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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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6 海の探索ですが


「ライラ!」


 ざば、と頭から海の上へ出ればラスの声がすぐに飛んできた。眩しい陽の光に目を(すが)めながら浜辺の方へ視線を向け、私はラスへ向かって大きく両腕を振る。大丈夫、と言おうとしてぶくぶく、と空気が口から出ていく感覚に驚いた。本当に陸と海とが反転してしまったらしい。声は出るけれど言葉にはならない。聞こえたとして意味を汲み取ることは難しいだろう。


 すぐに息がもたなくなって私はまた水面へ顔をつける。吸い込んだそれは酸素なのだろうか。それとも海水だろうか。判らないけれど、息ができるようになって私はまた顔を上げる。


 大丈夫だから! 行ってきます!


 声にならない言葉をなるべく大きな口を開けて伝えようとして、私はまた腕を振ると水の中へ戻った。陽の光が差し込んでキラキラと綺麗な海の中はまだ浅瀬であることも関係してか、底の方にある白い岩に反射して明るい。


 セシルは金の髪を漂わせ、私を待ってくれていた。リアムの黒はこの海の中では割と目立ち、何処にいるかすぐに判る。


「効果がどれほど続くか判らない。先を急いだ方が良いだろう」


 リアムが口を開いて私は頷いた。レティシアが人になる薬は三日が期限だったはずだけれど、この薬も同じかは判らない。永続的に反転させる薬であることも考えられるけれど、それならレティシアの声だけで釣り合うだろうか。三人分の、海と陸との反転だ。海がどれほど危険な場所かは判らないけれど、水の中に不慣れな陸の生き物が海の中でどれほど生きられるものだろう。陸の生き物を減らしたいといった目的がない限りは時間制限があるものと思った方が良い。というか、そういった目的がある場合も時間制限がある方が好都合だろう。水の中で陸の生き物は息ができないのだから。


「お姉さん、早速で悪いけどまた歌って」


 セシルの言葉に私は頷くと音を紡いだ。レティシアから教わった人魚の歌。外敵から身を守るために眠りに落とす魔法の歌だ。魔力のない私の声でどれだけの効果があるか判らないけれど、海がレティシアの歌だと勘違いしてくれれば良い。セシルもリアムも水の中での戦闘には不慣れだろうから。


 水の中での歌は当然ながら陸で歌うのとは感触が違っていた。あの空へ抜けるような、空気を震わせる感覚は此処では得られない。どちらかといえば流れに音を溶かすような、声を滲ませるような、そんな感覚だった。沢から汲んだ水に果汁を落としていくことで甘い水に性質を変えるように、人魚の歌が染み渡る水に触れれば眠りに落ちる──そんな想像が広がった。


 海は静かだ。それが人魚の歌によるものか、元から静かなのか、私には判らない。水を掻いて進む私たちの周囲には魚の影さえなく、何にも邪魔されずに進むことができた。これがロディの救出でなければゆっくりと景色を楽しみながら進みたいくらいには穏やかで美しい。


 ゆらゆらと揺れる海藻に、こぽこぽと立ち上る小さく細かい泡、水面の反射した岩に張り付くものや、様々な色をした貝殻が水底の砂の上で転がっている様子はどれだけ進もうと変わらない。冬に近づいている季節に入る水温は冷たいけれどもう大分慣れた。かじかむほどではないし、反転したことでその感覚も変わったのかもしれない。


 けれど。


「お姉さん?」


 私は時折首を左右に巡らせてその感覚を辿っていた。遠く、あるいは近く、存在を確かに感じるのに姿は見えない。それを探る私を不審がったのか、セシルが声をかけてきた。歌い続けながら私は首を振る。セシルとリアムにはロディの居場所を探ってもらいたい。余計な心配をかけるのは本意ではない。


 でも、確かに感じる。前へ進むために両腕を前から左右に掻き分けた時にその感覚をようやく掴んだ。あぁ、と口から出た歌以外の声はごぼ、と泡になって頭上へと昇っていった。


 溶けているのだ。この水の中に、人魚の歌が。歌っているのは私だけではない。きっと何処かにいる人魚が、この歌に自分の声を重ねている。何処かで仲間の歌が聴こえて、仲間の無事を願って歌っているのかもしれない。そう思えばありがたさと罪悪感を同時に覚えた。


 私は人魚ではない。けれどレティシアの好意でこうして人魚の歌を歌いながら魔女様の薬で海の中を進んでいる。助けられながら、ロディを助けるために向かっているのだ。私が何かを返してあげることはできない。その力を借りているのにも関わらず。


「止まれ!」


 急に声がして私たちは進行を止めた。セシルがすぐに私の前にやってくる。私は思わず歌うのをやめた。辺りに響いていた音が消える。人魚の手助けも消えてしまったように感じた。


「貴様ら、人魚の尾を持たぬ者、どう見ても陸の者だ。何故こんなところにいる。その上我らの歌を真似る者までいるとは、どういうことだ。返答によっては承知しないぞ!」


 岩場の陰から現れた姿を見て私は目を丸くする。上半身は人、下半身は魚の姿。レティシアとよく似ている姿は間違いなく人魚だけれど、明らかに男性だった。鋭い先を持つ銛を手に、目を吊り上げて怒りの形相を浮かべている。けれどひとりだ。仲間はいそうにない。深い青色をした髪は短く刈り込まれ、水に揺蕩うこともない。動きやすさに特化した様子に見えた。


「丁度良かった。人を探している」


 彼の持つ武器が目に入らないかのようにリアムが口を開いて私は唖然とした。なんでもないことのように、道に迷った旅人よろしくそんなことを尋ねるものだから、私は自分の現状認識に問題があるのかと思った。敵対しているように見えたけれど、私の勘違いだろうか。


「な……っ、き、貴様! この状況が解っているのか!」


 でも相手の人魚が言い返したことで場にそぐわない行動をしたのはリアムだと改めて思う。セシルは何も言わない。油断なく人魚を見ている様子だった。


「お前こそ解っているのか? 相手との力量差を測れず飛び出してくるのは勇気とは言わない。無謀だ。愚かでさえある」


「なんだと……っ」


「ちょ、ちょっとリアム……!」


 堪らず(たしな)めるために声をあげた私を面倒そうにリアムが見るのと、激昂した相手が銛を握り直すのはほとんど同時だった。



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