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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
序章

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20/366

20 旅の目的が定まったのですが


 三人で宿に戻り、ロディだけになってしまった男性部屋へラスと一緒にお邪魔する。何処かに散歩へ行っていたコトが途中で私を見つけて合流し、勝手に肩にのぼって落ち着いた。


「さて、ライラ。キミはこの世界についてどれだけのことをあの司祭さまから学んだかな」


 三人でテーブルと椅子を持ち寄って、小さな丸いテーブルを囲んで座る。テーブルに地図を広げてから、適性について教えてくれた時のようにロディが優しい眼差しで私を見つめて尋ねた。


「えぇっと……あまりその、歴史は……」


「良いよ。キミの知っている範囲のことを教えて」


 何だか司祭さまとした復習を思い出して私は少し緊張した。司祭さまが教えてくれた内容をおさらいする時はいつも、教わったことをなるべく多く答えられるようにしないとと思っていた。でも司祭さまもロディも、過度に期待せずに今の私がどれだけ学んだかを知りたがっているから、じっと待ってくれる。


 私はテーブルに広げられたモレア大陸を描いた地図を見た。獣皮紙に丁寧に描かれた地図はただのインクが滲んだものなのに、形をとり、目指す者を導いてくれる。今はコトが私の肩からテーブルに降りて地図を不思議そうな表情で見つめていた。


「初めは、このモレア大陸しかないと人々が信じていたこと。でもこの百年くらいで造船技術が進歩して、近くの大陸から。そのうち遠い航海が可能になって、他にも大陸があることが分かりました。大陸は六つ。大きさはそれぞれ違うけど、いずれも海……泉よりも大きくて深い水たまりに囲まれている……んですよね?」


 うん、とロディは頷いた。勇気をもらって私は続ける。


「でもその海にも魔物が出るからあまり頻繁には行き来が出来ないし、大陸間のやり取りも少ない。冒険者さまの船が時々出られるかどうかといったところと聞いています。きっと私達が知らない文化や言語が発展していることもあると司祭さまは言っていました。それがどういうことか、私には実感が伴わなくて分かりにくいですけど」


 このモレア大陸だって端から端まで移動しようと思えばどれだけの日数がかかるか分からない。海なんて見たこともないし、森の泉よりも大きくて深いと言われてもよく分からない。言葉だけの存在は、私にとっては父が聞かせてくれた物語と同じものだった。


「うん、大体は掴んでいるね。魔物や魔王との歴史は聞いているかな」


 ロディが穏やかな春の陽射しのような声で尋ねた。えーと、と私は記憶を掘り起こしてみる。


「いつ頃から魔王や魔物がいるのかは正確には分かっていないと聞いたような……。ただ、長い間、魔物や魔王と人とは争っていると教わりました。ビレ村には女神さまのご加護か、あまり魔物は出なかったからどれも御伽噺のようでしたけど」


 そうだね、とロディは優しく頷いた。


「世界ができた時から魔物はいたとも言われているし、魔王が生み出しているとも言われている。そのどれも正確なところは分からない。ただ、人の(かたち)をしたものが王として祭り上げられ、時に魔物は人を襲う……いや、これも正確なところは分からない。もし魔物が人よりも先にいたなら、魔物の世界へ最初に踏み入ったのは人ということになるだろうから」


 ロディの伏せた長い睫毛が影を落とすのを見つめて私は口を(つぐ)んだ。先日あの森で魔物に襲われた時、同じようなことを思ったのを思い出す。森のルールを侵したのは私達が先で、魔物はただ防衛本能で現れただけかもしれないと。結局はあの魔物使いの少年が一芝居打ったという話だったけれど、そういう可能性だってある。


 人が正しい側にいるなんて、確証はない。


「けれど人は自分の生活や命を脅かす魔物を退治し、その大元にいる魔王を何度も討伐しようとしてきた。“適性”について知られるようになってからは、どの時代にも“勇者”は現れたという話だからね」


 ロディがそのまま言葉を続けた。私は居住まいを正してロディの話を聞いた。視界の隅でコトがテーブルを歩き回り、ラスの目の前で毛づくろいを始めたのが見えた。


「魔王を討伐したという話はあるにはある。けれど実際に魔王は今もいる。それがどういう仕組みなのか、仮説はいくつかあるけど、確実なものはない。

 ただ、魔王を倒すために必要なものがあると伝えられているものがあるようなんだ」


 具体的にどんなものか正確には伝えられていないんだけど、とロディは苦笑した。


「本当に必要かどうかさえ分からない。でも、多くの冒険者はそれを求めて旅をしている。

 ――魔王を倒すために」


 ロディの瞳が鋭く光ったような気がして私は小さく息を呑んだ。けれど、私がもう一度見た時にはロディはいつもの穏やかな眼差しで私を見ていた。


「ボクらも例に漏れず、その何かを探していた。具体的にそれが何かが分からないから見つけたのかどうかも分からないけど、ひとまず噂を聞けばその出所を探したり、実際に存在する場所なら訪れたりしてね。そうしているうちにもっと詳しい話を知っている人に出会えれば、と思っているんだけど」


 どうにもね、とロディは苦笑した。


「雲を掴むような話だよ」


 ラスがその後を引き継いで静かに言った。彼女の目はコトのふさふさ尻尾の動きを追っているように見える。


「だから、あんたまでそれを引き継ぐ必要はないってあたしらは思ったんだ。あるかどうかも分からないものを探す旅に、あんたを巻き込む必要はないって。探し続けていたら、その噂が本物であるほど危険が伴うことになる。そんなものが本当にあるなら、(むこう)だって容赦しない筈だからね。わざわざ危険に飛び込む必要なんて、ないよ」


 ラスが私を見た。彼女の強い瞳が心配そうに揺れて、私を想ってくれていることが伝わってきた。戦えない私を案じてくれる彼女の優しさは、かつて彼女も剣士としては未熟な時期を忘れていないから持てているものなんだろう。私はくすぐったさに思わず微笑んだ。


「心配してくれてありがとうございます。多分、その心配は正しくて、合っていて、私がそれじゃあその何かは分からないけど必要なものを当初の予定通り探しましょう、なんて言ったら無碍にしてしまうことになるのかもしれない」


 訓練をつけてもらったとはいえ私が戦えないのは事実だし、街の周りに出るような魔物なら対処できても、きっと魔王とやらに近づくにつれ強くなるだろう魔物には手も足も出ないんだと思う。だけど、私ひとりのために彼らが追ってきた夢を潰えさせてしまうのはあまりにも心苦しかった。


「かといって私がすぐ強くなるわけでもないし、冒険者向きの適性はほとんど“なし”だし、無謀も良いところだと思います。でも、お二人が追ってきたその夢や目的まで私がいることで諦めてしまうのは、なんだか、上手く言えないけど、これまで旅をしてきた皆の思い出や絆まで此処で途切れてしまうような感覚がして」


 ラスとロディは驚いたように二人で顔を見合わせた。それからすぐに私を向いて何か言おうとする。でも私は言葉を続けることでそれを押しとどめた。


「そんなことない、と理屈では分かっています。そんなことで途切れるものではないことも、勿論。でも感覚的なことは理屈では納得させられなくて。でも戦闘や冒険で役に立てる自信もないし。

 だから、あの、思いつきなんですけど」


 私は二人の顔を交互に見た。二人とも、今度は何を言い出すんだろうといった様子で私の言葉を待ってくれている。


「私は特に行きたい場所もないし、その噂とやらを集めることを旅の目的にしては駄目でしょうか。吟遊詩人の適性は“なし”だから語り聞かせることはできないけど、歌にして伝えたり伝搬させやすい形にしたりすることはまだできる可能性があるかなって思うんです。多く噂になる場所の目星をつけておいて、必要とする冒険者の方に伝える。歌にしたら覚えやすいし、記憶力はある方だと思うから。それなら少しはお役に立てるかもしれないし、危険もそんなにはないかなって」


 少しの間、誰も喋らなかった。私は思いつきで言ってしまったから二人が何と言ったものか悩んでいるのかもしれないと不安になる。


 ラスが首を傾げてうーんと唸った。


「あたしには反対する理由がないんだけど、ロディ、あんたはどう?」


 ボクもだ、とロディは笑った。


「ライラ、キミが良いならボクもそれで良いと思う。というか、ボクらのことを慮ってもらってしまってすまない」


 笑顔で言うロディは、どこか悲しそうに、つらそうに見えた。余計なことをしてしまったかな、と思ってももう言ってしまったことは取り消せない。


「あたしらが甘えさせないといけないのにね」


「機会があったらたっぷり甘やかそう」


 ラスとロディは二人で何か企むように笑った。あわわわ、と私は慌ててそんな気を遣わなくてもと言いかけたけど、ラスの手に頭を撫でられて言葉を飲み込んだ。


「それじゃ、当初の予定通り次に行くのは此処」


 ロディが地図を指差した。このヤギニカの街から結構な距離を進んだ先にある、トレノという町だった。間にいくつかの村が点在しているから、途中で宿を取りながら進むことになるだろう。


「早速、準備にとりかかろう」


 ロディに言われて私達は買い出しに出かけることにした。



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