな、あぁ、魔術師も一緒か」


「無事で良かった……! 全員いるか? ん? お前は誰だ?」


 ジョエルの言葉に油断なくヴィクトルが目を細める。ピエールだ、と名乗る声がして私は彼とジョエルたちは初対面であることを思い出した。


「妹が邪魔をしていると思う」


「妹……?」


 怪訝そうな二人の声に、ピエールが人魚であることに気づいていないのだろうと私は思った。あの、と声を出したけれどロディが咳き込んでそれどころではなくなってしまった。


「とにかくロディをまずは陸へ。お姉さん、手伝うよ」


 セシルが私の傍まで泳いできて反対側からロディを支えてくれた。ありがとう、とお礼を言って私たちは浜辺へ向かう。


「ロディ、海の上よ。もう大丈夫だから」


 私は声をかけて咳き込むロディを連れて行った。少し後押しがあったのはバフルのおかげかもしれない。浜辺へ打ち寄せる波に乗るように、私たちの体は浅瀬から波打ち際へ運ばれた。


 意識はあるけれど体力を消耗しているロディのことは陸へ上がると同時にヴィクトルが引き受けてくれた。詰所の兵士たちも手を貸してくれて、早々にお城へ運ばれていく。びしょ濡れの私たちは髪や服から水を滴らせたまま、足元を砂まみれにしてそれを見送った。


「人を診ることはできるから安心してほしい。ライラちゃんたち、本当にお疲れ様」


 ジョエルが私たちに声をかけた。うん、と私は頷く。水の中ではそれどころではなかったけれど、出てきてみれば私もぐったりと疲れ切っているのを感じる。今すぐ倒れ込んで眠ってしまいたいところだけれど、まだやることが残っていた。


「ジョエル、貴方に紹介したい人がいるの。ピエールよ。海の中で私たちを助けてくれたわ。彼、レティシアのお兄さんなの」


「なんだって」


 ジョエルは海の中から出てこないピエールを振り向いた。ピエールは真っ直ぐにこちらを向いている。そういえば、と私は周囲を見回した。


「レティシアは?」


「此処よ、ライラ」


 海を泳いでジョエルたちが駆けてきた方角からレティシアがやってきた。ピエールが伸ばした腕にレティシアは飛び込んでいく。お兄様、とレティシアは嬉しそうに笑った。


「人間はもう良いのか?」


「……人間って凄いの。陸の上で歩くための脚は凄く痛くて、体は重くて、それなのに走ったり踊ったりできるのよ。アデリーヌ様は本当に、本当に、努力したんだわ」


 私にはできなかった、とレティシアは寂しそうに笑んだ。でも、とレティシアは兄の抱擁から抜け出し、顔を伏せる。それから思い切ったように上げた顔は大人びた苦味を知った後の微笑みが浮かんでいた。


「ジョエル王子とお話したの。この魔物が出る海を進んだあたしの勇気を誉めて、讃えてくれた。許嫁の話は王子様も知らなかったみたいだから進んでないけど……でももし良ければ人魚のまま此処に滞在してみないかって」


「だが……」


 ピエールは顔を顰めた。国の人に歓迎されないのはピエールも知っているのかもしれない。久々に訪れた人魚の娘が酷い目に遭わないか、妹ならば余計に心配になってもおかしくはない。


「あのっ」


 ジョエルが声をあげて海の中へバシャバシャと入っていった。二人は驚いた様子で近づくジョエルを見ている。ジョエルは泳いで二人のところまで向かった。


「セシーマリブリンの王子、ジョエルだ。波に拐われた魔術師殿の救出のため彼女たちに手を貸してくれたと聞いた。感謝する。それから妹君についてだが」


 海の中でジョエルは顔を出しながらできる精一杯の敬意を二人へ見せた。


「魔物が出る危険な海をやってくる勇敢さ、人の世界へ歩み寄ろうとする優しさ、友のために自分の声さえ差し出す気高さ、その全てが素晴らしい。この国は衰退している。妹君には嫌な思いをさせてしまうこともあるかもしれない。それでも、ぼくは」


 ジョエルは真っ直ぐに二人を見た。


「この国を良くしていきたい。また賑わう国になってほしいと願っている。海からきた者たちとまた交流したいと思っているし、レティシア嬢がそのために力を貸してくれるなら全力で守るつもりだ。ぼくは頼りないかもしれないけど、でも。

 この国をいずれ背負って立つ。そのためにできることは何でもするし、頭も下げる。民たちが過ごしやすい国を、訪れてくれる海からきた者たちにとっても居心地の良い国を、作りたい。そのためにどうか、手を貸してほしい」


 ピエールは険しい顔でジョエルのことを見ていた。レティシアが二人の間を取り持つようににっこりと笑う。


「お兄様、あたしもう少し此処にいようかと思っているの。人魚として此処にいて、この国のことを知ってみたい。ね、良いでしょう?」


「……傷ついても知らんぞ」


 ピエールは呆れたようにそう言った。うん、とレティシアは頷く。


「自分で選んだことだから、ちゃんと自分で引き受ける。ありがとう、お兄様」


 魔物から身を守れるようにと人魚のための場所をこの短時間で作ったらしいことをジョエルはピエールに話し、レティシアが誘導してピエールを案内する。ジョエルは一旦浜辺へ上がり、歩いて向かうようだ。


「ジョエル様、これ」


 私は戻ってきたジョエルへ魔女の薬を差し出す。魔女が願いを譲ってもらおうと自分で私へ寄越したものだ。人魚を三日間、人間にする薬だと私が言うとジョエルは僅かに目の色を変えた。


「その間に真実の愛を見つければ人になれるそうです。口付けを交わせば、それで誓えば真実の愛と認められる。この薬の効果はレティシアも知っているはずですよ」


 私がそう言うとジョエルの頬に僅かに赤みが差した気がした。ありがとう、と答えてジョエルは私から薬を受け取る。二人で考えて使うよ、と言って笑ったジョエルの顔は晴れやかで、私はそれを見て頬を緩めた。


 過去の災いに引き裂かれた人魚の娘の慟哭は泡になり、空気に溶けた。けれどその後に生まれた幼い想いはどうか、育ちますように。


 私は波の音に願いをそっと乗せたのだった。



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