7 人魚の関係者ですが
悲鳴をあげる暇はなかった。人魚の持つ銛がリアムを狙う。私たちでは抵抗を受ける水を人魚は受けていないのか、それともそれさえ計算しているのか、はたまた最初から水の中にいればそれが普通なのか、ものともせずに真っ直ぐに向かった。
「だから──」
けれどリアムはまるで人魚の動きが見えていたかのように迫り来る銛を避け、腕を伸ばして人魚の手を掴んだ。人魚は目を見開き飛び退るように距離を取ろうとし、失敗する。
「──力量差があると言っただろう」
「どうして」
人魚の言葉と私の疑問が重なった。それが聞こえたのかリアムはまた私へ面倒そうな視線を寄越す。
「あんたは歌を歌うのに集中していてそれどころじゃなかったかもしれないが、慣れない場所へ来てまず最初にするのは体を慣らすことだろう。普段と何がどれくらい異なるのか、その感覚を掴むことが先決だ」
私はぐうの音も出ない正論に口を閉ざした。人魚の歌でいくら敵が出ない状態にしているとはいえ、私の歌に魔力はない。どのくらいの効果が得られるのかも判らない。それにロディを助けに行くということはロディを攫った何かと対峙するということだ。水の中で戦うことになるなら体の違和感は早めに解消しておかなくてはならない。少し考えればそのくらい私にも分かるというのに、歌い始めれば歌のことしか考えていなかった自分に自分でがっかりした。
「おい、あんた」
リアムが腕を掴んだまま藻掻くでもなくじっと大人しい人魚に声をかける。それでも彼は敵意を持ったままで、鋭い視線をリアムへ向けた。リアムは口角を上げる。余裕綽々の様子からは何となくリアムの方が悪者に見えてしまうけれど、彼らにしてみれば陸の存在である私たちが海へやってきていることは敵対するに十分な理由かもしれない。
海に住んでいるのは、彼らの方なのだから。
「昨晩、俺たちと同じ陸の生き物がこの海へやってきた筈だ。そいつを探している。この海の中にいてもどうせ使い物にならない。邪魔だろうからな、回収に来た」
散々な言いようだけれど魔女の薬を飲んでいないロディは真面に動ける状態とは思えない。海に住む生き物がどんな目的で陸の人間を攫うのか見当もつかないけれど、ロディに残された時間は少ないだろう。ロディが何もできないまま攫われたとは思いたくない。でもロディが何とか対策を打っていたとして、それがいつまで保つものなのかは判らないのだ。
「……し、知らない」
「そうか。残念だ」
「ほ、本当だ! 海は広い! 人魚じゃなくても波を操るくらいできる! それより貴様たち、我々の歌を知っているとはどういうことだ! 先日、陸に上がった人魚がいる……その声によく似ていた──捕まえたのか? 尋問する権利はこちらにこそある!」
「余程腕を折られたいようだな」
リアムが面倒そうに呟くのと人魚がヒッと悲鳴をあげるのは同時だった。やめて、と私は慌てて静止の声をあげる。セシルが私の前で阻んだままで進めはしなかったけれど、声は届く。リアムは眉根を寄せて私を見た。ヤギニカの街で見た時のような恩讐の色とは違うけれど、それに似た残忍さを見たような気がして私の背を恐怖が走っていく。
「私たち、敵じゃないわ。その人も敵じゃない。だから腕を折るなんて乱暴なことしないで。
勝手に海に入ったのは私たちの方。でも理由があるの。昨晩、波に攫われた仲間を探しているのよ。歌はレティシアから教えてもらった。捕まえてなんかいないわ。あの子と私の声、似てるみたいなの。それに私の魔力がない歌でも、貴方たち、協力してくれたでしょう? ちゃんと聞こえていたのよ」
レティシアの声だと思って助けてくれたのだろうか。でも魔力がないことは解るはずだ。あらぬ疑いをかけられる前に説明する必要がある。彼はカッとなりやすい性格のようだし、誤解したまま強く思い込んでしまうことも考えられた。リアムはそれを訂正しないし、セシルも同様だ。誤解されることなんて慣れているといった様子に私は胸が痛んだ。セシルの生活ではそういうこともあったかもしれないけれど、リアムもそうなのだろうか。乱暴な手段に出るのを厭わないのも似ている気がして心配だった。
「それなら何故レティシアが来ない。海の中なら陸の生き物より彼女の方が適任だ」
それはその通りなのだけど、来られない事情が何かと彼は訊いている。誤魔化す意味もないから私は答えた。
「レティシアは……魔女様との取引で声を失ってしまったの。あの子は歌えない」
「なんだと……っ」
怒りに燃える目が私を貫いた。私は思わず体を震わせる。セシルが私の前から進み出るようにして、不機嫌な声で応えた。
「彼女がそう希望して取引したってことだよ。何せ僕ら、魔女の薬を飲むまでは海になんて入れないんだから。強要したわけじゃない。魔女との取引に向かったのも、その要求に応じたのも、彼女の意志だ。どうせ追って来られないならそのまま魔女のところなんて行かずに逃げれば良かった。でもそうしなかったんだから」
あぁ、と彼は顔を顰めた。
「そうだ……あいつはそういう娘だ……。レティシアが貴様らに助力した、そういうことなんだな……?」
確かめるように問われ、私は頷いた。
「貴方、レティシアの知り合いなのね」
私が訊ね返したことに、今度は彼が頷く。
「オレはレティシアの兄だ」
ピエールという、と彼は俯きながら教えてくれた。