8 諦めない希望ですが
「魔女の薬の効果はいつも三日だ。だがその効果を打ち消す行動はある。人になる薬を飲んで期間内に海へ入ったなら脚は魚に戻る。反対に海で呼吸ができるようにした薬を飲んだ後に一度でも陸に上がれば効果は切れる。そういう噂だ。真偽は知らん」
ピエールはリアムから手を離され、落ち込んだ様子で海底の岩場に腰掛けた。銛を肩に預け、ぐったりと項垂れている。
「あの、声を失った人魚はどうなるの……?」
それを彼に訊くのは酷なことかもしれない。けれどレティシアに訊いても答えてはもらえない。声が出る状態で尋ねても彼女はきっと答えないだろう。
「一生人魚の国から出なければ長生きはできるだろうな。でも外には出られない。自分で食料を取りに行くことも、何も。まぁ一応はオレたちは王族に連なるものだから自分で狩りをしなくても何とかはなるが……陸に上がって戻ってくることができれば、という話にはなる」
え、と私は言葉を失った。すぐに気を取り直して、迎えに行ってあげるとかは、と提案をしてみたけれどピエールはかぶりを振る。
「海の中で人魚っていうのは弱い生き物なんだ。鱗で覆われているのは下半分だけで上は柔らかい弱点だらけの部分を晒している。陸の人間を真似て武具をつけることもできなくはないけど、速さが出ないからな。囲まれて咬みつかれれば変わらない。終わりだ。だが、オレたちには歌がある。そうすることで生きてきた。だから移動もできたんだ。歌が聞こえれば手助けもした。水は続く。音が届く限り人魚の歌が聞こえれば守ってやれる。でも歌えないんじゃ、何もしてやれない」
魔物の出る海で、自力で身を守れない人魚が長距離を安全に移動できる保証はない。何処かで襲われ、ねぐらに連れ込まれ、骨も残らず食い尽くされて終わるのだと思うと私は気分が悪くなった。でもそれは自然の中で行われていることだ。私たちだって狩をするし採取もする。それと同じことだ。
人と同じ言葉を喋り、姿形が似ているというだけの理由できっと私は、彼らを可哀想だと思った。海にはもっと強い生き物が存在している。ただそれだけのことなのに。陸でも同じことが起きる。私たちは強い大型の動物や魔物を前には無力だ。武器や魔法があれば対抗することもできるのだろうけど、制限を受ける水の中ではその環境に特化しているものほど頂点へ行く。
だからといって彼らに陸へ上がるよう勧めることはできない。彼らは海で暮らしている。其処で暮らすことを選んだ種族なのだから。レティシアのように陸へ上がることを選ぶ人魚もいるにはいるのだろうけど、自分の脚で立って歩くことの痛みに泣いてしまうことになるなら。
生きやすい場所で生きるしかない。何処が生きやすい場所なのかは、分からないとしても。
「お前たちの仲間だがな、ただの人間だろう? 魔女の薬も飲んでいないなら人は数分と息が保たないと聞く。こんなこと言いたくはないが、望みは薄いだろう」
「……」
正論を前に私は言葉を呑み込んだ。そんなことはない、と言い切るだけの自信はない。いくらロディでも、人間なのだ。人間であるからこそ、水の中で自然に息ができるようにはならない。
「波に攫われたのだって、自然に起きたことかもしれない。波を操れる者は海には多くいるが、波は自然と動くものでもある。時には何もしていなくとも荒れることだってある。よしんば何かが波を操って人間をひとり攫ったとして、すぐに動かなくなった人間をそいつはどうすると思う」
嫌な想像が駆け巡って私は胸を両手で押さえた。食べるか、捨てるか、あるいはねぐらに連れ帰るか。いずれにしてもロディの命はその体にもう残っていないことになる。
「それでも」
私は諦めたくない。薬の効果が続く限りは、我儘を言いたい。
「それでも、探したいんです」
私が絞り出すような声で言ったことに、リアムが息を吐き、そういうことだから、とセシルが笑った。
「あの魔術師なら通常の話は通じなさそうでな。まだ生きてるのに此処で諦めたら寝覚めが悪いだろ」
「僕はお姉さんが満足するまで付き合うよ」
二人とも、と私は目を丸くした。ありがとうと言えばリアムは目を閉じてしまうし、セシルは別にとそっぽを向いてしまったけれど、二人とも受け止めてくれたのだと思う。ピエールは呆れたように私を見上げた。
「なるほど。貴様の意向か」
「意向と言うか希望というか……まぁ、そんなようなものかもしれません。力を借りているのは事実ですから」
苦笑すればピエールも苦笑を零した。腰掛けていた岩場から離れ、銛を握り直してピエールは私たちを正面から見る。
「レティシアを心配してひとりで此処まで来ていたんだが、あいつが貴様らに手を貸していると言うならオレも何もしないわけにはいかないな。此処らの海流からあらゆるものが流れ着く場所がある。骨まで砕かれたり連れ帰られている場合はその限りじゃないが、ひとまずは其処を案内しよう。どんな現実が目の前にあっても折れるなよ」
「王子様なんだろ、そんなことして良いのか」
リアムが揶揄するように口を開いたけれど、ピエールは誇らしげに笑った。そんな挑発には乗らないとばかりに。
「妹が手を貸す陸の人間を兄が助けない理由はない。それに人魚と陸の人間は別に敵対しているわけではないからな。魔物が強くなって以前のように行き来が難しくなっただけだ」
リアムが更なる嫌味を口にする前に私は急いでお礼を言った。その勢いにリアムは口を閉じ、ピエールは驚いた様子で私を見たけれど、嬉しい気持ちは本当だから私は構わなかった。海の中でも力を貸してくれる人がいるのはありがたい。
「絶対というわけじゃない。可能性が高い場所を教えるだけだ」
「それでも充分嬉しいです。ありがとう」
あー、とピエールは頬を掻くと視線を逸らしながら言葉を探す。
「大したことじゃない。だが、そうだな、妹と似た声を持つ人間よ、良ければまた歌ってほしい。魔力のない貴様では力を発揮できまいが、オレも歌う。不穏な気配が近づく前にやるぞ」
喜んで、と私はにっこりと笑った。




