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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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11 来店客ですが


 私たちは正面まで向かった。扉らしい扉はない。ただ穴が開き、奥まで続いているだけだ。


「ごめんくださーい……」


 私は恐る恐る声をかけてみる。静かな水底では泡が昇っていく音しかせず、答える声はない。少し離れて煙突と思しき筒を見上げた。輪は昇らない。こんなところでそっと声をかけただけでは魔女に声は届かないのだろう。


「ごめんください、お邪魔します!」


 私はさっきよりも声を張って宣言し、ひと掻き、水の中を進んだ。建物の中に入れば途端に薄暗くなり、温度も下がった気がしてぶるりと体を震わせる。すぐ後ろをセシルがついてきて、リアムが私の隣に並んだ。ピエールは最後についてくる。


「誰かが入ればあるいは目覚めるかと思ったんだが、輪は昇らないな」


 首を振ってピエールが言うから、そっかと私は頷いた。魔女の領域とはどの範囲を指すのだろう。其処に踏み入れば魔女は勝手に目を覚ますのか、それとも揺り動かすまで眠りについたままか。奥へ進むしかその答えはない。


 心配は要らない。私たちは正式な魔女のお客さんとして此処へ足を踏み入れた。何を頼むかはもう決めてある。何を要求されるかは分からないけれど、この中で見るもの全てが貴重な情報になる。ひとつも見逃してはいけない。


「誰も出てこないなら魔女探しの名目であちこち見ても咎めはないんだろうな」


 リアムの言い分に、あー、とセシルが迷うような声を出した。


「僕もその意見には賛成だけど暗いのが気になる。妙な雰囲気を感じたら撤退するのが安全かも」


「相手との力量差は見誤らないさ」


 リアムは口角を上げてニヤリと笑った。ピエールがふんとそっぽを向く。あんたは此処に残れ、とリアムはピエールに言うと自分だけ先行してあちこちの穴を覗き始めた。斥候を務めてくれるのはありがたいけれど、こんなに暗い場所で見えているのかと心配になる。ハラハラしていたら、大丈夫だとピエールに諭された。


「あいつは強い。魔力量が桁違いだ。それにいきなり魔女と遭遇しても何もしてこない。客として正面から入ったんだからな」


「それなら多少は安心かもしれないけど……」


 ピエールがリアムの強さを認めているのが少し意外だった。ある意味ではお墨付きをもらうものの、拭われた私の不安は少しだけだ。いくらお客さんだからといっても、非常識なことをすれば摘み出されると思うからだ。


「リアム、その辺で」


 あまりひとりで先行しすぎてもいけないと思って私は声をかける。リアムは私の声が聞こえたのか、面倒そうにこちらを見たけれど大人しく従ってくれた。


「お前、猛獣使いの素質でもあるのか」


 リアムが私の言葉に従ってその場で追いつくのを待ってくれているのを見たピエールが驚いた声で私に尋ねる。ないわ、と私は苦笑して答えた。リアムもそうするのが最善と判断しただけに過ぎないし、私に彼を従わせる力はない。魔物使いの“適性”はあってもリアムは魔物ではない。私の言うことを何でも聞いてくれるわけではないのだ。


「まぁお姉さんの言うことなら聞いてあげたいと思うけどね」


 セシルがそう言って笑うのをピエールは複雑そうな顔で見やる。私も何と答えたものか分からなかったから、ありがとうとお礼だけにっこり笑って言っておいた。


 奥へ行けば行くほど外の灯りは入らず、暗闇が広がった。リアムの黒髪が闇に溶けて何処にいるか分からなくなりそうだ。彼に追いつくと私たちはしばしその場に留まった。リアムの見た情報をもらうためだ。


「何かいるな。暗くて何かまではよく見えない。だが相当の獰猛性だろう。抑える気のない殺気を向けられたからな。襲ってこないのは躾けられてるんだろう。一歩でも踏み込めば喰い千切りにくるぞ。寄り道はするな」


「なるほど。魔女の使い魔か何かかな。部屋ごとにいるなら相当数だ。リアムの言う通り寄り道しないで真っ直ぐ行こう」


 セシルがふむと思案顔で私たちに言う。それに反対するものもないし私たちは頷いた。


「こんなに暗いところをレティシアはひとりで行ったの……?」


 私がピエールを振り返って尋ねれば、そうだな、とピエールは肯定した。海底は暗い場所も多く、人魚にとっても馴染み深いものではあるからと。暗いだけで忌避はしないのだそうだ。


「お姉さん、手を」


 セシルに言われて私は素直に手を差し出した。もしかして、とピエールが疑問を乗せた声で尋ねる。


「陸の人間はこの暗さでは見えないのか?」


 え、と私は驚いてピエールに首を傾げた。見えるの、と問えば見えると返答がある。


「そうか、人には暗いか。見えないで潜むあれに気付いたなら手練れなのを疑うわけにはいよいよいかないな。人魚ならこれくらいは見える。月夜の晩は昼間と同じ。この先、道は三つに別れる。ずっと真っ直ぐというわけでもないだろう。近づけばオレが見よう」


「ええ、お願い」


 私が頷くとピエールは短く、あぁ、と答えてくれる。


「ピエールは魔女のお客さんになったことはないの?」


「ないな。魔女に頼みたいことがなかった。だが今は、お前たちの用意した願い事こそ、オレの知りたいことかもしれない」


 どんな表情でそう言ったのか、私にはもうほとんど見えなかったけれどピエールの声に寂しさが滲んだのは見えた気がした。魔女の元に持ち込む願いは私だって知りたいことだ。だから答えてくれればと思う。でも今は、ピエールの心から零れていく何かを掬い上げられたらと願った。


「魔女に頼ったことがないなら、あなたは自分の力で叶えてきたのね。それって凄いことだわ」


「……」


 黙ってしまったピエールをセシルが小突く。あ、その、とピエールが弾かれたように口を開いて出した言葉は言葉になっていなかった。気に触るようなことを言っただろうかと私が不安になって首を傾げれば、いや、とピエールは否定の言葉を口にし、その後、ありがとうと消えそうな声で言ったのだった。



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