1 騒動に目覚める朝ですが
「え、ロディが……?」
朝早く、お城の中の騒々しさに目を覚ました私は起こそうとやってきたラスからロディが波に攫われたと聞いて一気に覚醒した。
「波に攫われるって何? どういうこと?」
けれど言葉の意味がよく分からないからラスに尋ねれば、ラスは顔を顰めて私に説明してくれた。
「本来は海の中とか近くにいてやってきた高波に連れていかれることを言うんだ。水の力は強いからね。足首くらいまでの水だって流れが強ければ足を取られることはある。けど、ジョエルが言うには」
「ジョエル様?」
意外な名前に私は目を丸くする。そう、とラスは頷いた。
「一緒にいたんだって。昨晩、あんたたちと別れた後に二人で浜辺に向かったらしい。女の子への接し方とか何とか、教えてあげようと思ったらしいよ。説教垂れてた張本人が波に攫われてちゃ世話ないけど」
ラスは私の後ろにいるレティシアを気にしながら言葉を選ぶ。ジョエルのレティシアへの接し方に思うところがあったらしいロディはあの後、ジョエルを誘って浜辺に向かい、そして。
「波は、普通の波とは違った。暗くてよく見えなかったらしいけど、ロディとジョエルを狙って波が襲ってきたように見えたって。
ジョエルはひとり岩場に放り出されて陽が登るまで気を失ってたらしいよ。そんな状態でよく魔物に襲われなかったものだと思うけど、まぁ、あいつが何かしたんだろうね。魔物か魔法か分からない波に攫われたのはあいつだけさ」
「そんな」
「王子様は無事なの……?」
堪えきれなかったらしいレティシアが恐る恐る、それでも不安気な声で尋ねる。大丈夫、とラスは安心させるように笑うと頷いた。
「詰所の兵が見つけた。ヴィクトルは戻ってこない二人を探して一晩中探し回ったようだけど、暗い海辺の岩場に人がいるなんて思わなかったんだろうね。昨日は城下町の方まで行って探したみたいだけど当然見つからなくてさ。いよいよ人手を割こうかという頃になってジョエルだけが見つかった。そのジョエルが目を覚まして言ったんだ、ロディが波に攫われたってね」
海は水だ。水の中では息ができない。一晩。一晩もロディはどうしているだろう。自分の魔法でどうにかできているなら良いけど、そんな魔法あるのだろうか。青褪めた私の顔を見たラスが真剣な表情を浮かべて真っ直ぐに問うてきた。
「あたしはこれから海の方に行ってみる。セシルはもう向かった。あんたはどうする?」
「行くわ。何もできないけど、でも」
居ても立っても居られない。そう思うからすぐ答えれば、そう、とラスは頬を緩めた。あんたは、とラスはレティシアにも目を向けた。海に帰るつもりでいるレティシアを見送るどころではなくなってしまったけれど、向かう方向は同じだ。振り返って見たレティシアの顔も青ざめていたけれど、行きます、とその赤い唇が言う。時間がかかるけど、と申し訳なさそうに言うからそれは言いっこなし、と私は彼女の手を取った。
「ラス、先に行っていて。私はレティシアと行くから」
「うん。浜辺で待ってる」
ラスは踵を返すと走って行ってしまった。ずっと旅をしてきた仲間だからラスも気が気ではないだろう。セシルがもう向かったというのが少し意外だったけれど、彼の中でもロディの存在が大きくなっているならそれは良いことだと思う。
ごめんなさい、とレティシアが謝るから私はあえて微笑んだ。
「ライラ、あなただって早く行きたいだろうに、あたしのせいで」
「大丈夫。私にできることなんて本当にないの。駆けつけたってできることなんてない。それでも行きたいと思うのは私の我儘みたいなものだから」
そんなことないわ、とレティシアは私の零した言葉を否定した。夕焼け色の目が私を真っ直ぐに見て、真剣な表情を湛えながら。
「ライラの心配な気持ち、大切なものだと思うの。海のことなら少しは役に立てるかもしれないし、あたしのこと連れて行って」
もちろん、と私は頷いた。レティシアの手を取りながら少しずつ進む。私の腕力では彼女を抱き上げて進むことは難しく、負ぶって行くこともあまり効率は良くなかった。レティシアは脚が痛むのか頬を引き攣らせながらも少しずつ自分の足で歩いた。がくがくと震えて自分の体重を支えるのも大変そうだったけれど、時間をかけて廊下を進み、階段も自分で降りた。凄いと私はその度に彼女を褒める。部屋の中で歩く練習をしていた一昨日よりも遥かに歩いていた。
でも砂浜ではバランスを取ることが難しいのか、私に掴まりながらでもレティシアは歩けなくなってしまった。折角此処まで自力できたのに。海は目の前なのに。私もレティシアに掴まれていては動くに動けず、かといって助けを求めようにも人は遠い。誰もがロディを探してくれているのだろう。こちらには目もくれない。
「めぇー」
コトが久々に姿を現して私は目を丸くした。最近はすっかり寒くなったせいか眠ってばかりのコトが起きているどころか外まで出てきたなんて。鞄の中で丸くなって眠っているものとばかり思っていた。
海風は冷たい。コトも寒いのは嫌いなのか、私の足をよじ登ると外套のポケットに潜り込んだ。きゃぁ、なぁに今の、とレティシアが怯えた声を出す。こんなの海にはいなかった、と言うから確かにお魚とは違うもんなぁと私は思って苦笑した。
「コトよ。寒いのが苦手みたいなの。それなのにこんなところまで来るから」
「……あんたたち、こんなところで何してるんだ」
「リアム!」
背後から呆れたような声をかけられて私は振り向いた。丁度良かった、と私は顔を輝かせる。
「レティシアが砂の上だと上手く歩けなくて。海まで行きたいの。手伝ってくれない?」
「……はぁ。使い魔風情が元主を呼びつけて何かと思えば」
リアムの宵が降りる藍の目が私のポケットに向けられた。其処にはコトがいる。え、と私はポケットからリアムに視線を戻した。
「覚えてるの? コトが元々はあなたの……」
使い魔だって、と言いかけて魔物使いの扱いが人魚の世界でどう思われるかに思い至って口を噤んだ。レティシアが魔物使いをどう思うかは分からない。でも此処でだって良い印象を持っていない人がいるだろう。自分のことならまだしも、人のことを表す時には注意しなければと思った。
シクスタット学園で再会した時、コトや私の歌を何となく覚えがある程度に言っていたのに、今は明確に記憶があるようなことを言うからじっと見た私を、リアムが怪訝そうに見やる。私の言いたいことは伝わっていないのだろう。記憶が失われるとは言っても、全くなくなってしまうわけではないのかもしれない。時々は思い出すこともあるのかも。
「その娘を海まで連れて行けば良いんだな」
「え、きゃあっ」
リアムは何の断りもなしにレティシアを抱き上げ、私を振り返らずに海辺まで歩いていく。え、ちょっと待って、と私は慌てて二人を追いかけたのだった。