5 陸と海の反転ですが
「それじゃあ、あたしは此処でレティシアたちを守るよ。ライラ、セシル、気をつけて。リアム、あんたの腕は信用している。この子たちを頼んだよ」
魔物使いの“適性”がないラスが残ることになり、陸で捜索を続けるジョエルたちの護衛も兼ねることになった。陸には上がれなくなり、海にも戻れなくなったレティシアのことも。
思うところはあるけれどラスがいてくれる方が良いような気がした。ラスは人を思いやることができる人だ。レティシアの想いを汲んでジョエルに説明してくれると思う。知られたがらないだろうレティシアの想いを、上手に隠して。
「これ、このまま飲んで平気?」
リアムがそれに返しているのを聞きながら、私はレティシアに薬の飲み方を尋ねた。レティシアは首から小物入れごと外して渡し、それを受け取ったのが私だ。中でコロコロと真珠の粒が転がる。レティシアは私の問いに頷いた。
「僕がまず飲んでみる」
「セシル」
驚いた私が声をあげると、大丈夫だよ、とセシルは笑った。
「何が起こるか分からないんだ。その魔女様とやら、信用できるの?」
レティシアの声を要求しておきながら効果のないものを寄越してきたのだったらそれは大変なことだと思う。けれどそれを訴える声をレティシアは奪われ、海に潜ることのできる者は誰もいない。そういうこともあるのかもしれない。そんなことまで考えたくはなかったけれど、色んな人がいるように海の魔女だってどういう存在か私たちには判らないのだから。
レティシアが抗議するように首を振ったけれどセシルは聞かなかった。可能性の話だよ、と笑って、私の持つ小物入れから真珠をひと粒摘む。それなら余計に話し合った方が、と言いかけた私の思いを見抜いたように、そんな暇はないよと言ってそのまま口に含むと飲み込んだ。
「──ぐっ」
セシルは呻き声をあげる。喉が、と言いながら自分の首を絞めるように両手で喉に触れるセシルを私は驚いて見ていた。ざわ、と周囲にもセシルの様子がおかしいことが伝わるのとほぼ同時にレティシアが海の中から腕を伸ばしてセシルの脚を引っ張った。
「うわっ」
セシルは驚いた声をあげて水の中へ引き摺り込まれた。セシル、と悲鳴にも似た声で呼んだ私が海へ分け入ろうとするのをリアムの手が止める。後ろへ強い力で引き戻されて私はリアムを詰った。
「何するの、セシルが……!」
「よく見ろ。上がってくる」
リアムに指摘されて私は海へと視線を戻す。セシルが引き摺り込まれ飛び込んで行った先では寄せては返す波が揺れていた。その狭間にぶくぶくと泡が上がる。まさか、と思って固唾を飲んで見守っていたらセシルの顔が飛び出した。
「セシル!」
セシルは笑っていた。苦しそうにしていた表情は消え、穏やかだ。身振りで水の中へ入ってくるようにと言っているようだった。なるほどな、とリアムが答えて私は彼を見上げた。宵が訪れる色の目も気づいて私を見下ろし、感情なく私を映す。
「あの薬は陸と海とを逆転させるらしい。ほら、また息継ぎのために海へ戻る」
息継ぎ、と私はまた海を見た。セシルは一瞬苦しそうな表情を浮かべると水の中へ戻り、またすぐに顔を出す。その隣でレティシアが同じように薬を飲んで海へ入ってくるよう示していた。
「あの魔術師を助けに行くんだろう。あんたも準備すると良い」
リアムが自分の装備を外していく。身軽な装備になって靴さえ脱ぎ、剣一本を持って私の持つ小物入れから真珠をひと粒取った。あっと言う間に口に含むとすぐに海へ入っていく。反対にセシルが水を含んで重たくなったものを脱いで砂浜へぽいぽいと投げて寄越した。
「呼吸ができるようになっただけで重たいものは重たいんだな」
セシルが投げて寄越すものを拾いながらジョエルが苦笑して言った。砂がついているけれどあまり気にした様子はなくジョエルが拾い上げる。私はそれを見て、取り敢えず靴は脱いだ。ロディが選んでくれたローブも脱いで身軽になる。水の中でハルンたちが教えてくれた舞踏は役に立たないだろう。水の中での戦闘なんて私は知らない。リアムだってセシルだって陸で動くのとは随分と変わるはずだ。どうなるか分からない。けれど行かなければロディはきっと、助けられない。
長い髪の毛を纏め、私は意を決して真珠を摘んで口に入れた。舌に乗せただけで溶けていくのが感じられて、急いで飲み込む。小物入れを閉じるのと同時に溶けた真珠が喉を通り過ぎ、焼け付くような痛みを覚える。中からぶくぶくと泡が立っているような気がした。
溺れる、と思う。陸の上では溺れる。
私も慌てて海へ飛び込んだ。冷たい水が頭の天辺まで包んで、喉の奥から溢れる泡を口の中に留めておけずに口を開く。泡を海に溶かせば焼け付くような痛みはすぐに引いた。
「お姉さん、大丈夫?」
セシルの声が聞こえて私はぎゅっと閉じていた目を開ける。はっきりと見える水の中でセシルが首を傾げて不安そうに私を見ていた。金の髪が頭上の水面から差し込む陽の光にキラキラと輝いていてとても綺麗だ。
「声、出せると思う。何か喋って」
「え、あ……本当だ」
困惑した声が水の中で出たことに驚いて私は目を瞬いた。うん、とセシルはにっこりと笑う。
「こんなの、と思ったけどお姉さん、歌えそうかな。もう喉は痛くないと思うけど」
喉に触れて私は頷く。
「大丈夫そう。不思議ね、水の中なんて」
「観光している暇はない。慣れたらすぐ行くぞ」
リアムに急かされて私は顔を見せるために海の上へと向かった。