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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
8章 慟哭の泡
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2 少女が海に帰る時ですが


「ライラ、レティシア」


 ラスが私たちに気づいて駆けてきた。砂浜はラスでも足を取られやすいらしい。一瞬転びそうになって踏ん張る姿が見られた。


「ロディは」


 レティシアを下ろすリアムに小言を言うのをやめて私がラスを向けば、鈍色の日差しの下でラスが表情を曇らせてかぶりを振った。そう、と答える私の声は分かりやすいほど気落ちしている。セシルも気づいたのかこちらへやってきて、お姉さん、と私に呼びかけた。


「魔力が残ってる。魔物か魔法か判らないけど、意図的な襲撃と見て間違いないよ。王子を狙ったんだろうけど」


 セシルが視線を遠くへ向けた。波打ち際でジョエルが兵やヴィクトルに指示を出している。自分も探し回りたい様子だけど、セシルの話によれば狙われてるのはあなたかもしれないんですよと周りの者に止められたらしい。でも彼の表情からは本気でロディを心配していることが窺われた。


「その魔力を辿ったりとか、セシルならもしかしてできる?」


「え」


 私の問にセシルは驚いた表情を浮かべた。それは予想もしていなかったというのとは違うように見えて私は首を傾げる。セシルが嵐色の目を逸らして言いづらそうに口を開いた。


「お姉さんってそういうところ、鋭いよね……できなくはない、と思う。あの主を召喚すれば」


「私たちの中でロディの次に魔法とかそういうのに強いのってセシルだと思うから。でもあの主、湖の中にいるんでしょう? 海は塩水だっていうけど、大丈夫なの?」


「それは判らない。やってみないと。でも召喚なんてきちんとやったことないし、僕が召喚し続けられるかも判らないし……海の底で力尽きたらどうなるか、お姉さんなら判るでしょう?」


「……」


 私でも判る、が正しい。水の中は苦しい。それはよく知っていた。ロゴリの村の泉で神様に沈められた時を思い出して体が震えた。でももし、今、ロディが同じ思いをしていたら。誰にもあんな思いをしてほしくない。そう思うからこそ、セシルに頼むのも気が引けた。自分ひとりで済まない話だから余計に。


 考え込む私に、あの、とレティシアが声をかけた。


「あたし、あてがあるの。魔女様に頼んだら、もしかして」


「魔女様?」


 レティシアが人の脚を手に入れるために頼ったという話を思い出して私は目を丸くした。あの魔女様? と確かめれば、そう、とレティシアは頷く。首から下げた二枚貝の小物入れをそっと片手で撫でる様子を見て、私はその中に入っていた真珠を思い出した。


「魔女様に頼んだら、人間が海の中で動き回れる薬をくれるかもしれないわ」


「でも、レティシア」


 レティシアは海に帰るのに。私が言い募ろうとしたら、大丈夫、とレティシアに微笑まれた。


「絶対に帰ってくる。だからね、ライラ、お願いがあるの。あなたに教えた眠りの歌、あれを歌い続けて」


「え、でも私に魔力は……」


 レティシアが訪れた夜明けに聞いた歌を頼まれて私は尻込みした。教えてもらったから歌えるけれど、あれは人魚が歌うから意味のある歌だ。魔力があれば違うかもしれないけど、私には魔力がない。私が歌ったところで効果はない。


 いいえ、とレティシアは頭を振って否定した。海藻色の髪が揺れ、夕陽色の目が私を真っ直ぐに見る。


「あたしとライラの声、似てるんでしょう? この海には一度あたしの歌を聴いてもらっている。きっと大丈夫。海が覚えてる」


「そんなこと言ったって……」


「大丈夫、ライラ。信じて。歌ってみて」


 レティシアに手を取られ、私は困惑しながらも口を開いた。小さく、思い出すように旋律を唇に乗せる。そう、とレティシアが嬉しそうに頷いた。海風が渡り、私の歌声を乗せて空高く舞い上がる。こんなことをして何の意味が、と思ったけれどレティシアの空気に溶けるような微笑みを見ていたら心が動いた。目の前で嬉しそうに聞いてくれる人がいるのに、心を乗せないなんて有り得ない。


 私の歌を聞いたラスが、う、と呻いて砂の上に膝をついた。セシルが支えて、寝て良いよ、と囁く。そんなまさか、と思って私はラスを振り返った。耐性のあるセシルやリアムはぴんぴんしているけど、私の歌が届いたらしい兵たちも足を止めてフラついている。


「続けて、ライラ。あたしも途中までは一緒に歌うから。歌い終わってもすぐには目覚めないものなの。大丈夫、信じて」


 レティシアが私に言うや否や、自分自身も歌い始めた。人魚の力が乗った人魚の歌は本領発揮とばかりに周囲にいた人たちを眠らせていく。砂浜の上で倒れた人ばかりだから痛い思いはあまりしていないと思うけど、ひとつ間違えれば波の中で倒れ込むから私は慌てて全員が浜辺で倒れていることを確認した。


 歌いながら、レティシアはドレスを脱ぎ始める。私はびっくり仰天してセシルとリアムに向こうを向いているよう身振りで示した。セシルの方が先に察してリアムを引っ張ってくれる。取り敢えずほっと胸を撫で下ろした私はレティシアを向いた。慣れないドレスに脱ぐのも四苦八苦しているから手伝ってあげた。えへへ、と照れ笑いを浮かべながらも歌うのをやめないレティシアに私は微笑む。


 下着も全部脱いで生まれたままの姿になるレティシアはとても綺麗だった。とはいえ人の姿を手に入れたのはついこの前の話だから生まれたままの姿、というのは語弊があるかもしれないけれど。


 レティシアは私を見て、一瞬だけジョエルの方にも視線を向けた。兵たちの中に魔物使いの“適性"がある人物は皆無なのか、ひとり残らず眠りこけている。ジョエルもヴィクトルも例外ではなかった。その目が寂しそうに細められて、彼女の中に浮かんだ感情に私は気づく。けれど歌い続ける唇から別の言葉を紡ぐには歌を止めなくてはならない。そうすることはできなくて、私は眉根を寄せるだけに留めた。


 レティシアがフラつきながらも海へ足を進めた。すらりと伸びた綺麗な脚が海に入るにつれてぼやけていく。一度ざぶりと頭から海に潜り込んだレティシアが出した脚はもう、尾びれに変わっていた。


 ぐんぐんと進んだレティシアが一度波間から頭を出して大きく手を振った。私もそれに応える。彼女が戻るまで歌い続ける。そう決めて、私は両腕を大きく振った。


 ぱしゃ、と音を立ててレティシアは潜っていく。地上で歌い続けるのは私だけになった。それでも私はレティシアが残していった声を追うように歌を紡ぎ続けた。



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