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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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20 魔女の願いですが


「魔力のない娘など諦めていた。この水の底で、もうそんな者、現れないと。まして、歌の力を持つ者など。海の愛し子など必要なかった」


「な……」


 魔女は髪を振り乱し、私を射抜くように見た。それでいて嬉しそうに口角を上げるのだから私の背筋を走っていくのは恐怖だ。爛々と鈍く輝く目は奥底に欲望を灯し、赤茶色の長い髪に彩られながら薄暗い向こうから覗き込んでくる。深い緑の尾が水を掻き、祭祀場の中まで進み出た。


「あの人魚の娘には感謝しないとならないねぇ。お前を此処へ寄越してくれたのだから。お前だけ離そうと思っても上手くいかなかった。だが自ら此処へ戻り、呼び出してくれた。お前にも聞こえるんだね、此処の歌が。よくなぞってくれた。よく呼び出してくれた。お前の願いはあたしが叶えてやろう。だからその神への願いはあたしに譲っとくれ」


 私は目を見開いた。別にこの水の精に何かを願おうと思って呼んだわけではない。私の、願いは。


「私の願いが、あなたに分かるの?」


 恐る恐る尋ねれば、分かるとも、と魔女は頷く。あたしは魔女だよと不敵に笑って。


「お前の髪をもらったね。薬にするにあたってお前の願いを取り除く必要があったから見せてもらった。随分と欲深い。人間というのは誰も彼もこうなのかえ。自分以外の生き物の幸福を願うなんて。お前の願いの全てを叶えることはできない。でもそれは其処の神も同じだ。地の底へ行った人間に再び(まみ)えることはできない。だけど、あぁ、あの人魚の娘。あたしならあの娘がもう一度人間になる薬を作ってはやれるとも」


「……」


 私は思わず口を噤む。魔女は足りなかったかとばかりに言葉を続けた。


「その杖を持ち帰ることも、人魚と人間の子どもも一緒に出させてやろう。海の愛し子も連れ帰るが良いさ。この子らに護衛させる。お前たちは無事に地上へ送り届けるし、人魚の青年も帰そう。海の魔物を鎮めても良い。セシーマリブリンへもう襲わないよう言い含めても良い。あたしと陸の人間の望みは同じところにある。もうあの惨劇を、厄災を、繰り返させないために尽力しよう。魔王へ此処ら一帯の魔物の統括をあたしに任せるよう頼んだって良い」


「魔王……? そんなことできるの?」


 驚いて尋ねれば、魔女は頷いた。頼むくらいはできるさと。聞いてくれるかは魔王次第だがねと。


「あの大厄災ではあたしも被害を(こうむ)った口さ。喪ったものは多い。それを取り戻せるならそれくらいはお安い御用──」


「いくつか質問がある」


 リアムが口を開いた。私と魔女はリアムへ視線を向け、リアムは油断なく剣の柄に手をかけたまま魔女をじっと見た。魔女を斬ろうとしてもリアムがいる場所からでは距離がある。だからか魔女は警戒しつつも余裕に笑んで、なんだ、と応えた。


「その“海の愛し子”とやらは彼女の抱える杖の持ち主か?」


「……そうさ」


 え、と私は目を丸くする。訊かれなかったからねぇ、と魔女は言う。確かに杖を持って行って良いかは訊いたけれど、杖の持ち主が流れ着いたかは尋ねなかった。とするならやはりロディは此処にいるのだ。


「そいつも連れ帰って良いと言っていたが、生きてるんだろうな」


「勿論。此処で神を降ろす時に使おうと思っていたからねぇ。生意気に防御魔法を張ったままだから手は出せていないよ」


 その言い方に私は引っかかるものを覚えたけれど、そうか、とリアムが次へ移ったから口は出さなかった。


「大厄災には魔王が関わっているのか?」


「さぁね。でもあんなに大勢の魔物、魔王の号令でもなければこんなところまで来ないだろうさ。王妃を喰い殺してようやく止まった。あたしは此処で震えてるしかなかったよ」


 喰い殺して、という言葉に私は息を呑んだ。そうか、とリアムはこれにも薄い反応だけ返す。


「お前は此処の神に何を願う」


 冷たい声だった。救いを求める歌が聞こえると口にした時に見せた、軽蔑を滲ませた声だ。本人は気づいているのだろうか。そうやって神様に願う誰かの姿を愚かしいとさえ思っていそうな。


「……あたしも先の大厄災では喪ったものがある。それを取り戻したいだけさ」


 対して魔女は静かな声だった。けれどその奥に憎悪が滲んでいることが感じられる。理不尽に奪われたものを想う声。手の届かない場所にあるものに手を伸ばそうとする声。その声は、私の心を震わせた。同じだ、と思ったのだ。先ほど魔女に指摘された私の願いと、そう変わらない。


「地の底へ行った人にはもう、会えないのではなかったの?」


 私の疑問は魔女へ届いたらしい。魔女の目が私を見、細められた。其処に浮かんだ感情が何かは判らない。憐れむようにも、勝ち誇ったようにも、どちらにも見えた。


「あたしが会いたい魂は地の底にはいないのさ。全て海が連れて行ってしまった。其処の、神がね。だから返してもらう。あたしが願うのはただ、それだけだよ」


 ぎらりと光った魔女の目。落ち窪んで暗闇が広がる骸の眼窩によく似ていて、私は棲家の前にあった髑髏(しゃれこうべ)を思い出した。その人から借り受けたランタン。宝箱に腕を挟んだ、物言わぬ人骨。どうして放置するのだろうと思っていたけれど、違うのだ。あれはきっと、その場から動かせないだけで。


「あなたの、大切な人……?」


 あの人骨に尾はなかった。ピエールとは違うから、きっとあれは陸の人間だ。魔女の大切な人だと言うなら。もしもそれが二十年ほど前にあった大厄災で喪われたものだったなら。


 ──そのころはまだ海からの魔物にも対処できていたから、海から来る者とは頻繁に行き来があったらしくてね。


 人と人魚が結ばれたのは王家だけではない。この魔女だって、かつてそうだったとしてもおかしくはないのだと私はハッとした。そういう時代に生きていたのだから。


「虫が良いな。自分の望みのためには他者を踏み躙ることができるくせに。お前も魔物と相違ない」


「……なんだって」


 リアムの言葉に魔女が心外だとばかりに目を剥いた。リアムは軽蔑したような目を魔女に向けたまま眉根を寄せる。


「王妃の小物入れを見つけた場所で討伐した魔物はお前の使い魔だ。詰めが甘かったな」


「!」


 ぎり、と魔女が唇を噛むのが見えた。



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