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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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12 魔女との取引ですが


 ピエールの目に頼って進み、私たちは遂に最後の扉に辿り着いた。此処まで入れば流石に魔女も気づいているはずだとセシルは言う。眠っていたとしても侵入者の気配に気づかないはずがないと。それが客でも敵意あるものでも、魔女の領域へ侵入してきた事実は変わらないのだからと。


「あ、開けるわ」


 取手を掴み、私は緊張した声で全員に告げる。うん、とセシルが答えてくれた。私は重たい取手を引っ張って扉を開ける。


 此処に来るまで、他に部屋はなかった。正確には部屋はあるけれど魔女の使い魔のいる部屋しかなかった。一応ピエールに覗いてもらってロディがいないことは確認済みだ。だからもしロディがいるならこの先、ということになる。


「おやおや、どんなお客さんかと思ったら珍しいこともあるもんだ。陸の人間ときた」


 扉を開けてすぐ、声がかけられた。まだ私たちの姿なんて見えていないだろうに。


 念のため、開く扉の影になるように私たちは身を隠していた。それなのに魔女は私たちが人間であることを見抜いた。魔女のいる部屋は灯りがあるのか、扉の隙間から漏れる光で浮かび上がる顔を私たちはお互いに見合わせる。私はきっと驚愕に彩られた顔をしているんだろう。左右に分かれて向かい合ったリアムとピエールは流石に警戒を強めた表情を浮かべていたけれど。


「初めまして、魔女様」


 意を決して扉の影から顔を出して挨拶をしたのはセシルだ。私は驚いたけれど、もう出してしまった顔を引っ込めるなんてこと、できるわけがない。


「へぇ、陸には綺麗な顔立ちの人間がいるもんだね」


「僕の容姿を褒めてくれたのかな。ありがとう」


 セシルはにっこりと天使のように笑う。言われ慣れているのだろう、手慣れている様子だ。


「お前だけじゃないだろう。客なら入っておいで。刺客なら打って出るよ」


 隠れるなと引っ張り出され、私たちはセシルの後ろから続いて部屋へ足を踏み入れる。広い部屋だ。入ってすぐ、目の前に大きなテーブルがあった。その奥、長いソファに魔女が寝そべっていた。最短距離で魔女の元へ向かうにはそのテーブルを乗り越えないと行けないようになっている。迂回したらそれだけ魔女に時間を与えることになるし、乗り越えるその僅かな手間の時間だけでも稼げれば魔女には問題ないのかもしれない。


 入って右手側、大きな黒い鍋が置かれている。その奥には戸棚と小さなテーブルがあり、いずれにも大小様々な瓶が並べられていた。赤や青、黄色の液体が入ってコルクの蓋がされている。魔女の薬、なのだろう。鍋の上には煙突が伸びていて薬を作っている間に煙突から空気の輪が出るのだと私は推測した。


 部屋の中は、ぼんやりと明るい。真っ暗闇の中からだから余計に優しい光に感じた。ゆらゆらと光の球が水中に浮いている。中には光る苔のようなものが沢山入っていて、とても綺麗だ。透明な器に光を集めて浮かせているらしい。レティシアの魔力が暴走した時の景色に少し似ている気がした。


「おやおや、顔の綺麗な人間が三人。精悍な人魚がひとり。寄り集まって何の用だい」


 魔女は率直に言えば、人魚だった。深い緑の鱗で覆われた尾が長いソファの上でぴちりと跳ねる。老齢の顔は余裕に笑んで私たちが客の振りをやめてもすぐに対処できそうだ。波打つ髪は赤茶色をしていて、水の中でゆらゆらと揺れていた。


 サッと見た限り、ロディはいない。でも他に部屋がありそうでもない。とすると此処にはいないのだろうか。


「人間のための薬をもらった人魚がさっき、来たと思う。その子に声を返したい。その場合の代金をまず訊きにきたんだ」


 セシルは天使のような笑顔を浮かべたまま答えた。誰でも警戒を解いてしまいそうな穏やかで綺麗な笑顔だ。このくらいなら良いかとうっかり口を滑らせてしまいそうなほどに。でも魔女はニヤリと笑うとそうだねぇと勿体ぶる様子を見せた。


「其処の娘」


 私は視線を向けられて息を呑んだ。こちらに意識を向けられると物凄く緊張する。初めて人前で歌を披露した時よりもずっと、息が止まりそうになった。


「お前の髪で手を打とう。その結んだところから全部、差し出せるかい」


 私は躊躇わなかった。頷いて、リアムからナイフを受け取る。頭の上で一本に括った髪を掴み、ナイフでひと思いに切り取る。お姉さん、とセシルが申し訳なさそうに眉根を寄せるのが見えたから、私は微笑んだ。大丈夫。髪はまた伸びる。


「はは、潔いね。魔力のない娘の髪が必要だったところさ。気に入ったよ。さっきの人魚の娘……数日前にも陸に上がりたいと言っていた娘だね。真珠の耳飾りと交換したんだったね……」


 魔女は片手の指をくるりくるりと回した。ひとりでに私の手から髪束は持っていかれ、鍋の奥にある戸棚から小箱が取り寄せられる。魔女は両方を手元に揃えると小箱の蓋を開け、私の髪をくるくると小さく纏めてしまうと中へ収めた。とても髪の毛が入るような大きさの小箱ではないけれど、それも魔女の魔法、なのかもしれない。


「お前の髪を代償に、あの娘には声を返した。今頃喋って歌っての最中だろう。まぁ王子とは結ばれなかったなら、人間にはなれなかったってことさね」


 魔女はまたくるりくるりと指を回して小箱を戸棚に戻す。これで用は済んだかい、と問われ、そうだねとセシルはにっこり笑顔に戻って頷いた。


「参考までに訊きたいんだけど、建物の周りに漂着してる物、欲しいものがあるのだけどあなたの許可が必要?」


「別に許可なんか要らないさ。好きなものを持ってくと良い。此処に流れ着いた時に選別は済んでるからねぇ」


 なるほど、と言ってセシルはまた笑んだ。それじゃあお邪魔しました、と背を向ける。無防備すぎるような気もしたけれど、リアムとピエールが警戒したままでいるから任せたようだと気づく。魔女の力を前にしても怯まないと示すように。


「こちらとしても参考までに訊くけど、人魚狩りをしそうな奴は近くにいないかい」


 投げかけられた問いに答えたのはピエールだ。いない、と簡潔に答え、そうかい、と魔女が答える。何のための質問なのか分からなかったけれど、長居は無用とばかりにセシルに手を引かれて私は部屋を出た。扉を閉めて、暗い廊下をまたピエールの指示で戻る。けれどピエールがうぐ、と喉の奥で苦しそうな声を出して止まった。


「行きと……道が変わっている……!」


「……え?」


 自分の口から思いの外に不安そうな声が出て、私は自分で驚いたのだった。




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